やまもといちろうメルマガ「人間迷路」より

超個人的2025年の振り返りと2026年の展望


 なんだかんだ、この原稿を書いているのは2025年12月31日16時過ぎで、まだ仕事が終わっておらず年が納まっておりません。ほとんどエッセンシャルワーカーかスーパーのバイトリーダーのような感じで、一回り以上若い志ある人たちとご一緒して事態対処の方針を決め、業務の内容を割り振り、粛々と対処し、年明け早々に行う報告に向けた作業を続けています。なんて年末だ。

 思い返せば2025年の年明け1月4日、私は52歳を迎えておりました。50代に入ってからというもの、自分のキャリアや職業人として残された時間について考えることが増え、この年は特に「誰にもできない仕事をやろう」という思いを強く抱いていました。世の中には優秀な人がたくさんいて、代わりがきく仕事であれば若い人に譲ったほうがいいのは間違いございません。でも、長年この業界で培ってきた人脈や知見、経験を総動員しないと成立しないような仕事があるなら、それは自分が引き受けるべきではないか。そんなことを考えながら、できることをできるだけ取り組んでいこうと密かに誓っていたのです。いわば、偉い人とも話ができる社会資本がありつつ現場のマネジメントもある程度できて、具体的な着地を曲がりなりにも果たせる人材というのが不足しているから、私のような人間にも仕事が途切れず降ってくるのだ、私にとっては別に働かなくても一生生きていけるのだとしても、という状態です。

 すると不思議なもので、願いというのは本当に叶うものでして、気がつけば自分しかできないような話がますます増え、それなりに難易度の高い依頼がゴロゴロとやってきました。ありがたいことではあるのですが、率直に申し上げて、やたらと多忙で苦労の多い一年となりました。25年ある月などは、ほぼ無休で440時間も働いていたことがあります。仕事は好きだけど死ぬかと思った。

 一日あたりに換算すると14時間以上ということになりますが、実際にはそんな均等な働き方ではなく、朝から晩まで会議や段取り調整が立て込んで、延々と人間関係や事象特有の事情のパズルを解き続け、ずっと電話したりチャットしたりし、それでありながらやっぱり家族と食事をしたいので一度帰宅して晩ご飯を食べ、そこからまた出かけて作業や会食をこなし、やるべきことが終わって家に戻るのが午前4時、などという日が続いたりしました。自分で書いてて嫌になっちゃう。こんなペースで仕事を続けることは到底できないと自覚しているのですが、困ったことに2026年もおおむねスケジュールが埋まってしまっており、どうしたものかと頭を抱えております。

 2025年を振り返ってみると、政治や政策の世界では、いわゆるマイナスのトリアージとでも言うべき判断を迫られる場面が数多くありました。限られた資源をどこに配分し、何を削るのか。高齢化が進み、社会保障費が膨らみ続ける中で、本来であれば誰かが痛みを伴う決断をしなければならない局面に来ています。私らのような立場は「何か考えろ」と言われればそれ相応の事柄は指摘しつつ段取りや日程を考えることぐらいまではできますが、最終的に判断するのは国民から選ばれた選良としての政治家しかできません。特に「予算が足りない」ので何を削るのかというのは、その政策にぶら下がって生きている人たちを殺すことにも直結します。

 しかしながら、政治がその決断をやり切ることができない場面を、私はいくつも目の当たりにしました。まあなんつーか、途中で腰砕けになったり、本題とは全然違うところで存在感を示そうとしたり、とにかくめちゃくちゃな一年だったという印象が強く残っています。

 特に印象深かったのは、高額療養費を巡る医療費・医療提供体制改革の議論です。日本の医療制度は世界的に見ても優れた部分が多いのですが、持続可能性という観点からは深刻な課題を抱えています。ぶっちゃけ、医療機関にお勤めの医師の皆さんや看護師さんほか関係者の献身的な努力と、それを支える不充分な医療関係費とでギリギリのところで成り立っているわけですよ。特に高額療養費制度の見直しは、まさにその核心に触れる問題でした。いや、国会でお題にするにはちょっと雑過ぎるやろと思うところはありますが。しかし、本来であればどのような医療提供体制を目指すのか、そのために何を優先し何を我慢するのかという本質的な議論があんまりなされないまま、政治的な都合で着地点が決められてしまったという感は否めません。

