内田樹のメルマガ『大人の条件』より

メディアの死、死とメディア(その1/全3回)

パーソナリティ
内田 樹 Uchida Tatsuru
平川克美 Hirakawa Katsumi

 

死がスタートラインになる

平川:先日の君のブログ、タイトルは「死ぬ言葉」だったっけ。そこで「死」「Death」について書いていたでしょう。あの文章がすごく良くてね。

※内田ブログ「内田樹の研究室」2010年4月6日投稿参照。
http://blog.tatsuru.com/2010/04/06_1304.php

今日は「死」についてのメタフィジック、形而上学をやりたいな、と思っていたんですよ。そろそろ僕らもそんな年まわりだし、僕はこの間、死の淵を歩いている人を隣で介抱していたものですから、思うところがいろいろありましてね。君が書いた文章には思わず膝を打ったんですよ。一番良かったのは、死を忌避する理由として……。

内田:一回死んじゃうと二度と死ねない。

平川:そう。その逆説は、レトリックとしてはもちろんありだと思うんだけど、そのことを実感レベルで言えるかどうか、ということが非常に問題なわけですよ。

内田:年取ったからね、われわれもね。

平川:若いやつがそれを言っても、何を言っているんだ、という話になると思います。言葉を弄んでいるレベルになっちゃうと思う。一回死んだら二度と死ねない。つまり裏を返せば、生きている、ということは何なんだ? ということですよね。「死」というものがなければ、生きているということも、もちろんないわけです。若い時は生きることを中心に考えるから、「死」はいちばん最後にある。これが来たらジ・エンドなんだよね。ところがある一定の年になると……。

内田:スタートラインになるよね。ゴールかスタートかというとね。発想が変わってきて、死んだときの自分を想定して、そこから逆算して今を位置付けるようになる。

平川:その話をするのに美学から入ったでしょ?

内田:美的生活。

平川:これが良かったんですよ。

内田:ああ、そうだったのか。

平川:そういう書き方をする人はなかなかいませんよ。日本には「美学」というかたちでの学問はあまりないわけです。ところが、ほとんどすべてのものが、実は美学なんだよね。茶の湯にしても、禅にしても……。根本にあるのは「死」です。「生」の反対概念というか。でもこれはほとんど一緒なんですね。「死」を考えるということは、「生きる」ということについて考えること、どう立ち向かうかを考えることです。これは「美学」でしょう。逆に言うと、ヨーロッパの場合は、学問の体系に「美学」という一つの範疇があるわけです。美学者というのがいるぐらいだから。

内田:迷亭先生ね(※1)。

※1 夏目漱石の小説『吾輩は猫である』に登場する人物。主人公珍野苦沙弥の友人の美学者。

平川:でも日本はちょっと違うよね。

1 2 3 4

その他の記事

古市憲寿さんの「牛丼福祉論」は意外に深いテーマではないか(やまもといちろう)
週刊金融日記 第314号【簡単な身体動作で驚くほどマインドが改善する、日米首脳会談は福田財務事務次官「おっぱい触らせて」発言でかき消される他】(藤沢数希)
正しい苦しみ方(岩崎夏海)
季節の変わり目の体調管理(高城剛)
2022年夏、私的なベスト・ヘッドフォン(アンプ編)(高城剛)
「ヤングケアラー」はそんなに問題か?(やまもといちろう)
テクノロジーが可能にしたT2アジア太平洋卓球リーグ(T2APAC)(本田雅一)
人工呼吸器の問題ではすでにない(やまもといちろう)
「銀座」と呼ばれる北陸の地で考えること(高城剛)
2017年、バブルの時代に(やまもといちろう)
iPad「セカンドディスプレイ化」の決定版?! 「Luna Display」(西田宗千佳)
今年の冬は丹田トレーニングを取り入れました(高城剛)
50歳食いしん坊大酒飲みでも成功できるダイエット —— “筋肉を増やすトレーニング”と“身体を引き締めるトレーニング”の違い(本田雅一)
土建国家の打算に翻弄される南アルプスの美しい山並(高城剛)
世界旅行の際にちょっと得する航空券の買い方(高城剛)

ページのトップへ