いじめ問題が百家争鳴になるのは、おそらくすべての大人が人間関係に子どもの頃から悩み、いろんな人と仲良くなったり喧嘩したりしながら歳を重ねて現在に至る当事者だからだと思うんですよね。
なので、私ですらいじめた経験もいじめられた経験もあり、皆さんも多かれ少なかれそういう問題の当事者になっていてもおかしくないし、幸いにしていじめに加担することもいじめの被害者になることもなかった人であってもクラスの中でそのような光景を見かけたことが絶無な人はおられないでしょう。
なので、若い人たちが人間性を滋養する過程で、未熟な精神の発達において「いじめられる」側の心の傷は相当なものであろうし、場合によっては本当に自ら命を絶ってしまうケースすら普遍的にあるからこそ、学校教育の現場からはなるだけいじめの発生を減らさなければならないのもまた事実であります。
建前ではなく本当に「いじめが人の人生を破壊したり、のちのちまで響く大きな心の傷を残す」のは事実として、それが子どもの人権の保障の一環として強く対策が求められるものであることは言うまでもありません。
しかしながら、現実の我が国の公教育において、特に小学校から中学校に通う多感な子どもたちの間でいじめ問題が収まらず、いまなお自殺してしまう子どもが出るのは我が国が取り組むべき優先的課題の一つであります。
ここで問題になるのは、我が国の教育の現場において、いじめ問題を解決しないインセンティブが働く構造がいまなお温存されているということです。その最たるものは、我が国の都道府県や自治体と並存して教育を司る組織として首長から任命されて組織する教育委員会という組織、仕組みが解決を阻んでいるようにも思えます。
教育委員会を攻撃したいという意図ではなく、単に仕組みとして、我が国は終戦直後に国民参加の民主的枠組みをSCAP(GHQ)から指導されて導入した経緯があり、つまりはSchool Comittee、あるいはSchool Distructと呼ばれる住民に選ばれた民主的な組織が住民の問題ごとについて都道府県や自治体の議会とは別に独立して運営するという歴史的な導入経緯がありました。
これらの名残は農業委員会など当時導入しようとした各種委員会として現存していますが、その最たるものは公安委員会であり、いまでこそ直接選挙の建前は封じられてきちんと警察組織からの推薦で人事が持ち上がりになっていますが、もともとは公安業務もまたアメリカの保安官組織同様にアメリカから民主的であるべきということで導入された委員会であることはもっと知られてよいと思います。
その中で、なぜか選挙を経ない教育委員会だけがなぜか現在もいまだ現存している背景には、やはり60年代以降長年にわたって続いてきた文部行政における旧文部省と日教組の戦いにその原因を見ることができます。優秀な人が住民選挙の結果教育委員会の委員長に選ばれると大概において日教組になってしまう現実に対抗するため、自治体首長などからの指名によってたいしたことのない人を教育長にすることで民主主義的な教育委員会の形骸化を進めたのが旧文部省の「知恵」であり勝ち方であったことは否定できません。
さらに、これらの問題は形骸化したままバブルを過ぎ、情報化社会の現在となってもなお謎の教育委員会指名でたいしたことのない人が選ばれ続け、しかし仕組み上は都道府県や自治体からの独立性を維持している形になるため、ここで例えば「こども庁が貧困対策のための見守り事業を学校教育の現場と共に実施したい」となっても、教育委員会側はこのような行政側のニーズに対応しなければならないインセンティブはありません。
また、子どもが学校時代に体験することは、いまの大多数の大人が生きてきた経験と同様に同じ年代の人たちが、一定の期間を区切られて、ある種強制的に学びの場として学校教育の現場に放り込まれるという特殊な環境だということです。大部屋教育で読み書き算盤を習って板書する先生の記すものをノートに書き写して知識を伝授する仕組みは情報化以前では役に立った一方、そのように得た知識を学識として社会人が生かせるようにするためには本人がかなりの創意工夫をしたり自ら研鑽しないと使い物にならないのではないかという議論はG型大学L型大学の議論でも活発に行われました。そのぐらい、従来型の教育の在り方が現在の技術体系とはそぐわず、過去の教育実践学も非常に重要で大事な知見を持っている一方でいじめ問題はあまり解決せず、コロナ時代でも子どものメンタルケアや貧困対策と並んでいじめ問題が重要な課題となっているのは特筆されるべきことです。