 1兆円以上削減できると豪語されたOTC薬の問題にしても、試算しろと言われて出した数字がせいぜい800億円、それでも批判は出ますよどうしますかと申した翌月には与党内合意をするんだといって維新さんにレクに入り、維新さんがなんでそれしか削減できないんだとブチ切れてくるかと思いきや、割とそんなものなんですね、まずはやりましょうと進んでいって、肩透かしを喰らったりとか。

 まあ、その点では103万円や106万円の壁の問題も同様でした。当初は空騒ぎに終わるはずだという見方もあったのですが、結局は大きな政治的テーマとなり、財政再建も見越した財源問題と絡み合って、複雑な様相を呈しました。某所に解説記事を書いたのですが、検討はこんな感じで落ち着くだろうという未来予測のものであって具体的な検討内容をそのまま書いたわけでもなかったのですが、ご担当から烈火のごとく激怒した連絡を頂戴したのもいい思い出です。お立場的に、真剣に取り組んでいるんだって言われたらまあその通りなんでしょうが、たいした話にはならないのに政治的に騒ぎになってしまったから一定の着地を目指さないといけないんじゃないですか、と何度も話して理解を得ました。

 さらに、円安や物価高への対策も含めて、本来はこうあるべきという政策の姿をきちんと議論しないまま、政治側の都合で着地させてしまう案件が増えたという印象です。もちろん政治には政治の論理があり、妥協や調整は民主主義において不可欠なプロセスです。ただ、そうした調整の結果として出てくる政策が、本当に国民のためになっているのかどうか、私には疑問に思える場面が少なくありませんでした。

 一方で、2025年は都議選や参院選をかなりしっかりと見させていただく機会に恵まれました。立場を超えて、与野党の重鎮や野党代表の方々から具体的なお話を賜り、その意向を直接確認させていただくという場面が増えました。

 ただ、そうした経験を重ねるほどに、外で語れることが減っていくという現実にも直面しました。オフレコというかご信頼いただいて進め方や意向を伺って実際のそのように手配しているとか、信頼関係の中で共有された情報、まだ公にできない段階の検討事項。そうしたものを知れば知るほど、テレビやあるいはネット記事など文章で自分が語れることの範囲は狭くなっていきます。爺さんジャーナリストが勝手にテレビで喋っちゃって収拾しないといけなくなったりとかさ。なんで私がとかいいながら。法的にどうこうという問題ではなく、人として、責任を持って言えることには自ずと限界があるのです。結果として、自らが登場して語るメディアを整理せざるを得なくなりました。知ってしまうことの責任の重さを、改めて痛感した一年でもありました。

 これまでずっとひっそりと活動を続けてきたサイバーセキュリティ関係の仕事では、逆に私が表に出ざるを得ない場面が増えました。もっぱらご一緒してきたグループのメンバーの都合もあり、これまで裏方に徹していた立場だったのに否応なく前面に立つことを求められるようになったのです。これもまあロジと言いますか「これが問題だからみんな調べようぜ」という、段取りに関わるところでは、ささやかながら私は力が発揮できるのです。メルマガの読者の方からも「なんかセキュリティの話をされていたけれど、こんなド現場のことをやっていたのですか」というお問い合わせをいただくことがありました。

 そらそうよ、ずっとやってきたことですから。実のところ、この分野での活動は2ちゃんねる時代から通算すると足掛け25年近くになります。当時はまだインターネットが一般に普及し始めた頃で、セキュリティという概念自体が今ほど広く認知されていませんでした。その頃から細々と、しかし継続的に取り組んできたことが、スマホ全盛、誰もがネットに繋がる時代となって、いま改めて注目されるようになったというのは、感慨深いものがあります。長く続けてきたからこそ見えるものがあり、積み重ねてきた信頼関係があり、それが今の自分の仕事を支えているのだと実感しています。

