データジャーナリズムが国の明暗を分ける?
津田:いやー、これは僕もいろいろ本気で勉強しなきゃいけないですね。データジャーナリストの養成機関だとどういうところがあるんですか?
八田:たくさんありますけど、先日、オランダのマーストリヒトで開催されたセミナーに参加した際、European Journalism Centre(EJC)[*57] に立ち寄ったんですよ。EJCは「Journalist working for Journalist(ジャーナリストのために働くジャーナリスト)」という標語を掲げて、ジャーナリスト向けの研修やトレーニング、ジャーナリズムに関する調査・研究を行っている非営利機関です。1992年にオランダで設立されているのですが、主に国際的な活動、とくに欧州全域、アフリカを中心とした活動を行っています。ここはすごくデータジャーナリズムに対して先進的な取り組みをしていると感じましたね。
津田:「ジャーナリスト向け」ということは、すでにプロとして活動しているジャーナリストにトレーニングをする機関ということ?
八田:そうですね。彼らは主に「mid-career journalists」――つまり、ある程度の経験を積んだジャーナリストへのトレーニングを提供しています。ジャーナリズムをまったく知らない素人をジャーナリストにするというのではなく、ジャーナリストがステップアップするための手助けをする、というところでしょうね。今はデータジャーナリズムを一番に挙げていますが、ほかにも市民ジャーナリズムとソーシャルメディア、ジャーナリスト向けの調査ツールといったテーマでもトレーニングを行っているようです。彼らの基本的なスタンスとしては、ほかのジャーナリストたちよりも一歩先を行って、新たな知識や技術をトレーニングする、というところですね。EJCは国際的な組織ですが、欧州各国に国内で活動するトレーニング機関はあるようですよ。また、European Journalism Training Association(欧州ジャーナリズム・トレーニング協会:EJTA)[*58] というジャーナリズムを教える大学やトレーニング機関が加盟する協会があって、ネットワークも構築されているんですね。
津田:お互いに連携・協力して、ジャーナリスト向けのトレーニングがボトムアップされているんですね。こうしたトレーニングって、米国ではどうなんでしょうか?
八田:データジャーナリズムのように先進的な、いわゆるデジタル・テクノロジーを駆使したジャーナリズムに関しては、伝統的にジャーナリズム教育を行なってきた大学が積極的に取り組んでいるようです。たとえば、コロンビア大学のジャーナリズムスクール [*59] では、同大学の大学院工学科 [*60] と共同で、Journalism and Computer Scienceの修士号のカリキュラムを提供しています。[*61] これは、コンピュータサイエンスの領域に詳しい人材を育てるというのではなく、データジャーナリズムのようなことができる人材を育てるためのプログラムですね。
津田:伝統的なジャーナリスト養成学校でも、ジャーナリスト育成のプログラムを時代に合わせてアップデートしているんですね。
八田:米国のアイビーリーグみたいな名門校にはプライドがあるんですよ。「自分たちは世界最高かつ最新の教育を提供している」という自負があるから、やっぱりやるんですよね。
津田:欧州や米国の状況を知るにつれ、日本との格差に暗澹たる気持ちになりますね……。そもそも、日本ではデータジャーナリズムの概念自体があまり知られていないのだから、当然と言えば当然ですが。
八田:確かに、僕が知る限り、日本にはデータジャーナリストのトレーニングを専門とする機関はほとんどないですね。日本ジャーナリスト教育センター(Japan Center of Education for Journalist:JCEJ)がデータジャーナリズムのワークショップを開いていますが、[*62] 専門性やトレーニングのノウハウの部分では欧米に遠く及ばない。ただ、こういった団体があるとないとでは大違いですから、これからに期待したいですね。ほか、大学で行われているジャーナリズム教育もあるはずですが、どういったことを教えているのかまでは把握できていません。
津田:僕は早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース(J-School)[*63] で「ウェブジャーナリズム」を教えていますが、カリキュラム全体を見ると、やはり伝統的なマスメディアで必要とされる知識やスキルの習得に偏っているように思います。取材の仕方、事件報道の仕方、ファクトチェックの仕方――それはそれで大事ではあるんだけど、これから必要になる知識やスキルをフォローできているかというと不十分なところはある。ただ、津田マガのvol.51 [*64] でiPS誤報問題について語ってくれた [*65] 田中幹人さん(@J_Steman)なんかは学生にコンピュータを使ったデータ分析のやり方を教えています。孤軍奮闘でがんばっている教員もいるんですけどね。
八田:海外のジャーナリズム教育・トレーニングでは、データの扱い方はもちろん、わかりやすく見せるためのデザインも含んでいるんですよ。ビジュアライゼーション、ほかのデータやネットサービスとのマッシュアップ、インタラクティブ性もデータジャーナリズムの重要な要素だから、技術のほかにセンスが要求される。デザインも必要なスキルの一つだというわけですね。
津田:なるほど。それならジャーナリズムスクールに限らず、情報デザイン学科がある芸大や美大、専門学校なんかでもデータジャーナリズムのようなものを積極的にカリキュラムに組み込んでもいいと思うのですが、日本ではそういう取り組みもほとんどない。
