切通理作
@risaku

切通理作メールマガジン「映画の友よ」より

公開中映画『郊遊<ピクニック>』監督・蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)インタビュー 「俳優」「廃墟」「自由」を語る

問い 「登場人物は、生産に関わっていない人間?」

定住性の希薄さということとも関わるかもしれないが、廃墟に住み、公衆トイレで身体を洗い、デパートの試食めぐりをする『郊遊<ピクニック>』での父と子もそうだし、デビュー作『青春神話』での、ゲームセンターの機械の基盤を勝手に外して、それを転売して稼いでいる不良少年グループもそうだが、蔡明亮作品には、誰かのものをかすめ取って生きていて、自分自身が、たとえば農業のような、大地に根ざした生産に関わってない人物が多いと思う。

そういったことは意識しているのだろうか。

蔡明亮の発言 「生きるという事はどういうことなのか」

この世の中、なかなか飢え死にするってことはなかなか出来ないんですね。難しい。だから『郊遊<ピクニック>』のような父子でも、ああいう風に生きていても食べていけるわけです。

ということはですね、生きるっていうことは、どういうことなのかという事。どこに焦点を絞るかっていうことになります。

『郊遊<ピクニック>』に出てくる李康生の二人の子どもについても、私は次のように設定したわけです。
彼ら二人は、なんとなく楽しく暮らしていると。
とてもそんな悲しい感じではありません。

多くの人は、なんでそういう風にいられるのかって私に訊いてくるわけですね。彼らは廃墟のようなところに住んでいて、お母さんも居ない。
「みじめな生活をしているのに、なんであんな楽しそうにしているのか」って。

けれども、彼らは、父親と一緒にとても安全に暮らすことが出来ている。

べつに学校に行く必要もない、縛られることもない、自由に生きられているので、それだけで楽しいんだっていう風に思います。

いま私たちの社会では、古いものがすぐなくなる代わりに、色んな新製品が出てきていています。

iPhoneの事を見てもわかるように、Appleが、新しい機能を持った商品を、記者発表とかしていますよね。

たとえば「あなたが帰る前に、クーラーが点いてて、そして部屋の明かりが点いてて、音楽まで流れている」という機能を持っている。

「こういうものを開発しました」って記者発表。
そうしたら、集まった若い人たちが、ワーッと拍手をするわけです。

でもそこにどんな意味があるでしょうか。
人が家に帰る前に、なんでそんな明かりが点いたり、音楽が流れたりしなきゃならないのか。本当にそれは必要なものなのか。
無意味なものではないでしょうか?

そこにはまったく無駄な、嘘っぽい概念しかないと思います。

そこから逆に考えると、私のこの映画『郊遊<ピクニック>』の中で、父親が、二人の子どもと、ああいう暮らしをしている中に、なんとなく楽しさがあるような感じがしませんか?

問い 「自由のイメージとは?」

たしかに、子どもに帰れば、そのような自由さを感じられもするだろうし、また一方で、大人たちがバベルの塔のように作り上げた高度にテクノロジー化された世界には、本当に我々が実感できる暮らしがあるんだろうかというのも怪しい。

だが単純にイメージとして、「自由に生きる」ということをありきたりに考えると、太陽の下、あっけらかんと生きていくような印象を持つこともあると思うのだが、蔡監督の作品は、浸水して湿り気が多かったり、汚染された河に侵食されたり、つまり足元不如意で不安定で、カラッとしたものではない印象がある。

蔡監督にとっての自由のイメージは、どういうものなんだろうか。

蔡明亮の発言 「長廻しに、自由がある」

蔡 自由というのは、非常に描写しにくいものです。これはですね、個々人が感じるしかない。

映画の中で表現できる、私にとっての自由は、李康生を撮るということです。

それが私にとっての、大きな自由であり、喜びでもあるわけです。

そして私は、長廻しをする中で、自由を感じます。

その中に、自我を探すことが出来ます。

私は仏教徒なんですけれども、仏教の中での自由、仏教徒の言う自由っていうのはですね、仏心を己の中に見つけること、ということですよね。

だから、そこにこそ真の自由というものがあるわけですね。

 

インタビューを終えて

蔡明亮は 『郊遊<ピクニック>』を撮る時、ストーリーについての説明的な個所などを、どんどん削ぎ落していったと聞く。そして最後に残ったのは、俳優の「顔」だった。

映画評論家の紀平重成は、蔡明亮監督の作品には「厳粛な時間」が描かれていると語る。
それは役者が「そこにただ居る」ということにたどりつくことなのかもしれない。

私は昨年の12月から映画メルマガを始めているが、映画について語ると、どうしてもアウトラインとして、ストーリーやドラマのことについて語ることになってしまう。役者の「顔」それ自体と出会う境地に、私もいつか達することが出来るのだろうか……と、考えさせられる。

蔡明亮は、先ごろ引退宣言をした。その中で、あまりも映画がわかりやすい商売になりすぎていることへの危惧を口にした。次第に観客をパトロンとしなければ成り立たなくなってきている映画産業のあり方への疑問や、ハリウッド的な娯楽映画のスタイルへの自身の無関心。

だが、この日は以下のようにも語った。
「今回の『郊遊<ピクニック>』は、台湾では以前のように自分から券を売りに行ったり、取材を受けることは一切やらなかった。そういう宣伝をしないとこの映画は売れないとかいうプレッシャーを全然感じずに済みました。台湾では美術館上映が決まっているだけだったので、自分が宣伝活動をしなければならないような状況ではなかったので、とても楽でした」