 さて、2026年はどのような年にしたいかと考えますと、まずはサイバーセキュリティ関係のことについて、一つの集大成を目指したいと思っています。25年近く関わってきた分野で、自分なりの知見や経験をまとめ、形にする。そんなことができるといいなと。それがどのような形になるかはまだ具体的には決まっていませんが、セキュリティ分野では若い人たちの参画も増えてきたことですし、長年の活動に一つの区切りをつけるような仕事ができればと考えています。

 同時に、仕事のペースは少しダウンさせなければなりません。2025年のような働き方を続けていては、身体も精神も持ちません。思い返せば、なんでこんなに厳しいのかと思うとみんな途中で疲れて病んでひとり、またひとりと離脱してしまって、その仕事を私が巻き取っているからでもありました。補充してくれ。家族からも「そんな働き方だと一年も持たないから、仕事を減らして家族との時間を増やしてほしい」という切実な要望がありました。家に帰って晩ご飯を食べて、また出かけて、帰宅が午前4時、というような生活はさすがに控えなければなりません。自分にしかできないことにこだわって仕事に取り組むという姿勢は維持しつつも、そのペースや量については真剣に見直す必要があるよなあと思ってます。

 また、私は現在博士課程に在籍しており、2026年は博士論文を査読付きでしっかりとこなしたいと考えています。曲がりなりにも法学修士を取り、今後ジジイながらも研究者としてのキャリアを追求するためには、このステップは避けて通れません。仕事に追われる日々の中で、研究の時間を確保することは容易ではありませんが、これも自分にとって大切な挑戦だと思っています。

 公務と個人の仕事と家庭。このペース配分を、2026年はそろそろ真面目に考えなければならないと思っています。数日後には53歳となり、体力的にも以前のようにはいかなくなってきました。無理を重ねれば、いつか大きなツケを払うことになるでしょう。家族との時間、自分自身の健康、そして研究や仕事のクオリティ。これらのバランスをどう取るかは、簡単に答えの出る問題ではありません。

 ただ、一つ言えるのは、2025年の経験があったからこそ、2026年をどう過ごすべきかが見えてきたということです。自分にしかできない仕事を追求したいという思いは変わりません。しかし、それを持続可能な形で続けていくためには、何かを手放す勇気も必要なのだと、この一年で学びました。

 政治の世界では、マイナスのトリアージができずに迷走する姿を見てきました。それを批判するのは簡単ですが、翻って自分自身の人生を見れば、同じような問題を抱えているのかもしれません。何を優先し、何を諦めるか。なんかやってきたことを思い返すと、やめちゃうのがもったいない感じもするんですよね、取り組む時間がないにもかかわらず。その決断ができないまま、すべてを抱え込もうとして疲弊していく。2026年は、自分自身に対してもきちんとトリアージができる年にしたいと思います。

 そんなわけで、皆さま良いお年をお迎えください。この文章が皆さまに着弾するころには年が明けているかもしれませんが。
 

やまもといちろうメールマガジン「人間迷路」

Vol.500 2025年の振り返りと2026年の展望を語りつつ、鈴木宗男さんの訪露問題やメモリ高騰問題に触れる回
2025年12月31日発行号 目次
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【0. 序文】超個人的2025年の振り返りと2026年の展望
【1. インシデント1】訪露した鈴木宗男さんのアレと日露外交の整理
【2. インシデント2】メモリ製品価格の高騰ぶりがすさまじいことになっている件
【3. 迷子問答】迷路で迷っている者同士のQ&A

 
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やまもといちろう
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員を経て、情報法制研究所・事務局次長、上席研究員として、社会調査や統計分析にも従事。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。日経ビジネス、文春オンライン、みんなの介護、こどものミライなど多くの媒体に執筆し「ネットビジネスの終わり(Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

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