そのような状況においてなお、教育委員会が往々にして学校の現場で当然のように発生しているいじめ問題について「いじめがあったかどうかは調査中」としてずっとたなざらしにする理由もまた、いじめがあったかどうかの真相を究明することに対するインセンティブがまるでないことも背景にあります。いじめを認めたら、実質的にこれといって現場に介入しているわけでもない教育委員会がいじめで起きた事故・事件に対して責任を取らなければならないからでもあります。
学校の現場も、例えば教員や校長がいじめを確認したとしても書面に残さず教育委員会マターに持ち上げるのは、教員がいじめを行っている子どもたちの関係に介入することが往々にして問題解決にはつながらないのを知っているからです。子どもも当然さまざまな感情を持ついっこの偉大な人格ですので、「いじめられました」「はいそうですか」とはなりませんし、その子どもたちのいじめ、いじめられ関係だけでなく、地域に暮らす家族・保護者同士の関係であったり、場合によっては地域柄まで関わってくるため、学校教育の責任者であってもおいそれと立ち入ることのできない問題だというのはもっと知られても良いと思うのです。
その結果として、教育の現場が「いじめを認識していなかった」「いじめを放置していた」というのは、仮にいじめられている子どもからの訴え出があったのだとしても介入を躊躇するまま事件・事故が起きてしまった、ということのほうがおそらくは多いのでしょう。まさか自殺するほどとは思わなかった、なぜ刺殺してしまうほど放っておいたのか、という議論は、やはり人間の内面まで教師が踏み込めるのかという議論を軽視しているし、学校が介入できる範囲を広く見過ぎている弊害のような気もします。
翻って、いまや学校教育の現場がブラックな職場であることが知れ渡り、教師になりたいと考える若者の数が激減した結果、教育課程を経て教員免許を取ろうという人の倍率が、実質的に1倍に限りなく近くなってしまい、なりたいと言えば誰でもなれてしまう仕事が教師になった、という事実があります。戦前は、教師と言えば地元の名士がインテリの果てとしてなる職業の一つで、戦後も長らく教員試験は5倍程度のまずまずの難関であったところ、こんにちでは外部教員の募集をかけてもなかなか集まらない程度の状況になってしまうと我が国の教育をどこのあたりで着地させるべきかという議論は文科行政の枠内でも充分に議論するべき時期に差し掛かっているように思います。
そこへ、GIGAスクール構想が実現し、子どもに一人一台PCが曲がりなりにも配られ、ネットサービスを通じて「個人に最適化された学び」を導入できる世界でも初めての環境が一応はできました。まだ途上ですが、学校教育の現場でも、アクティブラーニングやSTEAM教育といった単に知識を教え込むだけでなく学校授業に子どもたちの参画を求める類の、教師のファシリテーション能力が強く問われる時代になったのも事実です。
そうであるならば、大部屋による同じ年頃の子どもたちを集めての教育という年齢主義的な観点だけでなく、中教審でも議論が始まっているような幅広い学びを子どもたちに選択的に選ばせ、固定されたクラスに担任教師がいるような学級運営とはまた異なる仕組みが今後は強く求められていくのではないかと思います。もちろん、そのような理想論は一朝一夕に実現するものではないのは間違いありませんが、しかしいままでと同じ教育の仕組みで技術だけが進んでいってパソコンが入ってネットに繋がっていればICT教育ができるのだと短絡的に考えることの方がおかしいと思うんですよ。
このあたりは論点も多く、考えるべきことが多い分野ではありますが、万が一、自分の子どもが重篤ないじめに遭ったら、そして何らかの事故や事件に巻き込まれてしまったら、と思うと、今報じられているいじめ被害も放置できないぞと感じるんですけどね。
やまもといちろうメールマガジン「人間迷路」
人間迷路 Vol.353 教育現場の諸問題に頭を悩ましつつ、岸田政権の『新しい資本主義』やメタバースに盛り上がるIT界隈について語る回
2021年12月1日発行号 目次
【0. 序文】いじめ問題と「個人に最適化された学び」と学年主義
【1. インシデント1】『新しい資本主義』は本当にどうなのか
【2. インシデント2】IT界隈がメタバースに盛り上がる理由を適当に考えてみる
【3. 迷子問答】迷路で迷っている者同士のQ&A
【4. インシデント3】コロナで名前を上げた医師・倉持仁さんの不思議な周辺
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