そういう気持ちのゆとりが、逆により広い人に映画を見てほしいという素直な気持ちにつながったようだ。

「私は長いこと映画を取り巻く状況に失望していました。しかし『郊遊<ピクニック>』を作って、20歳以下の若い人で、私の映画を素直に『面白い』と思っている人が居るということを発見しました。若い人がハリウッド映画を見て『面白かった』と言うのと同じように、我々の映画を見てほしいと思います」

これからも映画を作り続けるという蔡明亮自身の意志がそこにはあらわれているのではないかと、私は思った。

※取材は6月19日、シアターイメージフォーラム会議室にて。通訳 樋口裕子

 

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ツァイ・ミンリャン監督と2ショット

蔡明亮 ツァイ ミンリャン プロフィール
Cài Míngliàng 1957年生。台湾で活動する映画監督・脚本家。出身地はマレーシアのクチン。労働者階級の家庭に生まれ大勢の兄弟の中で育つ。大学を卒業するまで戒厳令下であった。20歳の時に台湾へ渡り、都市化・個人化していく社会の変化に直面。

中国文化大学演劇科で映画・演劇を学び、テレビドラマの脚本・監督を手がける。

1991年ゲームセンターにて、後に彼の映画の顔となるリー・カンションを見いだし、92年リー・カンションを主役にした『青春神話』で映画デビュー。

『青春神話』は台湾の中時晩報主催の映画賞で最優秀作品賞を受賞するとともに、東京国際映画祭ヤングシネマ部門ブロンズ賞に輝く。

1994年、長編2作目の『愛情萬歳』はヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品、金獅子賞を受賞。第31回金馬奨の最優秀作品賞・最優秀監督賞も受賞。

1997年には3作目となる『河』でベルリン国際映画祭で審査員グランプリを獲得。翌1998年、『Hole-洞』が第51回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、国際映画批評家連盟賞を受賞。

2013年、長編10作目となる『効遊 Jiao You』で第70回ヴェネツィア国際映画祭審査員大賞と19年ぶりとなる金馬奨監督賞を受賞。ヴェネツィア国際映画祭では本作を最後に引退する意向を発表した。また、自身がゲイであることを公言。

監督作品に『青春神話』(92)『愛情萬歳』(94)『河』(97)『Hole-洞』(98)『三人三色』(01、オムニバスの一本)『ふたつの時、ふたりの時間』(01)『楽日』(03)『西瓜』(05)『黒い瞳のオペラ』(06)『それぞれのシネマ』(07、オムニバスの一本)『ヴィザージュ』(09)『効遊 ピクニック』(13)がある。

『郊遊 ピクニック』

kiri03-compressorシアター・イメージフォーラムで公開中
以後全国順次公開

公式サイト http://moviola.jp/jiaoyou/

 

筆者:切通理作

311964年東京都生まれ。文化批評。編集者を経て1993年『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』で著作デビュー。著書に『お前がセカイを殺したいなら』『情緒論~セカイをそのまま見るということ』『特撮黙示録1995-2002』等がある。『宮崎駿の<世界>』でサントリー学芸賞受賞。今夏に『ゴジラ』のオリジンを生み出した映画監督を論じる『本多猪四郎 無冠の巨匠 MONSTER MASTER(仮)』(洋泉社)を刊行。

 

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「新しい日本映画を全部見ます」。一週間以上の期間、昼から夜まで公開が予定されている実写の劇映画はすべて見て、批評します。アニメやドキュメンタリー、レイトショーで上映される作品なども「これは」と思ったら見に行きます。キネマ旬報ベストテン、映画秘宝ベストテン、日本映画プロフェッショナル大賞の現役審査員であり、過去には映画芸術ベストテン、毎日コンクールドキュメンタリー部門、大藤信郎賞(アニメ映画)、サンダンス映画祭アジア部門日本選考、東京財団アニメ批評コンテスト等で審査員を務めてきた筆者が、日々追いかける映画について本音で配信。基準のよくわからない星取り表などではなく、その映画が何を求める人に必要とされているかを明快に示します。

「この映画に関わった人と会いたい」「この人と映画の話をしたい!」と思ったら、無鉄砲に出かけていきます。普段から特撮やピンク映画の連載を持ち、趣味としても大好きなので、古今東西の特撮映画の醍醐味をひもとく連載『特撮黙示録1954-2014』や、クールな美女子に会いに行っちゃう『セクシー・ダイナマイト』等の記事も強引に展開させていきます。
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切通理作
1964年東京都生まれ。文化批評。編集者を経て1993年『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』で著作デビュー。批評集として『お前がセカイを殺したいなら』『ある朝、セカイは死んでいた』『情緒論~セカイをそのまま見るということ』で映画、コミック、音楽、文学、社会問題とジャンルをクロスオーバーした<セカイ>三部作を成す。『宮崎駿の<世界>』でサントリー学芸賞受賞。続いて『山田洋次の〈世界〉 幻風景を追って』を刊行。「キネマ旬報」「映画秘宝」「映画芸術」等に映画・テレビドラマ評や映画人への取材記事、「文学界」「群像」等に文芸批評を執筆。「朝日新聞」「毎日新聞」「日本経済新聞」「産経新聞」「週刊朝日」「週刊文春」「中央公論」などで時評・書評・コラムを執筆。特撮・アニメについての執筆も多く「東映ヒーローMAX」「ハイパーホビー」「特撮ニュータイプ」等で執筆。『地球はウルトラマンの星』『特撮黙示録』『ぼくの命を救ってくれなかったエヴァへ』等の著書・編著もある。

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