「あっち」の世界からエネルギーをもらってくるために

『時間の比較社会学』真木悠介著

過去と現在が区別されない時間意識

例えば、北アメリカのホピ族の文化では「十人の人間」を表すのには複数形を用いるが、「十日間」は複数とは見なされない。というのも、昨日と今日、今日と明日は別の日ではなく、あくまで同じ日の繰り返し(再訪)として捉えられ、従って「十日間の滞在」は「十一日目まで滞在」と表現されるのだという(本書p16-17)。

これはホピの言語においては「過去は現在と区別されない」ということ、そして彼らが「以前あったことは(同じ日の再訪としての)今日のなかにすべて畳み込まれていて、遠い先の抽象的な未来など存在しない」という時間意識の下に生きていることを端的に表している。これは近代合理主義の先っちょで、人生の一回性を痛切に感じつつ、たえず前方へ流れていく時間の中で生きている人にとってはまずありえない発想だろう。

むしろ彼ら原始共同体に生きた人々は、自分たちの存在のルーツとしての「あの神話時代の<かのはじめの時>の繰り返しなされる現在化re-present」(エリアーデ、本書p53)の中に生き、ちょうど近代人と逆で、何度も繰り返され、決して一回限りの経験ではないものにこそ価値を置いていた。

そして実はこれ、占星術や占星術で使うホロスコープ(天宮図)には馴染み深い発想だったりするのだ。ある個人の誕生時のホロスコープ(出生図)は、太陽系の各天体が象徴するその人の潜在的な発展性や人生における主要な出来事の大筋を表すものであり、こうした考え方は過去は次々と無に帰してしまい決して現在化しないという直線的な時間意識の視点から見れば、ホピの人々の時間意識と同様に矛盾だらけに映るだろう。

とは言え、理性の光の下で「未来へ向けて現在を組織化する(手段化する)」ことを放棄し、いたずらに意識が分節化されていない無時間たる<かのはじめの時>―ホロスコープに沈潜し、思考停止(トランス)に入り浸ること(スピりすぎ)で、現実逃避の罠にはまったり過剰に他者に依存したり朦朧として分別を失ってしまう危険性については著者もきびしく釘を刺している。

むしろ「あっち」の世界に向かうことを志向するのではなく、「こっち」の世界にたびたび戻ってくる世界の分節(潜在的なものの顕現)過程に身を委ね、うまくリズムを合わせることで、坂を転げるかのような弾みと一緒に「あっち」の世界からエネルギーをもらってくるためにもがくことこそ、「どのように生きたらほんとうの歓びに満ちた現在を生きることができるか。他者やあらゆるものたちと歓びを共振して生きることができるか」(本書p330)という問いへのヒントになるのではないだろうか。

得てしてうまくもらえたときというのは、前稿でも少し触れたような「エスが擬人化され、自我が疎外された」牢獄に穴が開き、どこかしら溶解しているもの。風通しが悪い時は、ぜひ一読されたし。

1 2

その他の記事

ダンスのリズムがあふれる世界遺産トリニダの街(高城剛)
相場乱高下の幸せとリセッションについて(やまもといちろう)
自分の健康は自分でマネージメントする時代(高城剛)
カメラ・オブスクラの誕生からミラーレスデジタルまでカメラの歴史を振り返る(高城剛)
11月に降り積もる東京の雪を見ながら(高城剛)
20世紀の日米関係がいまも残る基地の街(高城剛)
効かないコロナ特効薬・塩野義ゾコーバを巡る醜聞と闇(やまもといちろう)
カビ毒ダイエットという新しい考え方(高城剛)
高城剛のメルマガ『高城未来研究所「Future Report」』紹介動画(高城剛)
miHoYo『原神』があまりにもヤバい件(やまもといちろう)
東大卒のポーカープロに聞く「場を支配する力」(家入一真)
『心がスーッと晴れ渡る「感覚の心理学」』著者インタビュー(名越康文)
スウェーデンがキャッシュレス社会を実現した大前提としてのプライバシーレス社会(高城剛)
かつては輝いて見えたショーウィンドウがなぜか暗く見えるこの秋(高城剛)
「小池百合子の野望」と都民ファーストの会国政進出の(まあまあ)衝撃(やまもといちろう)

ページのトップへ