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<甲野善紀氏から田口慎也氏への手紙>
山岡鉄舟との出会い
御手紙を拝見し、貴兄がなぜ現在のような「人間が生きる」という事に関して真剣に考えられ、宗教的な事や様々な哲学等に関心を持たれるようになったのか、非常によく分かった気が致しました。
現在20代ですでに異彩を放ち、活躍をし始めている(貴兄もよくよく御存じの)森田真生氏も、中学生の時、大人は皆「人間が生きるとはどういう事か」という意味が分かって社会で仕事をしているのだろうと思い、その意味を知ろうとして図書館で本をいろいろ探したけれど見つからず、「えっ! 大人って人間が生きる意味もわからないまま平気で生きているのか!」とショックを受けた、という事を私に語ってくれたことがありました。
私の場合は、貴兄とも森田氏とも違います。丘陵を切り開いて宅地開発をする大人達に、根本的不信感を小学生の低学年の時に覚えてから、「大人というのは、しようがない生き物だ」という思いが精神の根本に染み付いてしまい、大人になる事をどこかで拒否していたように思います。
それは幼い頃ひどい人見知りだったという、私自身の性格のためかもしれません。すでに、この事はいろいろな本にも書きましたが、小学生の頃は、母に何か買い物を頼まれると、その物の名を紙に書いてもらいました。そして、その紙を店の人に見せて品物と釣り銭をもらうと、逃げるようにして走って帰りました。多分その頃は、店から歩いて帰った事は一度もなかったと思います。
当時私が通っていた小学校は、電車で何駅乗って通う自宅から離れた所にある私立の小学校でした。なぜ地元の小学校に通わなかったのか。それは私があまりにも人見知りだった事もあります。また当時の(現在も同じ場所ですが)私の家の周辺は、新選組で有名になった天然理心流の剣術を、近所の農民達が学んでいた事で知られたところで(実際、自宅のすぐ近くの豪農だった家には、新選組の近藤、土方、沖田といった人達が来た時、道場に使っていたという味噌蔵があって、子供の頃は私もその辺で遊んでいました)、いわゆる「だんべえ言葉」(たとえば「どうするのかな」を「どうだんべえ」とか「どうだんべえかや」などと言い、また「なによ」を「あによ」と発音)を、私と同世代の子供達も使っていましたから、戦後移住してきた私達からすると、まるで別の国に来たかのように、言葉が通じにくかった事もあったと思います。
とにかく私がいかに人見知りであったかは、いまでもよく覚えています。こんなこともありました。当時は通学で電車に乗るために定期券を使っていたのですが、その定期券を買うための証明書を学校の事務所で書いてもらう時、人見知りの私は「証明書を書いて下さい」という事がどうしても言えず、黙って定期券を見せるしかなかったのです(当時は定期券を買う度に、学校が発行する証明書が必要だったのです)。学校の事務の人は、それで十分に察してくれて、すぐに証明書を書いて渡してくれたのですが、当時の私の大きな悩みは「大人になって、例えば会社に勤めたりしたら、定期券の証明書を書いてもらう時は、やはり口で『定期券の証明書を書いて下さい』と言わなければならないのではないだろうか。いまはこうして黙って定期券を見せれば、それで済むからいいけど、大人になったらそうはいかないのではないかな。しかし自分に言えるかなあ」というものでした。
いまになって考えれば、滑稽なばかりの想像力の欠如です。何しろ大人になったら、それがどんなに単純な仕事であっても、定期券の証明書を書いて欲しいと頼むよりも、もっと複雑な事はたくさん言わなければならない筈です。しかし、そんな事は思い至らず、ただただその事のみが不安でした。
まあ、現在の減らず口の私を知っている方からは、まるで想像も出来ないかもしれません。しかし、本当に頭の回転も鈍かったし、運動も、単に歩いたり走るだけなら比較的耐久力はある方でしたが、短距離を速く走る事も苦手で、球技などまるでダメ。第一、野球のルールも覚えられませんでした。
なにしろ今でもよく覚えているのは、これは多分4歳くらいの時だと思いますが、ひらがなの「み」の字の下のαのように丸くなるところが、上から続けてはどうしても書けず、カギ型の「み」の字の上の部分を書いてから別に○を書き、その後横棒を引いて、それに交叉するようにタスキをかけて、やっと「み」を書くありさま。母が「この子は智恵遅れではないだろうか」と、やや青ざめた表情で私を見つめていたので、私も「自分はどうやらよほどのバカらしい」と思って、「ああ、自分はとても一人前にはなれそうもない」(当時はそんな言葉は知りませんが、気持ちとしてはそんなふうに)と思った事がありました。
中学生となり、高校生となって、まあ友達と冗談も言えるくらいにはなりましたが、そんな私でしたから、こと将来の仕事に関しては、会社に入って勤めるという選択肢はおよそありませんでした。さすがに、その年になれば会社勤めの複雑さも理解出来ましたから、自分はそういう仕事には向いていないと気づいたのです。
小学校の時は、そうした職業の選択肢も思い浮かばず、大人になれば学校ではなく、会社に通わねばならないと思い込んでいたものです。そして、そうした仕事に向かないと気づくと、子供の頃から野山の自然が好きでしたから、おのずから、そうした自然環境のなかで働けたらいいと思うようになり、「南米にでも移住して牧歌的な生活を送りたい」と漠然と思うようになっていたのです。
そういうわけで、農大の畜産科に入ったのですが、大学2年の時、実習の時間に、鶏の雛の鑑別現場で、卵を産まない雄を生きたまま特大ポリバケツに踏み入れて捨てるという光景に遭遇し、「生き物をただの物のように扱うこんな世界には進めない」と、この道を断念する事になったわけです。
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