新しい読者のための「PLANETS vol.9」その読み方ーー宇野常寛インタビュー(前編)

「実現可能な対案」としての『東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト』

 

「実現可能な対案」としての『東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト

新しい読者のための「PLANETS vol.9」その読み方ーー宇野常寛インタビュー(前編)

 

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いよいよ発売となる新刊「PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト」(以下、P9)。「P9」発売を前に、編集長・宇野常寛がこれまでの「PLANETS」の歩みを振り返りつつ、完成した「PLANETS vol.9」のコンセプト・制作秘話を語ります!

PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト

 

▼参考記事・宇野常寛ロングインタビュー 「2020年東京五輪に向けて、僕たちはどんな未来を構想し、そして実行していくべきか?

◎聞き手・構成:真辺昂

 

理想のサブカルチャー総合誌を創りたかった

――サブカルチャーの評論家として知られている宇野さんが、「PLANETS」の最新号のテーマを「2020年のオリンピック」としていることに意外な印象を受けました。「P9」に至るまでの宇野さんの仕事の変遷を振り返りつつ、その上でなぜ今回PLANETS最新号のテーマを「2020年のオリンピック」にしたのかについて教えてください!

 

宇野:僕が「PLANETS vol.1」から「PLANETS vol.7」(2010年8月発売、以下P7)まででやりたかったことは、一言でいうと「理想のサブカルチャー総合誌」をつくることだったんですよ。僕は世代的に「若者向けのサブカルチャーを批評することが、社会の本質を最もクリティカルに抉りだすこととイコールになる」という確信を持って育ってきた。だから自分がメディアをもちたいと思ったとき、サブカルチャー総合誌という選択以外は考えられなかった。

実際に、PLANETSの最初の5年は「サブカルチャー」の定義が完全に変わっていった時代だったと思う。一言でいうと、あの頃はインターネット以降の若いオタク系文化を基盤にサブカルチャーが再編されて行く時代だった。そして僕自身も、その流れの中に立たされていて、抵抗感を覚えたり戸惑ったりもしながら時代を受け入れいって、自分なりの歴史観と理論を構築していったわけなんだよ。そのひとつの集大成が「PLANETS vol.7」だった。

「P7」ではゲーム批評の特集を組んだんだけど、あの時期って、「サブカルチャーについて批評することが最もクリティカルだった時代」から「メディアのアーキテクチャについて考えることの方がより重要になりつつある時代」へのちょうど転換期だったのだと思うんです。「ゲーム批評」というのは、まさにコンテンツとアーキテクチャが合わさったもので、その結節点だった。そういう意味でも「P7」はサブカルチャー総合誌というものが成立した”最後の瞬間”をうまく切り取ることができた、初期PLANETSの到達点ともいうべき本だった。

たとえばこの「P7」では他に「原宿特集」なんかもやっているのだけど、ここではTEDeXTOKYOでも取り上げた「地理と文化の関係」について議論していて、これは今の僕の仕事にも大きくつながっている。要するにこの頃からメディアの中の表現の変化から、インターネット以降の実空間の変化に興味の対象が移動し始めていた。二次元から三次元への変化と言ってもいいと思います。

地理と文化の新しい関係 : 宇野 常寛 at TEDxTokyo

 

「サブカルチャーに興味がなくなっている自分を認めるべきだ」と言われ……

 

宇野:それから2年が経って、さあ次号「PLANETS vol.8」(2012年12月発売、以下P8)をつくろうと思ったときには、もう完全にサブカルチャーのミクロなシーンに興味が持てなくなっていた。正確にはこれまで考えてきたことを、vol.7以前で取り上げていたようなサブカルチャーを通して考えることがもう難しい世の中になっていたという実感があった。

「PLANETS」はずっとサブカル評論をやってきた雑誌だったから、当時そのことですごく悩んだんですよ。それで、信頼してる何人かの人に相談して回った。その中で、ゲーム作家の田中剛さん、この人は『モンスターハンター』を携帯機に移植して大ヒットさせた人なんだけど、その田中さんに「サブカルチャーに興味がなくなっている自分を認めるべきだ」みたいなことを言われたんですよね。

別にサブカルチャーに興味がなくなったわけではないけれど、少なくとも以前のものとはサブカルチャーと社会との関係が変わってしまったのは間違いない。だから以前のような「かたち」ではもうサブカルチャーに興味が持てなくなっていた。だからその言葉ですごく楽になって、悩んだ末「今自分が一番興味あることをやろう」と腹をくくって「P8」の目次をつくった。

たとえば当時僕は「人々がブログやHPに吐き出した文字情報を、グーグルという独特なアルゴリズムを通すと新しい秩序が生まれる」みたいな議論に疑問を感じていたんですよね。ソーシャルメディアの発達でインターネットが言語ベースではなくなっていく実感もあったし、あるいは当時LINEがどんどん台頭してきていて、WWWのようなものよりもP2P的なものの存在感が大きくなっているのを感じていた。ブラウザっていうメタメディアを通じて世界を見るってことがインターネットの基本ではなくなりつつあると思ったんです。

