※この記事は本田雅一さんのメールマガジン「本田雅一の IT・ネット直球リポート」 Vol.015(2018年2月23日)からの抜粋です。
僕が“フリーランス”で仕事をし始めた……すなわち、会社員などの何らかの組織に所属することを辞めたのは1993年末のことでした。ずいぶん遠い昔のことのようですが、今でも勤め人だったころの自分を忘れることはありません。
いろいろな考えがあると思いますが、僕がフリーランスという決断をした理由は、そのほうが人生における“幸福の総量”が多くなると思ったからです。ここ数年、僕がよく同じ業界の人たちや取引先の人たちに言われるのが「時代に合わせて適切なテーマを見つけていろいろな業界へ戦略的に展開していますね」という言葉です。あるいは、賢く立ち回っているように見えるのかもしれません。確かにいろんなジャンルの仕事をこなすようになっていますからね。戦略的に流行りものを追いかけているように見えるのかもしれません。
なぜ多様なジャンルのテーマで仕事をしてきたのか
しかし、次はこんなことが流行るだろう、なんてことを予想しながら仕事したことは一度もないのです。そんなことを考えてテーマを決めたところで、あまりおもしろい仕事にはなりません。それよりも、自分が本当に興味を持ったジャンルについて書いたほうがいいのです。
僕の場合、最初はパソコンの記事でした。ふつうのベタベタなパーツ紹介や製品紹介などの文章を書き、技術的背景について取材して書いていました。それが多数の取材をこなしていくうちに、今度は業界の将来の予想をするコラムを……と仕事が広がり、さらに企業向けシステムへのパソコン導入が進む中、ネットワーク企業や(PCサーバーを使った)企業システムの話、半導体業界などなどへと数珠つなぎに仕事が広がっていったのです。特に戦略性があるわけではなく、市場が広がっていくジャンルには自然にニーズが集まります。
その後、コンピューターは本格的に家庭の中に入っていき、パソコンが生み出したデジタルメディアのトレンドが、今度は家電のデジタル化を進めていきます。何時しかデジタル家電と家庭向けコンピューターのトレンドは一体化していき、インターネットサービスの成長、モバイルネットワークの高速化などを経てスマートフォンが生まれてきました。その途中、ハイビジョン映像のパッケージ販売ではBlu-rayが誕生する背景に接しましたし、カメラ産業がデジタル化していく様も、まさに目の前で目撃し、取材し、記事を書いてきました。さらに、パソコンのマルチメディア化の過程で接することがあったハイエンドのオーディオ&ビジュアル業界は、自分自身が興味を持ち趣味としてハマっていったこともあって、いつの間にか“評論家”いう立場になっていました。
AV業界での評論家は、記事を書いたり評論コメントを寄せたりするだけでなく、実際の製品開発において音決めやトレンド作りにも口を出せる、作り手側に近い仕事もあります。近年はゲームデベロッパーや映画会社との付き合いから、コンテンツ事業者どうしをつなぐコンサルティングの仕事も、相手から求められるかたちで始めています。
自分でもどのぐらい広い範囲で仕事をしているのか、最近はよく解らなくなってきました。自分でそんな感じなので、外から見ていると“うまく行きそうなところを戦略的に探して仕事をしている”ように見えるのかもしれません。
しかし、ごく一部の“その人でなければならない”仕事をしている方々を除けば、フリーランスで仕事をするのに、そうそう都合よく時代に合った仕事を選んでいくなんてことはできないものです。ほとんどの仕事は自分ひとりだけでは完結できないため、フリーランスの仕事の多くは、稼ぎを出している企業に依存しているものです。つまり、“戦略的に動く”という主体的な動きで世の中の流れを読み取り、稼いでいきたいのであれば、フリーランスで仕事をするよりも、何らからの企業、組織に属して、その中でイニシアティブを執る術を見つける方が得策だと思います。