八田:専門の育成機関もない、大学のジャーナリズム教育では弱い――そうすると、今のところ日本でジャーナリストになるには新聞社に入るしかないんですよね。新卒で入社してOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)[*66] を受ける、みたいな。ただ、その訓練期間としての新聞社がデジタルやIT、データドリブンみたいな新しい領域を苦手としていたし、軽く見ていたから、なかなか欧米のレベルには追いつかない。もちろん新聞社も変わろうとはしているようで、さっき紹介したオランダのEJCにも日本の大手メディアから研修生が来るらしいんです。でも、そういう人は大抵がお年寄りなんだそうです。
津田:あー……いかにもありそうな話ですが、それだとダメな感じしかしないですね。
八田:大手新聞社や通信社のエライ人が視察に来ると。
津田:うーん。それだと意義は薄い気がしますね。大新聞の引退間際みたいなベテランって「記者がツイッターの情報なんか信用するな」みたいなことを真顔で言う人も少なくないですから。そうではなくて、それこそ大学を卒業して数年の、伸びしろのある記者が行って勉強しないとダメですよ。
八田:日本にはなまじっかちゃんとしたジャーナリズムがあるから、新しい概念が入りにくい部分があるんでしょうね。日本でジャーナリストと言えば、基本的にルポライターを意味するんですよ。ルポライターとしての素養――ジャーナリスト倫理とか、情報の分析能力とか、そういったものの重要性はこの先も変わりません。ただ、ジャーナリズムの手法が少しずつ変化するとともに、必要なスキルセットも変わってきている。それに従来のマスメディアのジャーナリズム教育が対応しきれていないと気づかないといけない。
津田:それは中国の状況と対比すると面白くて、あの国には最近までジャーナリズムそのものがなかったんですよね。テレビは国営テレビ局で、新聞も共産党の機関紙だけだった。それが2000年代の胡錦濤体制で急速に経済成長を遂げたものだから、メディアをめぐる状況も大きく変わったんです。2001年には民間資本の新興経済メディア『経済観察報』[*67] が創刊、2003年には公称80万部を誇る [*68] 北京の都市報『新京報』[*69] が創刊されました。中国は新聞の多様化と同時期にネットメディアが台頭したことで、両者に日本のメディアでありがちな「既存メディアが上、ネットは下」という上下関係がないそうなんです。ジャーナリストが新しいスキルを身につけやすい環境があるんですね。
八田:それは中国だけじゃないですよ。「ジャーナリズムは未発達」というイメージのあるアフリカのケニアなんかでも、データジャーナリズムが根付いてきていて、それが投票者登録の増加という形で実際に社会に影響を与えるようにもなっていると聞いています。[*70]
津田:僕が教えているJ-Schoolでも、生徒の半分以上は中国人留学生ですからね。中国の良家の子女が日本で勉強して、祖国に戻って国営放送やメディアに就職していく。海外のほかのジャーナリズム・スクールに留学する中国人留学生も多いことを考えれば、5年後、10年後の中国メディアは激変しているでしょうね。
八田:近い将来、中国でも優秀なジャーナリストなのに食えない――昔の日本でいうトップ屋 [*71] みたいな人が出てきて、データを駆使して中央権力の腐敗をあぶり出すみたいなことを始めるかもしれない。データ分析のノウハウって汎用性があるんですよ。「THE CAVE」で溜め込んだノウハウを活かした諜報機関が突然立ち上がるかもしれないですし、そうなったら恐いですよね。たとえば尖閣諸島のような外交問題にしても、どう宣伝すれば一番効果的なのか、国際社会にアピールできるのかというようなことを、すべてデータではじき出せるようになるんですから。
津田:「ビッグデータ」という言葉がただの流行語ではなく、本当に必要な時代が到来しつつある、と。
八田:データの分析能力が国際競争力に直結する可能性が出てきていると思います。
津田:それを国家レベルで進めている米国や英国、そこに中国も参入してきたら……。日本は今のままでは到底太刀打ちできないですよね。
八田:そうならないために、僕らも活動していかないといけないわけですけど。まずはやはり人材育成が急務です。それをするにあたって重要だと思っているのは、文系・理系を問わず、学びたいという人に手を差し伸べる――EJCのようなトレーニングを提供することじゃないか、と思っています。経験談を語るとかじゃなくて、もっと技術的な話ですね。テクニックに落としこんで教えないといけない。
津田:ベテラン記者が大学行って昔の武勇伝を語っている場合じゃねえだろ、と。
八田:あと、海外の動きを見ていて感心するのはアウトプットの多さですね。たとえばデータジャーナリズムが流行れば『The Data Journalism Handbook』みたいなデータジャーナリズムのノウハウ本 [*72] がすぐに出版されて、学びたい人は本を通じて知識や技術を共有できる。海外メディアは「伝えるための努力」を惜しまない。そのあたりの意識は日本のメディアと桁違いだと思いますね。
津田:なるほどね。じゃあやっぱり僕もツイッタージャーナリズムの本を作らないとダメですね。新刊が出たばかりで、しばらく本は書きたくなかったんだけど。本を書いて、自分のメディアも作っていろいろ若い人に伝えていきたいので、八田さんも協力してくださいね。
八田:ええ。誰かがやらなくちゃいけないですからね。
津田:ぜひ一緒にやりましょう。今日はありがとうございました。
▼八田 真行(はった・まさゆき)
