「ルールを捨てる」とき、人は成長する 世界のトップビジネスパーソンが注目する「システマ」の効果

3割の余力を残す

——例えば、スポーツや格闘技にはルールがあり、試合があります。こういったものでは、システマのような学びは得られない、ということでしょうか。

北川 そこはメリットとデメリットを正しく認識する、ということだと思います。例えば「試合」があれば、そこに向けてコンディションを高め、当日に全力を出すことを目指しますよね。それは試合に勝つ、という目的合理性としては正しい選択です。でも、それをスポーツ以外の日常にそのまま当てはまるわけにはいかない、ということです。

人間が持っているリソースは有限ですから、「全力」を出せば、当然疲れが溜まります。疲労は心身のパフォーマンスも低下させますから、仕事の効率も落ちるでしょう。こういう時、たまたまイレギュラーな問題が起きたとしたら、適切な対応を取れなくなってしまうでしょう。

システマではよく、「全力を出すな。常に3割の余力を残せ」というアドバイスをしますが、ビジネスの場面でも、常に「適度な余力を残しておく」ということは、いかなる時も責任を果たせる自分でいるために、とても重要な姿勢ではないかと思います。

毎日のように徹夜して仕事に没頭し、燃え尽きるまで働くことは、美談になることはあっても、「プロ」としては評価される行動ではありません。また、極端に仕事に没頭してしまうことで家族との関係を壊してしまうことは、周囲の人にとっても、本人の幸福にとっても良い選択とは言えないでしょう。

「ウィン・オア・ルーズ」(勝ち負け)と「デッド・オア・アライブ」(生きるか死ぬか)は、太古の昔から人間が行ってきた争いごとの2つのパターンです。そして、「ウィン・オア・ルーズ」よりも「デッド・オア・アライブ」の争いに臨むときのほうが、人間は慎重で合理的になります。「生き延びる」ことが最優先である以上、むやみに敵を作ることはありませんし、どうしても戦いが避けられないとしたら、被害を最小限に食い止めることを考えるでしょう。

もちろん、ルールの中で全力を出そうとするからこそ、学べることがあるのも確かです。しかし、現代に生きる私たちは、無意識のうちにルールのある「ウィン・オア・ルーズ」の発想にとらわれる傾向があります。ここに、私たち現代人が「デッド・オア・アライブ」の発想に基づく武術を学ぶ意味があるのだと思います。

1 2 3 4 5

その他の記事

キリシタン大名と牛肉を食する文化(高城剛)
僕がザハ案の国立競技場の建設に賛成していた、たった一つの理由(岩崎夏海)
「愛する人にだけは見せたくない」顔を表現するということ(切通理作)
柊氏との往復書簡(甲野善紀)
有料のオンラインサロンを2年やってみて分かったこと(やまもといちろう)
「なし崩し」移民増加に日本社会は如何に対応するか(やまもといちろう)
参議院議員選挙をデータで眺める(小寺信良)
DLNAは「なくなるがなくならない」(西田宗千佳)
メルマガの未来~オープンとクローズの狭間で(津田大介)
20世紀の日米関係がいまも残る基地の街(高城剛)
ヘッドフォン探しの旅は続く(高城剛)
スマホはこのまま「高くなる」」のか(西田宗千佳)
日本のエステサロンで知られるものとは異なる本当の「シロダーラ」(高城剛)
スマホVRの本命「Gear VR」製品版を試す(西田宗千佳)
AirPodsから考えるBluetoothの「切り換え」問題(西田宗千佳)

ページのトップへ