※高城未来研究所【Future Report】Vol.723(4月25日)より
今週は東京にいます。
この数年、テレビ vs YouTubeのような論争が散見されますが、共にリニア型のメディアであり、どちらも過去の物のように思えてなりません。
20分のコンテンツを視聴するのに(情報や学びを得るのに)実時間20分を必要とし、倍速再生したとしても10分もの時間を奪います。
また、かつてテレビはどのチャンネルをみても同じような人ばかりが出ていて辟易しましたが、実は最近のYouTubeも同じように感じています。
視聴者のアルゴリズムや視聴率を汲み上げているせいもあるのでしょうが、恣意的にプログラムを選んでも、結局は同じような人たちが出ており、同じような話を繰り返しているように見えてなりません。
そして、広告主に依存する構造もテレビとYouTubeは同じです。
「案件」は年々増え続け、そのため過激な発言をすることはできず、もし、そのような発言を行えば、プラットフォームから締めだされてしまいかねない「自由度」が低くなっているのも双方の特徴です。
一方、テキストベースのメディアは、リニア型ではないため、気になる章やブロックから読んだり、各人のペースで読み飛ばす「時間的主導権」が、こちらにあります。
さらには、AIに要約ではなく、僕にとって読んだ方がいい章を選んでもらうような、先行して「下読み」してもらうことも可能です。
ストリーミング以降、音楽アルバムで「曲順」という概念が希薄になったのと同様、今後大半のテキストブックは「章順」という概念が徐々に希薄になっていくでしょうし、サイズ感(文字数)も多様になると思われます。
制作サイドからみても、このような「時間を誰が支配するのか?」という時代の重要な観点から見直せば、10分のインタビューをそのまま動画で流すとしても、撮影時間は最低でも同時間以上かかり、通常ならその何倍も必要です。
さらには、編集やテロップ入れなどの後作業が、その数倍の実時間を要し、この時代にこれほど非効率的な作業はない、と身をもって実感しています。
つまり、過去十年を制した「映像時代の終わりに」、いま差し掛かっているのです。
確かに、映像メディアには独自の魅力があります。
表情や声のトーン、雰囲気など、テキストでは伝えきれない豊かな情報を一瞬で伝える力があるのは確かです。
この魅力が高性能かつ安価になったミラーレスカメラやスマートフォンの民主化によって、爆発的に普及しました。
しかし、その情報密度と効率性を考えると、特に知識や考えを得るという目的においては、もはや時代遅れだと言わざるを得ません。
かつて、朝食を見ればその人の健康状態がわかると言われましたが、現代社会におては、動画との接し方を見ればその人の未来がわかると言いかえられると考えます。
では、ショート動画はどうなのか?
東京の街を歩いていると、かつては電車内で新聞や文庫本を読む人々が多かったのに対し、今はスマートフォンの画面を見つめる人が大半で、彼らが見ているのは、短いリール動画や無限にスクロールできるタイムラインです。
これはある意味で「深く考える」という行為からの逃避に他ならず、知見を得ることなどもできず、時間の主導権をプラットフォーマーに握られている点では、他の映像メディアと変わりがありません。
その上、ドーパミン優位になるようなシステムが作られ、結局広告に誘導されてしまいます。
一方、テキストは時間の主導権を握れるため自分のペースで咀嚼し、立ち止まり、再読し、考えを深める余白があります。
検索しなければ、気が付かないうちに広告へ連れ去られることもありません。
優れた文章は、読み手に思考を促し、読み手自身の頭の中で映像化される余地を残しています。
これは映像メディアには難しい特質だと、両方で表現する僕自身が実感するところでもあります。
もちろん、映像がすべて無価値になるわけではありません。
ライブスポーツや音楽のパフォーマンス、美しい風景、複雑な手順の説明など、「見せる」ことが本質的に重要な内容には映像の価値が存分にありますし、マス向けな社会的影響力を誇示したければ、現在も最適なツールなのは間違いありません。
しかし、情報を効率的に伝達し、深い思考を促すという観点では、テキストの価値が再び高まっている時代に入っていると、AIの進化を見ても理解できるところです。
つまり、AIの台頭は、広告に支配されすぎた映像メディア一辺倒ではなく、テキストメディアの逆襲でもあるのです。
静止画とテキスト、あるいは音声で済む内容までわざわざ動画に落とし込み、冗長なオープニングや過剰なBGMを聴かされるのは、もはや前時代的メディア表現で、たとえ聞き流ししても、実時間を奪われるのは同じです。
街の喧騒の中で考えるのは、いま誰にとっても必要なのは「もっと見る」ことではなく、テキストから「もっと考える」ことなのではないかということにあるように思えてなりません。
今後、このような現代社会の情報の罠に気がつく人とそうでない人に、今後ますます二分するのだろうし、たぶん、時代的な最適解は、それなりのテキストとわずかな補足映像のハイブリッド型なんだと思います。
いわば「チョイ動画」時代。
いずれにせよ、いま人類は情報やメディアとの関わり方を今一度「考え直す」転換点に立っており、そのために飽和した動画メディアから一定の距離を置いて熟考する必要があるのではないか、と広告に支配された東京で考える今週です。
自分の限りある時間を、広告主やその場限りのよく知らない人の戯言と交換してはいけません、ご自身の未来のために。
高城未来研究所「Future Report」
Vol.723 4月25日発行
■目次
1. 近況
2. 世界の俯瞰図
3. デュアルライフ、ハイパーノマドのススメ
4. 「病」との対話
5. 大ビジュアルコミュニケーション時代を生き抜く方法
6. Q&Aコーナー
7. 連載のお知らせ
高城未来研究所は、近未来を読み解く総合研究所です。実際に海外を飛び回って現場を見てまわる僕を中心に、世界情勢や経済だけではなく、移住や海外就職のプロフェッショナルなど、多岐にわたる多くの研究員が、企業と個人を顧客に未来を個別にコンサルティングをしていきます。毎週お届けする「FutureReport」は、この研究所の定期レポートで、今後世界はどのように変わっていくのか、そして、何に気をつけ、何をしなくてはいけないのか、をマスでは発言できない私見と俯瞰的視座をあわせてお届けします。


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