経営学者。ハッカー。翻訳家。コラムニスト。1979年東京生まれ。東京大学経済学部卒、同大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。一般財団法人知的財産研究所特別研究員を経て、2011年4月より駿河台大学経済学部専任講師。専攻は経営組織論、経営情報論。ウィキリークスやアノニマスなどのハッカー文化にも造詣が深い。Debian公式開発者、GNUプロジェクトメンバー、一般社団法人インターネットユーザー協会(MIAU)発起人・幹事会員。主な著書に『日本人が知らないウィキリークス(共著)』(洋泉社)、『ソフトウェアの匠(共著)』(日経BP社)、訳書に『海賊のジレンマ』(フィルムアート社)がある。
ウェブサイト:http://www.mhatta.org/
ツイッターアカウント:@mhatta
《この記事は「津田大介の『メディアの現場』からの抜粋です。ご興味を持たれた方は、ぜひご購読をお願いします。》
[*1] http://tsuda.ru/tsudamag/2012/07/188/
[*2] http://tsuda.ru/tsudamag/2012/08/194/
[*3] 本メルマガの連載「世界のデータジャーナリズム最前線」では、これまでに米大統領選に関連した以下の記事を取り上げた。
「At the NationalConventions, the Words They Used(全国党大会、彼らが使った言葉)」──『ニューヨーク・タイムズ』/2012.9.6
http://www.nytimes.com/interactive/2012/09/06/us/politics/convention-word-counts.html
「How much did Barack Obama spend at the Apple Store? Explore the election spending data (バラク・オバマはApple Storeでいくら使ったか? 選挙キャンペーンの経費データを探る)」──『ガーディアン』/2012.10.15
http://www.guardian.co.uk/news/datablog/interactive/2012/feb/04/election-spending-2012-data
[*4] http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080530/305325/
[*5] http://sankei.jp.msn.com/wired/news/120808/wir12080814540002-n1.htm
[*6] http://techcrunch.com/2012/09/12/romney-digital-director-zac-moffatt/#comment-box
[*8] http://www.rayidghani.com/
[*9] http://www.economist.com/node/21547279
上記記事と同様の内容を書いた日本語で読めるコラムはこちら
http://news.mynavi.jp/column/svalley/489/index.html
[*11] http://mainichi.jp/enta/news/20120512ddm007030170000c.html
[*12] http://www.fabloid.jp/2012/06/05/sarah-jessica-parker-obama-ad/
[*13] http://megumisasaki.com/?p=446
[*14] http://e-words.jp/w/KPI.html
[*15] http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1110/25/news010.html
[*16] http://www.cnn.co.jp/usa/35022779.html
[*17] http://www.nikkei.com/article/DGXDASGM3000D_Q2A930C1FF2000/
[*18] http://sankei.jp.msn.com/world/news/121109/amr12110903190000-n1.htm
[*20] http://bd-dvd.sonypictures.jp/moneyball/
[*21] http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34072
[*22] http://fivethirtyeight.blogs.nytimes.com/methodology/
[*23] http://cds2x.wired.jp/2012/11/13/nate-silver-facts-election/
[*24] http://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/09120901.html
http://globe.asahi.com/mediawatch/091123/01_01.html
[*25] http://www.usaspending.gov/
[*26] http://www.recovery.gov/
[*27] http://www.data.gov/
[*28] https://github.com/jseabold/538model
[*29] http://www.realclearpolitics.com/
[*30] http://www.realclearpolitics.com/epolls/latest_polls/elections/
[*31] http://blogos.com/article/23565/
