小寺・西田の「金曜ランチビュッフェ」より

「小学校プログラミング必修」の期待と誤解

※メールマガジン「小寺・西田の金曜ランチビュッフェ」2018年7月20日 Vol.181 <違いこそ文化号>より


次期改訂学習指導要領にて、2020年より小学校から順次、プログラミング教育が導入されることとなった。すでにこれに関する広告も盛んに行なわれているところだが、あまり先行しすぎて、イメージだけで語られてしまう危惧も出てきている。例えば主要5教科と並んで「プログラミング」が新設されるとか、全員に教育用のパソコンが必要になるとか、プログラム言語習得が必須とかいった話はよくある誤解であろう。

今年3月に文科省で公開された「小学校プログラミング教育の手引(第一版)」および「小学校プログラミング教育に関する概要資料」がある。プログラミング必修を語るなら、まずここに目を通すべきだ。

・小学校プログラミング教育の手引(第一版)
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2018/03/30/1403162_01.pdf

・小学校プログラミング教育に関する概要資料
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2018/03/30/1375607_01.pdf

 

プログラミング的思考とは

プログラミングが必修化される目的は、多くの人には納得できるだろう。すでに日常的に利用する機器の中にもコンピュータが内蔵されており、それらを適切・効率的に活用していくためには、その動作の仕組みを知ることが重要だ。つまり、それらの機械装置の中身をブラックボックスとして捉えるのではなく、プログラムがどのように動くのかを理解することで、より主体的に使えるようになる。もちろんその先には、創造の能力を開花させる子も出てくるだろうが、そこは遠いところのゴールである。一番手前のゴールは、よりよき利用者を作ることだ。

こうしたプログラミングが必修として導入された背景には、すでに他先進国では必修化されているところが多いことに加え、2019年から利用可能になるデジタル教科書導入ともリンクするところだ。

だがまず最初に必修化される小学校に関しては、科目として「プログラミング」の授業が登場するわけではない。既存の教科の中に、「プログラミング的思考」を取り入れていくことがスタートとなる。

プログラミング的思考とは、端的に言えば「提供された単純な動作をするコマンドを複数組み合わせて、目的を得る」というもので、すでに中学校の技術あたりでは取り入れている考え方だ。つまり簡単な模型自動車にプログラムを流し込んで、目的どおりに走らせることができるか、といったものである。

こうした取り組みは、すでに2010年の段階で筑波大学附属駒場中・高等学校の技術科、市川道和先生との対談で記事にしている。

・コンピュータと子どもの関係、そして情報のカタチ (ITmedia)
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1010/12/news022.html

実はその後、この取材がご縁で、市川先生を中心に制作された技術の教科書の監修をさせていただくこととなった。

・教育図書 教科書 技術分野
https://www.kyoiku-tosho.co.jp/js-kateika/kyokasho/k_001.php

この教科書は、プログラミングにも重点を置いた非常にアグレッシブな教科書であったのだが、現場の先生にもかなりの能力が要求されるため、あまり採用がなかったようで、平成27年で廃版となっている。実に残念である。

それはともかくとして、小学生のプログラミング学習の最初の目的は、使えそうなコマンドを繋いで目的までいくという、「パイプ」の理解や、同じことの繰り返しはまとめてしまう「ループ」といった考え方などふくめ、プログラムのセンスを掴むことである。

これを、通常の授業の中でやっていく。こうした指導は紙の上でもできるが、子供は自分がやった結果が実際にちゃんと動作するかを確認したがる。一人一台とは言わないが、動作が確認できるコンピュータはクラスに数台は必要だろう。

個人的には、もっとも学びやすいのは「音楽」ではないかと思っている。1小節のフレーズを4回繰り返して4小節を作り、それをさらに4回繰り返して16小節を形成する。それだと1小節を16回繰り返すのと違いはないが、4小節目の終わりをちょこっと変えただけでとたんに曲としての構造ができる。ループや、入れ子構造が学べるだけでなく、学ぶプロセスに音が出る楽しさがある。

ただ、今の音楽の先生にシーケンサーを使って指導をせよというのが、めちゃくちゃハードルが高い話になる。おそらくコンピュータの知識がある一般保護者がボランティアとして手伝わなければ、授業が変な方向に進んでしまったり、立ちゆかなくなる可能性が非常に高い。

すでに現在施行されている学習指導要領においても、一般の授業の中でインターネットリテラシーを教育することになってはいるのだが、具体的にどのような指導がなされているのか、保護者としても掴めていないのが実情である。プログラミング教育も、それと同じことが起こりそうだ。

だが学校は、保護者をボランティアとして授業内に取り込むことに関しては、消極的である。それだけ教育の責任というものが、厳格性を求められるからだろう。頭はいいがとんでもないことを言い出すお父さんなど、不確定要素を混ぜたくないという気持ちもわからなくもない。

米国では、専門職を持つ保護者ボランティアが授業を担当するというのは、日常的に行なわれており、子供の人生の選択肢に多様性をもたらすという点で成果を出してきている。これまでにない要素を学習指導要領に加えていくのであれば、保護者や大学生ボランティアなど、先生方の手足となって動いてくれる人材の仕掛けと一緒に回さないと、空回りするだけではないだろうか。

 

小寺・西田の「金曜ランチビュッフェ

2018年7月20日 Vol.181 <違いこそ文化号> 目次

01 論壇【西田】
 「ケータイ入力」の文化史
02 余談【小寺】
 「小学校プログラミング必修」の期待と誤解
03 対談【小寺】
 デジカメWatch折本編集長と語る、「コンデジ奇談」 (4)
04 過去記事【西田】
 通販の雄・アマゾンが「リアル店舗」を開く訳
05 ニュースクリップ
06 今週のおたより
07 今週のおしごと

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