では僕はどうしてきたかというと、ただ単にひたすら“好きなことを”をしてきただけでした。しかし、“好きなことをやる”ことが、実はフリーランスで仕事をする一番の意味であり、結果的に成功につながる鍵だったのだと後から振り返って感じています。
世の中の流れではなく、自分が好きなことを追いかける
そもそも、フリーランスで働く人は、どうしてフリーランサーになろうと思うのでしょうか。繰り返しになりますが、「稼ぎたい」のであれば、組織に属するか、あるいは自分自身で会社などの組織を作って指揮を執るほうが、ずっと効率的です。どんなに頑張って仕事をしたところで、フリーランサーの自分は、自分がやった成果のぶんしか収入にならないのですから。
もし、僕がサラリーマンをずっと続けていたならば、すなわちフリーランスとして自由に仕事を選ぶことができなければ、これほど没頭して仕事漬けになることはなかったでしょう。そうすれば今ほどの経験値も得られず、もっと平凡な生活をしていたと思います。興味の赴くままに、おもしろそうだと思ったテーマについてジャンルを問わずに追いかけ、他人の言葉に耳を傾けていたからこそ、それがどう収入に直結するかなど考えもせず、新しいジャンルに手を出していました。
結果的に言えば、そうして興味ある方向、本当に自分がやりたいことにフォーカスすることで、自分自身のやる気を行き出せていたのです。趣味と仕事が一致していたのだから当然ですね。結果的に収入増になったのか、収入減になったのかと言えば、おそらくは勤め人をしていたほうが、収益という面では良かったと思います。僕も安定的な暮らしを得るという意味で、リスクの多さを考えれば決して裕福というわけではありません。
しかし、それでも良かったと思えるのは、絶対的な収入や安定性だけが、幸福度の指標ではないからでしょう。僕の妻の言葉ではないですが、「つまらない顔をしながら働いて、安定した収入を得るのと、自分の好きなことをして不安定でもなんとか生きていけるのでは、どちらが幸せなのか?」ということです。
手に入れられる経済的価値(収入)も“幸せ”を形作るひとつの要素ですが、自由な時間や好きなことに没頭する時間と、嫌いだけれども稼ぎのために使う必要のある時間。この比率が幸福度の総量を決める上でもっとも大事だったのかもしれない。そう今から振り返ると感じます。
その比率や重視すべき要素は、本当に人それぞれで、経済的にもっと安定しなければ心が落ち着かないという人もいるでしょう。ただ、僕にとっては自由に好きな仕事をすることが、何よりも幸福を得るために重要だったということです。
人生の選択が正解だったかどうかは、きっと最期の時にわかる
僕の“幸福の総量”はフリーランスになって増えたと自信を持っていえます。実はこの話は、ある友人の選択の時の話がヒントになっています。
彼は三菱総研の主任研究員として高収入を得ていましたが、キッパリと辞めて中古カメラ修理店を経営するようになりました。カメラが大好きだったからです。年収は数分の1に減ってしまったものの、幸せの総量は増えたと話し、それに奥様も同意していました。「収入も必要だけど、生きていけるのであれば、好きなことに費やす時間が多いほうがいい」とはその友人の談です。
YouTubeのCMにも出た吉田ちかちゃんも、外資系コンサルタント会社を辞めてYouTuberとなり収入の代わりに幸せを獲得していました。そのままコンサルタントを続けていたほうが、彼女は社会的地位を得られていたかもしれません。起業してもきっと成功していたことでしょう。
僕もたまに「なぜ起業しなかったの?」と言われます。もしかすると、何かひとつのテーマに絞り込んで事業を興し、起業家となっていれば、もっともっと多くの収入を得られたかもしれません。その機会はこれまでに何度もありました。しかし、後悔はまったくしていません。家族をきちんと守れるだけの経済力を確保しながら、毎日笑って仕事ができるだけの自由を得てきたのですから「仕事の幸福度×収入」の掛け算で、もっとも大きな値を得られたと思います。