[*32] http://news.mynavi.jp/column/eutrend/046/index.html
[*33] http://data.gov.uk/
[*34] http://wheredoesmymoneygo.org/
[*35] http://www.kantei.go.jp/jp/singi/it2/denshigyousei/honbun.pdf
[*36] http://www.cas.go.jp/jp/doppou_koubo/
[*37] http://www.cao.go.jp/gyouseisasshin/contents/01/shiwake.html
[*38] http://www.cao.go.jp/gyouseisasshin/contents/02/review.html
[*39] http://radioactivity.mext.go.jp/map/ja/
[*40] http://www.city.sabae.fukui.jp/pageview.html?id=11552
[*41] http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/index_php/city_map/show_map.php
[*42] https://sites.google.com/a/openlabs.go.jp/www/
[*43] https://youchoose.yougov.com/Redbridge2012
[*44] http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1602U_W2A111C1000000/
[*45] http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062173980/tsudamag-22
[*46] 11月15日の東氏本人によるツイート
https://twitter.com/hazuma/status/269265466638360578
[*47] http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_549226
[*49] http://www.kantei.go.jp/jp/fukusouri/press/201212/25kaiken.html
[*50] http://okfn.org/
[*51] http://okfn.jp/
[*52] ジャーナリストに求められているスキルセットについては、八田さんの講演を載録した本メルマガvol.40の「データジャーナリズムが切り開くジャーナリズムの未来」に詳しい。
http://tsuda.ru/tsudamag/2012/07/188/
[*53] http://e-words.jp/w/E383A6E383BCE382B6E382A4E383B3E382BFE383BCE38395E382A7E383BCE382B9.html
[*54] http://e-words.jp/w/E383A6E383BCE382B6E382A8E382AFE382B9E3839AE383AAE382A8E383B3E382B9.html
[*55] http://www.asahi.com/special/billiomedia/
[*56] http://www.asahi.com/special/billiomedia/bubble.htm
[*57] http://www.ejc.net/
[*58] http://www.ejta.eu/
[*59] http://www.journalism.columbia.edu/
[*60] http://www.engineering.columbia.edu/
[*61] http://www.journalism.columbia.edu/page/276-dualdegree-journalism-computer-science/279
[*62] http://d.hatena.ne.jp/jcej/20120802/1343919405
[*63] http://www.waseda-j.jp/
[*64] http://tsuda.ru/tsudamag/2012/11/1223/
[*65] http://tsuda.ru/tsudamag/2012/11/1229/
[*66] http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/ojt.html
[*67] http://www.eeo.com.cn/
[*68] http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110905/222470/
[*69] http://www.bjnews.com.cn/
[*70] http://www.icfj.org/blogs/data-journalism-boosts-voter-registration-kenya
[*71] http://kotobank.jp/word/%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E5%B1%8B
[*72] http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/1449330061/tsudamag-22
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