※内田樹&平川克美のメールマガジン「大人の条件」Vol.111<内田樹と平川克美の<読むラジオ>第65回 村上春樹を読む・上編>より
<編集部より>
この対談は、2013年6月に行われたものです。
村上春樹は「お化け作家」だった!
内田 『聖地巡礼 ビギニング』(東京書籍刊 2013年)という僕と釈先生の本が出るんですけど、本を作るために、熊野古道を歩いたんですけど、あらためて「歩く」ってすごいことだと思った。無言で登るんだけど、片道45分くらいの距離でも、ふっと意識が飛んでいくんだよ。ハイになるというか。他の聖地も同じような体験はできたんだけど、特に熊野はすごかった、意識の飛び方が。階段とか山道をリズミカルに歩いているうちに脳内麻薬が出てくるのかな。
平川 それは脳内麻薬じゃなくて、自然のなかを歩いたことによる効果だと思うね。脳内麻薬は、本当の限界まで行かないと出てこないよ。
内田 かなり危ない状態まで行ったよ。二日かけて、最後は那智の滝まで行ったんだけど、那智の滝って、ずっと滝を見ていたら幻覚が出てくるんだよ! 目の前の岩がぐにゃぐにゃと変形していくんだよね。夕方の四時ぐらいで、お酒を呑んでいるわけでもないのに。それで横にいる釈先生に「先生、えらいことになっています、岩が縮んだり膨らんだりしてますよ」と言ったけど、「そうでしょう、そうでしょう」と頷かれただけだったけどね。
平川 自然の中を歩いていれば、そういうこともあるんですよ(笑)。
内田 いま聖地巡礼が流行ってるって知ってる? ちょうどここに来る前に鎌田東二さん(注:京都大学こころの未来研究センター教授。神職の資格を持ち、神道ソングライターとして作曲活動も行っている)の『聖地感覚』という本が届いたんだよ。「今度、文庫化するんで解説を書いて」と鎌田先生に頼まれてたので読んでいたら、聖地巡礼は1990年くらいからブームになっているって書いてあった。
平川 それは流行ってますよ。僕も隣町探偵団ってやってたじゃない。あれは一種の巡礼だからね。この間、蒲田から矢口渡周辺を四人で歩いていたら、「隣町探偵団ですか?」って声をかけられたんだよ。話をしてみると、その人は松坂の人だったんだよ。つまりさ、彼も小津安二郎の聖地巡礼をしていたんだよね。
内田 なるほど、小津はたしか松坂の出身だからね(編集部注:小津安二郎は10歳の頃に父の実家である三重県松阪市に家族で移住、三重県立第四中学校(現宇治山田高等学校)へ進学した)。確かに巡礼は流行っているよね。「村上春樹巡礼」というのもあるらしいよ。村上春樹にちなんだ場所をまわっていくんだって。
平川 へえ、それはありそうな話だね。
内田 僕が芦屋に住んでいる頃にね、東京から来た友だちが「はじめて芦屋に来たんですけど、ここは村上春樹が住んでいたところですよね」と聞いてきたから、「そうですよ。せっかくだから、村上春樹巡礼しましょうか?」って例の幅50メートルの海岸線にご案内したことがあるの。(注:『羊をめぐる冒険』のラストで「僕」が缶ビールを捨てる場所)
でもさ、あれは実に哀しい風景なんだよ。芦屋川の河口で海岸が区切られていて、わずかな幅の砂浜が残っている。90年に芦屋に引っ越した最初の日曜日に、娘と一緒に車で芦屋川の河口まで行ったときにあれを見て、「ああ、ここがあの場所か・・・」と思って、しみじみしたのを今でもよく覚えてる。
平川 そういえば、今度の村上春樹の新刊『色彩のない多崎つくると、彼の巡礼の年』には、まさに「巡礼」という文字が入っているね。
内田 『多崎つくる』については、僕は『文學界』にわりと長いレビューを書いたよ(2013年6月号「境界線と死者たちと狐のこと」)。
平川 あれは内田ならではの良い分析だったね。
内田 もとネタは江藤淳(1932年12月25日 −1999年7月21日 文学評論家)なんだよ。
平川 江藤淳と、それから上田秋成も入っていたんじゃない?(注:江戸時代後期の読本作者、歌人、茶人、国学者、俳人。怪異小説「雨月物語」の作者として知られる)。
内田 江藤淳に『近代以前』という評論集があるんだ。1964年にアメリカ留学から帰ってきた江藤は「文學界」に「文学史に関するノート」という連載をしていたんだよ。その連載したものをまとめたのが『近代以前』。それが今度文庫化されるから「解説を書いてくれ」と頼まれて読んだんだけど、これが実に面白かった。とくに上田秋成論が白眉で。江藤淳が近世の作家で一番高く評価をしているのは上田秋成なんだよ。西鶴とか馬琴とかはボロクソに貶している。
僕はこの本を読んで初めて知ったんだけど、上田秋成の頃の朱子学者たちというのは今でいうところの「科学主義者」みたいな人たちだったらしい。何につけても「エビデンスを出せ」とか、「明確な論点を示せ」とか、「実証的な事実を示せ」とか言う。だから、お化けとか怨霊とか絶対認めない。でも、上田秋成は「お化けはいるよ」と言い切っちゃう人だったんだよ。
