寝転んで、お腹を掻きながら
「おとな学」なんていうタイトルで、原稿を書いているわけですが、じっさいのところ「おとな」を定義するものなどはないのです。
まさに、ヘーゲルがいうように「王が王であるためには、家臣がいるから」というほかはありません。「おとながおとなであるためには、こどもがいるから」ということですね。では、こどもとは何かということになりますが、こちらの方も定義することなどはできません。「こどもがこどもであるためには、おとながいるから」という他はないのです。
現代という時代は、このこどもとおとなの境界線があいまいになった時代だといえるだろうと思います。その理由は様々あるのでしょうが、わたしは市場経済の隆盛というものが、大きな理由のひとつではないかと考えています。
今回はそのことをご説明しましょう。
もともと、定義も公準もない「おとな」とか、「こども」といった言葉をめぐっての考察ですので、科学的な根拠のある話ではありませんし、何か答えが出てくるような問題でもありませんので、寝転んで、お腹でも掻きながら、お読みいただければ結構です。
寝転んで、お腹を掻きながら、書物を読むというのは、実はわたしが描いているおとなのイメージでもあるわけです。こどもはそんなことしませんからね。
その他の記事
|
人はなぜ働くのか(岩崎夏海) |
|
東京15区裏問題、つばさの党選挙妨害事件をどう判断するか(やまもといちろう) |
|
Amazon(アマゾン)が踏み込む「協力金という名の取引税」という独禁領域の蹉跌(やまもといちろう) |
|
バルセロナが目指す市民中心のスマートシティ(高城剛) |
|
Netflix訪問で考えた「社内風土」と「働き方」(西田宗千佳) |
|
アメリカの「失敗したモデル」を模倣し続ける日本(高城剛) |
|
本格的な移動シーズンに向けて最後の仕上げ(高城剛) |
|
参政党「梅村みずほVS豊田真由子」紛争勃発が面白すぎる件について(やまもといちろう) |
|
「すぐやる自分」になるために必要なこと(名越康文) |
|
「何をやっても達成感を感じられない時」にやっておくべきこと(名越康文) |
|
「嫌われJASRAC」が地裁裁判で無事勝利の報(やまもといちろう) |
|
彼女を部屋に連れ込んでどうにかしたい時に聴きたいジャズアルバム(福島剛) |
|
議論の余地のないガセネタを喧伝され表現の自由と言われたらどうしたら良いか(やまもといちろう) |
|
世界はバカになっているか(石田衣良) |
|
「ローリング・リリース」の苦悩(西田宗千佳) |










