はざまに立たされた存在として
人間というのは、文字通り様々の「間(あいだ、はざま)」に立たされた存在である。生と死の間、無と有の間、有限と無限の間、部分と全体の間、夢とウツツの間……。
こうした様々に対立する二極を打ち立てて、その間で葛藤しながらも、なんとかその対立を概念的に乗り越えていこうとする意志が、ギリシアにはじまる西洋学問を駆動してきた「積極」というものだったのではないかと思う。実際、ピタゴラスの時代からすでに意識されていた「離散と連続の葛藤」、「一と多の葛藤」、「有限と無限の葛藤」は、現代にまで脈々と受け継がれて、数学を駆動する大きな原動力になっている。
先日私は、京都大学での講演に向かう途中、奈良の聖林寺に立ち寄って、十一面観音像にはじめてお会いしてきた。いまでもあの日の光景は鮮明に覚えているが、一度観音様を見上げたきり、いつまでもその場に立ち続けていたいと思うほど、なんとも居心地のよい場所であった。観音様は女性的でありながら、男性的で、笑っているようでありながら、泣いているようでもあって、止まっているようでありながら、時折花瓶に挿した花が風に揺れるのが見えるようでもあった。
それは、私が数学という方法で向き合おうとしている問いに対する、まったく違った解法のように思えた。
その他の記事
|
川端裕人×小野雅裕 対談<答えの出ない「大きな問い」が僕らをつないでくれる>(川端裕人) |
|
“スクランブル化”だけで本当の意味で「NHKから国民を守る」ことはできるのか?(本田雅一) |
|
成功を導くのは、誰からも評価されない「助走期間」だ–天才を育む「ひとりぼっちの時間」(ソロタイム)(名越康文) |
|
都民ファースト大勝利予測と自民党の自滅について深く考える(やまもといちろう) |
|
5年前とは違う国になったと実感する日々(高城剛) |
|
旅行需要急増でのんびり楽しめる時間が残り少なくなりつつある南の島々(高城剛) |
|
「スターウォーズ」を占星術でひもとく(鏡リュウジ) |
|
ピダハンとの衝撃の出会い(甲野善紀) |
|
相場乱高下の幸せとリセッションについて(やまもといちろう) |
|
「有休を使い切ったうえで生理休暇って、アリなんでしょうか?」(城繁幸) |
|
銀座の通りにある歩道の意味(高城剛) |
|
夏休みの工作、いよいよ完結(小寺信良) |
|
「減りゆく日本人」出生数低迷と政策的手詰まり(やまもといちろう) |
|
食品添加物を怖がる前に考えておきたいこと(若林理砂) |
|
2本の足で立つ、ということ(やまもといちろう) |