平川 そうだね(笑)
内田 狐憑きとか狼憑きとかは庶民の日常生活においては生々しいリアリティを以て実在しているわけだよ。そういうものを勘定に入れて、日々暮らしている。でも、アカデミックな連中は、それを鼻で笑うわけだよね。「ただの病気です」とか「脳炎です」とか。それは江戸時代も今も同じなんだ。どんな不思議なことがあっても、無理やり科学的な説明をしようとする。
でも、上田秋成は民衆の感受性のリアルに加担するんだ。「狐憑き」だと本人が思い、まわりが思ったら、それはリアルな「狐憑き」なんだ。だから、それを祓うための固有の儀礼や呪文が有効になる。そういう世界では人が物の怪に取り憑かれて死ぬということが現実に起こる。アカデミシャンが見ている現実とは違う、非常に濃密な感性的な現実を近代以前の人々は生きていた。江藤はその近代以前の人々にとってのリアルを掬い取ろうとする。
西鶴は「色」とか「金」とか「義理」とかいうものがぎりぎりのリアルだと思って、それより先はないと思っていた。でも、実際にはこの世ならざるものが生身の人間に切迫してきて、その生き死ににかかわるということはあるわけだよ。
『雨月物語』に収められている物語はほとんど全部が「そこに存在しないもの」がリアルに切迫してくるという話なんだよ。一番怖いのは「吉備津の釜」。
平川 男がある高貴なところから嫁取りをしたんだけど、遊郭の女を身請けして逃げようとする。でも、奥さんの霊が飛んできて、男をバラバラにするという話だったよね。
内田 江藤淳の上田秋成論を読んだ後に村上春樹の『色彩のない……』を読んだんだ。すぐに「上田秋成っぽいな」と思った。たしか村上春樹自身がどこかで上田秋成のことを書いていたなと思いだして、昔のエッセイをひっくり返してみたら、あったんだよ。上田秋成について書いていた。村上春樹が近世日本の文学者の中で一番好きなのは上田秋成なんだよ。嫌いなのが自然主義。村上春樹は「自然主義のせいで日本の文学はつまらなくなった」って書いていた。
平川 海外の作家で一番好きなのはドストエフスキーだよね。でも、確かにそうだね。村上春樹は、上田秋成とか泉鏡花とかから繫がる系譜の上にいると言えるね。
内田 そうそう。村上春樹は秋成、鏡花の系譜に連なる作家だと思う。だって、村上春樹の書く話ってほとんどお化けが出てくる話じゃない。例外は『ノルウェーの森』一作だけだよ。あとは全部「お化けが出てくる話」なんだ。扱う素材が都会的で洗練されていて、文体もクールだから、作品の中にお化けみたいなものが出てきても、読者はなんとなく寓意的な装飾だと思って読み過ごしてしまうんだけれど、違うよ。村上春樹にとって、「この世ならざるもの」はこの世の中の重要なプレイヤーなんだよ。
羊男とスーフィズム
平川 『羊をめぐる冒険』もお化けの話だよね。
内田 そう。この間、井筒俊彦の本を読んでいたら、「スーフィズム」というのが出てきたんだよね。イスラムの神秘主義のことなんだけど、この神秘主義でも実修者は禅やヨガみたいに深い瞑想状態に入る。それについて井筒先生は「日常生活を一階とした場合、地下へ向かって一段ずつ降りていくのである。中には地下二階までいける人がいる」と書いているんだよ。この「中には地下二階までいける人がいる」という文を読んだときには、ちょっとびっくりした。
村上春樹は、「我々が住む世界の一個下に地下階があるんだけれども、そのさらに下に地下二階があって、そこは前近代の暗闇が広がっている」と書いているでしょ。地下二階まで降りられるのはごく例外的な人だけなんだけれど、その人たちもそこに長くとどまることはできない。地下二階に下り、そこで経験したことを地上に戻ってから物語るのが作家の仕事だと。
平川 なるほど(笑)。
内田 それで、僕もまったく知らなかったんだけど、イスラム神秘主義では、憑依される人間は、基本的に羊に憑依されるんだって。たぶん村上春樹はイスラム神秘主義のことなんて知らなかったと思うんだ。ただ頭の中に、フッと羊に憑依された人間、羊の皮を身にまとった人間の像が浮かんできた。ところがさ、「スーフィー」の語源って「羊の毛皮を身にまとって修業する人」なんだよ。まさに「羊男」そのものじゃない。村上春樹がスーフィーズムのことを知っていて、「羊男」を造形したと僕は思わない。実際にふっとそのイメージが浮かんだんだと思う。
平川 すごいね。でも、しかもそれが色々なところに関連しているんだよね。この小説には、緑川というピアノ弾きが出てくるんだけど、「彼はどうやら指が六本あった」ということになっているね。そして、「この指が六本あった人は、歴史上にも結構いたんだ」という話のなかに、『羊たちの沈黙』のレクター博士も出てくるんだよね。ここでも、「羊」に繫がってるよね。(笑)
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