何より当時Googleは既にウェブサイトを検索する企業ではなくなっていた。ウェブ検索なんて、当時既にWikipediaのインデックスでしかなくなっていたと思う。Googleマップが象徴的だけど明らかにGoogleはインターネットを検索するのではなくて、現実を検索するものになっていた。これはその1年前に『リトル・ピープルの時代』で「仮想現実から拡張現実へ」という言葉を当てて、この時代の変化を整理したときの理解と重なっているわけです。

リトル・ピープルの時代

そういった問題意識を中核に、ゲーミフィケーションがその代表例だけど情報技術が人間観や社会観自体を変えていく、という基本に立ち返って、改めてきちんと世界観を提示したいと思った。それで「P8」の特集は「ソーシャルメディア・ゲーミフィケーション・拡張現実」にした。これは今更インターネット社会論をやりたくなったのではなくて、どちらかというと情報技術×虚構(メディア)の時代から、情報技術×現実への変化に興味があったんです。

「P8」では他に、「衣食住」の問題や、「ニッポンのジレンマ」みたいな中身のないテレビジャーナリズムへの対案としての若手論壇による巻末特集を組んだりもした。後者はともかく、前者は今の僕のメルマガ中心の活動に直接つながっていますね。いまの日本の言論人は「衣食住」の問題を扱うのが苦手なところがある。そして基本的に現実と遊離した薄っぺらい、というか脆弱な思想を掲げては、実効力のなさを「現実と遊離した理想を掲げることが真のロマン主義なのだ」とか理論武装して誤摩化してきた。

僕はそういうのにはもう付き合えないから、「政治と文学」「公と私」の間にきちんと「生活」という要素を置いて接続した思想を構築しなきゃいけないと思った。だからメールマガジンは現代の総合誌、文化から政治までをカバーするものじゃなきゃいけないと思ったし、そこには衣食住の問題を考えることで社会を考えること、つまり私的なものから公的なものを接続して考える回路を再整備する必要があると思った。そして、今それをガンガン実践しているわけです。

しかし「P8」は内容的にもデザイン的にもとことん自分の好きなようにつくった本でしたね。間違いなく僕の最大のターニングポイントだし、なんだかんだで一番大事な仕事だと思う。

 

ワクワクするような2020年の日本のビジョンを

――その流れの中で、今回なぜ「PLANETS vol.9」のテーマを「東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト」としたんですか?

 

宇野:僕はオリンピック開催自体ははっきり言って反対だった。東北の復興を後回しにして、原発問題から目をそらすのもどうかと思ったし、なによりこのオリンピックをきっかけにして、「64年をもう一度」みたいな過去の栄光に縋って、日本がますます後ろ向きになっていくのが嫌で嫌でしょうがなかった。

とはいえ、だからといって単にツイッターとかで偉そうに批判ばっかりしている文化人たちに僕は本当にうんざりしていたので、「だったら自分たちで実現可能な対案を出そう」という態度表明も含めてこのテーマに取り組もうと思ったわけです。

あと、なによりワクワクするような2020年の日本のビジョンを描いてみたかったんですよ。今のネット言論って要するに失敗した奴をあげつらう「いじめ」に参加することでしょ?

僕はそんなものには軽蔑しか感じないし、だからこそポジティブな未来像を提示することでこの嫌な空気に抗いたいと思った。その題材としてオリンピックというテーマはちょうどよくて、開会式・閉会式・競技方法・パラリンピック・都市開発・文化プログラム……等を扱うと、必然的に総合的な社会観や文化観を提示せざるを得ない。

例えば、大きな物語なき時代の「社会」の成立条件という問題は、Aパート(A=Alternative Olympic / Paralympic)で扱った開会式の演出・中継方法、を通じて考えることができる。あるいは社会の多様性を確保するために、いかなるゲーム設計が可能かという問いは「パラリンピックの位置づけをどうするのか」という問題とイコール。Bパート(B=Blueprint)はそのままこれからの都市開発の話だし、Cパート(C=Cultural Festival)の文化プログラムの問題に関しては、今のクールジャパン的な空回りにどう自分たちのポジティブな対案をぶつけることができるのかという取り組みで、Dパート(D=Destruction)の破壊計画に関しては、フィクションというものの可能性の問題について取り組むことができたりする。

オリンピックというものを使うと、思想と社会との接点を総合的に追求することができたんだよね。

ちなみに、総合的であるがゆえに、あまりにも膨大な量になってしまって、結果みなさんにクラウドファンディングという形で泣きつくことになってしまったんだけど……。

 

――でも、結果的に300万円以上の支援をもらっていましたよね……!

 

宇野:本当にありがたいことだと思う。でもそれぐらい、多くの人たちが、2020年へのから騒ぎに疑問を持っているんじゃないかな。あと、やっぱり明るい未来が見たいんだと思うんですよね。こうして共感を得られたのは、単なる絵空事ではなく、ちゃんと「実現可能」っていうところにこだわったからなんじゃないかなと思う。

「P9」クラウドファンディングページはこちら

 

 

 

※この記事は、メールマガジン「ほぼ日刊惑星開発委員会 2015.1.30 vol.252 新しい読者のための「PLANETS vol.9」その読み方ーー宇野常寛インタビュー〉」からの抜粋です。

 

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