上杉さんは経緯について事実を提示すべき
今、私は、アメリカへ学会に来ているのですが、やはり、アメリカでは、中国に対する感心が圧倒的に大きくなっております。日本に対する関心は非常に低くなっていると感じます。今日のアメリカの新聞でも、例えば、ソフトバンクによるアメリカの通信会社の買収が伝えられていましたが、「これが中国だったら深刻な問題だったかもしれないけど、日本だったら、まあいいか」といった発言が伝えられたりしています。日本のことを報じる上でも、常に中国との比較において語らないとニュースバリューを持たない。そういう雰囲気が伝わってきました。僕は、諸外国の日本に対する関心の低下は、上杉さんが以前から指摘されている「日本のメディアの閉鎖性」と関連があると思います。記者クラブというのは、その一端に過ぎないと思うんですね。例えば、日本の新聞は基本的にスタッフライター、社員の記者による記事しか載せません。しかし、私の理解によると、欧米の主要な新聞は、外部ライターから寄稿された記事を載せることも多々あります。そのような形で取材力の自由競争が行われるようなメディアにならないと、日本の新聞はなかなか進化できないと思います。上杉さんが、記者クラブの問題をはじめとして、日本のメディアの閉鎖性を指摘されていることについては、もっと傾聴すべきところがあると思うんですね。
さて、今、上杉さんが書かれた記事は読売新聞の記事とほとんど同じではないか、読売新聞を書き写した部分があるのではないか、という指摘があり、議論されています。こういうことについて、私は、事実関係を把握する立場にありません。けれども、友人として、上杉さんにもしそういう事実があり、疑われるようなことがあるならば、その経緯や過程について、事実を提示して理解を得るべきだと思います。
このような、記事の参照・引用については、やはりきちんとルールに則ったやり方をしないと、表現者としてまずいと思います。私自身は、文章を書くときには基本的に何も見ません。全部、自分の脳の中から出てきた文字列を置くようにしています。それは、僕自身がものを書く時の一つのスタイルであると同時に、引用や参照については非常に慎重でなければいけないという世間的なコモンセンスに従っているのです。上杉さんは、これについては、いろいろご批判を受けているわけですが、何が事実なのかについては明らかにしてくださればと思います。
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