小寺・西田の「金曜ランチビュッフェ」より

誰も無関係ではいられない「メディアの倫理」

※メールマガジン「小寺・西田の金曜ランチビュッフェ」2017年10月13日 Vol.145 <斜めから見直してみる号>より


今週の火曜日、津田大介氏のゼミのゲストとして、テレビメディアにおける動画報道のリテラシーについてしゃべってきた。このとき学生からいくつか質問があったのだが、その場ではあんまり気の利いた答えができてなかったんじゃないかなと思って、思うところを書いてみる。

僕は最初にテレビ業界に就職したわけだが、先輩には「オマエらいいか、この仕事に就いたからには親の死に目には会えないかもしれないと思っとけ」などと言われたものだ。その時は親もまだまだ元気だったし、「ほーんそういうものなんですかー」ぐらいの事しか考えなかったのだが、それから33年経って本当に親が死に、その時のことを思い出した。

僕が就職した1980年代半ばは、テレビが一番勢いがあった時代である。バブルの直前でもあったし、放送衛星が打ち上がり、チャンネルが倍に増えた時代だった。当然番組数も2倍に増えるわけだ。加えてレンタルビデオが盛況で、死蔵していた古い映画フィルムが金を生み始め、倒れかかっていた映画会社が大復活し始めた時代でもあった。

誰もがテレビ番組を、必死になって作っていた。人は常に、足りなかった。誰かが欠けると、もう代わりがいなかった。だから、そういう発想にもなったのだろう。実際にテレビ局のディレクターなどは、本当に親が死んだときも編集室にいたという人もいたように思う。

だが今にして思えば、親が死んでも仕事してろなんてことは、自分がやる分には勝手だが、人に強要できることではないだろう。単に昔は、そうやってモーレツに働くのが当然だったし、そういう生き方がカッコいいとして語られるような時代でもあった。

 

テレビの本質

テレビ業界のど真ん中にいた頃には感じなかったが、モノカキの仕事も増えて二足のわらじを履くような生活となってからは、割と覚めた目でメディアとしてのテレビを眺められるようになっていった。その時に感じたのは、自分たちがやってることはそんなに立派なことなんだっけ、という思いだ。

ニュース報道の現場では、非常識・非日常的な映像ばかりを扱う事になる。日常はニュースにならないから、当然だ。刺激的な映像を撮り、それを電波に乗せて多くの人に見せる事は、時には必要な時もある。だが大半は、興味本位でしかない。テレビメディアの性格を表わすワードとして一番しっくりくるのは、この「興味本位」だと思う。

このネタを使うか、このカットを使うかという判断において、もっとも説得力がある言葉が、「おもしろい」か「おもしろくない」かだ。必要であっても、「だってこれおもしろくないんだよ」と言われれば、使われない。

全員がそういう価値判断で動いている中において、「じゃあおもしろくしちゃおう」という発想が生まれるのは至極当然だ。だから、おもしろくなるように「仕込む」。仕込むとは、自然にそこにあるままではなく、象徴的だったり印象的だったりするように、カメラを回す前に演出を加える事である。平凡なゴミの山を撮っても何一つおもしろくないが、ゴミ山のてっぺんに墓標のように壊れた自転車を突き立てて逆光で撮ったりすれば、おもしろくなる。

事実をいじる。そういうことだ。

「仕込み」が過ぎると、「ヤラセ」になる。ヤラセは、事実ではないことを、人を頼んでやってもらうことだ。芝居は、見る側も芝居だと分かっているから芝居なのであって、芝居を「本当にあったこと」の位置に据えてしまったら、それは視聴者を「騙した」事になる。報道は、事実を前提として成り立っているものであり、事実という板の上からズレていないことが最低限の条件だ。だから事実の上に乗ってないヤラセは、ダメだという判断になる。

 

報道か、救助か

事件報道は、ニュースでは花形である。ただ多くの場合は、コトが起こってから現場に行くことになるので、その事件そのものは終わっている。

だが昨今は、まさに事件が起こっている現場の映像を入手できるようになった。なぜならば、一般市民がほぼ全員、スマホというビデオカメラを持っているからだ。ときおりTwitterで、事件現場の写真や動画を募集するニュースメディアの書き込みが、非難されることがある。

だがその前に、一般市民が事件を撮ることに関して、そこに何らかのルールはあるのか。このモヤッとした思いを最初に感じたのは、2008年の秋葉原無差別殺傷事件である。当時からすでにUstreamはあり、WEBカメラを使えば中継ができた。この事件直後の混乱した状態を、パソコンを使ってネット中継した者が現われた。確か当時まだ学生さんだったんじゃないかという記憶がある。

この行為に関して、賛否が大きく分かれることとなった。実際には否の意見が熾烈だったのだろう。動画のアーカイブはすぐに削除され、今となってはこれに言及するネットの情報も少ない。

この、素人が事件現場を撮影・中継することの是非についても、そのモラルについても、当時相当議論になった。だがそこで我々が学んだことは、一般人が報道活動を行なう事に関しての何らかのモラルとなるまでは、確立されなかった。今もなお、そのままである。

東日本大震災をきっかけとして、市民ジャーナリズムは急成長した。だがそれがマスメディアと対峙関係にあるのか、補完関係にあるのか、その評価は揺れ動くこととなった。市民運動としては、もちろん素晴らしい成果だと言える。しかし素人がマスメディアの悪い部分をまねて、報道ごっこをすることに関しては、否定せざるを得ない。

ここで最初の話に戻るが、マスメディアの報道ってのは、そんなにエラい仕事なんだっけ? という思いをここ最近強く持つようになった。僕は、ジャーナリストがなんとなくカッコイイものだった時代は、秋葉原無差別殺傷事件の時に終わったのだと思う。

今もし何らかの事件があって、それに遭遇することがあったら、とっさに我々がすべきことは、スマホを取り出して撮影することではない。まず最優先は、人の命を救うことだ。報道ごっこをするより、そっちのほうがずっとカッコイイし、エラい。

汚れ仕事は、それを好きでやっている者に任せておけ。一緒に地獄に落ちる必要はない。

 

小寺・西田の「金曜ランチビュッフェ

2017年10月13日 Vol.145 <斜めから見直してみる号> 目次

01 論壇【西田】
 「体験型」の意味を問い直す
02 余談【小寺】
 誰も無関係ではいられない「メディアの倫理」
03 対談【西田】
 MastodonからYouTuberまで。松尾公也さんと語る「情報発信」のカタチ(6)
04 過去記事【西田】
 「数字」から読むTwitterとテレビの関係
05 ニュースクリップ
06 今週のおたより
07 今週のおしごと

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