言葉には射程距離がある
言葉には射程距離があります。
言葉を発する人がそれを意識しているかどうかとは関係なく、言葉にはそれが「届く」距離がある。理屈っぽくいうなら、言葉は辞書的な意味だけではなく、それを発した人が持つ歴史的、心理的、あるいは関係性に基づいた枠組によって規定されるものだということですね。
これは言葉が持っている当たり前の性質なのに、実践的には、しばしば無視されています。そして、それによって失われているものは途方もなく大きいと僕は考えています。
言葉の射程距離は、その言葉を取り巻く枠組みを何となく共有できるかどうかによって決まります。それを共有できなくなった瞬間、言葉はありとあらゆる形で誤読されるようになります。
そして、非常に厄介なことなんですが、この「射程距離」は、発信者の努力だけで広げることはできません。言葉の射程距離は、常にその言葉を受け取る人とともに作りだすしかない。もちろん、それを届かせようという努力とか、力量が発信者に求められるのは当然です。しかしより大切なことは、それが発信され、受信される「場」の力なんですね。それが整っていないことには、言葉は届かない。
それはもう、絶望的に届かないんです。

その他の記事
![]() |
物流にロボットアームを持ち込む不可解、オーバーテクノロジーへの警鐘(やまもといちろう) |
![]() |
音声で原稿を書くとき「頭」で起きていること(西田宗千佳) |
![]() |
正しい正しさの持ち方(岩崎夏海) |
![]() |
初めての映画の予算は5億円だった(紀里谷和明) |
![]() |
世界はバカになっているか(石田衣良) |
![]() |
「文章を売る」ということ(茂木健一郎) |
![]() |
誰かのために献身的になる、ということ(高城剛) |
![]() |
フェイクニュースか業界の病理か、ネットニュースの収益構造に変化(やまもといちろう) |
![]() |
親野智可等さんの「左利き論」が語るべきもの(やまもといちろう) |
![]() |
ネットリテラシー教育最前線(小寺信良) |
![]() |
絶滅鳥類ドードーをめぐる考察〜17世紀、ドードーはペンギンと間違われていた?(川端裕人) |
![]() |
横断幕事件の告発者が語る「本当に訴えたかったこと」(宇都宮徹壱) |
![]() |
平成の終わり、そして令和の始まりに寄せて(やまもといちろう) |
![]() |
「他人に支配されない人生」のために必要なこと(名越康文) |
![]() |
PTAがベルマーク回収を辞められないわけ(小寺信良) |