先日のことですが、20年来の友人が亡くなりました。食道がんの発見が遅れ、摘出手術に取り組んで1年の時間は得られたものの、ふたたび転移したがんの摘出後に容態を悪化させ、帰らぬ人となりました。実は彼女にとって、大きな人生の選択を迫られた時、「私はどうすればいいのだろう」と相談されたことがありました。
今回の“幸福度の話”については、既視感のある読者もいるかもしれません。この考え方については、何度か取り上げたことがあるからです。そして、実はこの亡くなった友人から持ちかけられた相談にも同じ切り口で返答していました。
それはソニーからVAIO事業部が切り離されることが決まった後のことです。売却が決まったその日に連絡を受け、いろいろ相談したいと言われていた僕は、友人とご飯を食べながら、彼女が大好きな生ビールのジョッキを傾けていました。
VAIOの事業はかなり大きかったのですが、事業すべてについて人も含めてまるまる譲渡される条件です。特にエンジニアに関しては拒否権がなく、主要なエンジニアはソニーを辞めるのか、それとも新会社に移籍するかしか選べません。エンジニア以外の社員は、移籍先があれば他部門への移籍も可能でした。
そこで、さらに具体的な人事方針が発表される前に、別の事業部、部門への移籍を模索して、社内的に「私はこんなことができる」「私はこんなことをしたい」と営業・アピール合戦を繰り広げていました。新会社での待遇はソニー時代のものを引き継ぐ契約がありましたが、それも当初3年間のみです。そのままVAIOという筏(いかだ)に乗ったまま流されても、業績が悪ければ先はありません。3年という約束も、資金難になれば値下げ交渉となることは明らかです。
そんな中、彼女は本社広報にいました。長年、VAIOの事業部で仕事をしていましたが、本社方針の変更によって、事業部から本社広報に移籍していたのです。ですから、そのまま広報に残れば、VAIOの仕事はできないけれども、ソニーには残ることができる。
しかし、1998年ぐらいからずっとVAIOのプロモーションをやってきた彼女は、そのままVAIOの仕事をしたい、そのほうが自分らしく生きられる。でも将来の不安は大きい。行ったり来たりで、かなり長い間、真剣に悩んでいたのです。
「どうすればいいのかな」と尋ねられ、僕は「幸せの総量で決めるといいよ。僕はライターだから稼ぎは少ないけど、そのぶん、自由があって妻にも愛情を注げる時間を作れる。だから稼げなくても幸せだと思う。ソニーとVAIO、それぞれに勤務して仕事をしたら、どのぐらい幸せになれそうか想像してみよう。その幸福感と将来の収入に関するリスク。両方を掛け合わせて、より幸せだと思うほうを選ぶといいんじゃないかな」
ソニーに残る方向に大きく傾いていた彼女でしたが、最終的にはVAIOへと自ら手を上げて移籍する道を選びました。その後、今でこそ黒字化しましたが、VAIO株式会社は苦難の道を歩みました。
しかし、最期まで大好きなVAIOに関われたことが幸せだと話し、自ら移籍したことを誇りに思っていました。感謝までされたほどです。彼女が永眠する直前まで、自分が本当に好きだと思う仕事を全うできたと考えるならば、選択はきっと正しかったのだと思います。亡くなるほんの少し前、生命の最期の一滴までVAIOへと愛情を注ぎきることができたのだから。
ご冥福をお祈りします。
本田雅一メールマガジン「本田雅一の IT・ネット直球リポート」
2014年よりお届けしていたメルマガ「続・モバイル通信リターンズ」 を、2017年7月にリニューアル。IT、AV、カメラなどの深い知識とユーザー体験、評論家としての画、音へのこだわりをベースに、開発の現場、経営の最前線から、ハリウッド関係者など幅広いネットワークを生かして取材。市場の今と次を読み解く本田雅一による活動レポート。
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