甲野善紀
@shouseikan

「風の先、風の跡――ある武術研究者の日々の気づき」

「狭霧の彼方に」特別編 その1


釈徹宗様

初めてお手紙差し上げます。田口慎也と申します。

甲野先生のメールマガジンにて、先生と往復書簡をさせていただいていた者です。

この度、甲野先生より、往復書簡の内容や私のこれまでのことを、文章にまとめ、釈先生へお送りしてはどうかとご提案いただきました。

私は『いきなりはじめる浄土真宗』を読ませて頂いて以来、甲野先生とのご縁を頂く前から、釈先生のことを存じ上げておりました。ですが、直接お目にかかる機会はこれまでにございませんでした。このようなかたちで、一方的に私のことを書かせていただくのは不躾なことのような気もするのですが、お許し下さい。

以下、少し長くなりますが、往復書簡の文章を引用させていただきながら、私のこれまでの経緯を書かせていただきます。

 

甲野先生との出会いまで

私は2011年から3年以上、甲野先生とメールマガジン上で往復書簡をさせていただきました。

そこでの、主な話題は「信仰」についてのものでした。

私は子どもの頃から「信じる」について関心があり、結局、何を考えていても、そこに引き戻されてしまう状態が、15年以上続きました。それは、私が14歳の頃に強迫性障害を発症したことが、大きく関係しています。

以下、そのことを書かせていただいた箇所を、少し長いのですが、引用させていただきます。
 

私が「人が生き、そして死ぬとはどういうことか」ということを切実な問題として考えるようになったのは、14歳の時に強迫性障害を発症し、その後3年近く、ほとんど家から出られないような生活を送っていたときです。強迫性障害とは、「わかっちゃいるけどやめられない症候群」と呼ばれることもある病気で、要するに「いったん『気になったこと』にこだわり続け、その結果日常生活が立ち行かなくなる病気」のことです。精神科に通い薬物療法を試みましたが、全くと言ってよいほど効果がなく、そのうちに精神的にだけではなく、肉体的にもボロボロになっていきました。その時に、「何故『この私』が病まなければならないのか」ということについて、切実に悩み、考えるようになりました。そしてその問いはまもなく、「そもそも、私が生まれ、生きている意味などあるのか」「ないとすれば、何故このような苦しい思いをしながら、『いずれ必ず死ぬ』のにも拘らず、何もできないまま生きていなければならないのか」という問いに変質していきました。

その後、私は強迫性障害の世界的権威であるジェフリー・M・シュウォーツ博士が書かれた『不安でたまらない人たちへ』という本に出会いました。この本によって私は、強迫性障害の治療には「自らが恐れている対象」に自分を敢えて曝した後、強迫行動を抑え、不安が自然に治まるまで待つことを繰り返すことによって脳内(具体的には大脳基底核の一部である尾状核周辺)の過剰に反応している回路を鎮静化させる「暴露療法」が極めて有効であり、それは自分自身のみの力で行うことができるということを知りました。その後、自分自身で毎日毎日「暴露療法」を繰り返しました。そして半年ほど経つと、問題なく日常生活が送れるレベルにまで強迫性障害の症状は改善しました。

しかし、一度「人生の意味とは何か」「人が生きて死ぬとはどういうことか」という問いに取りつかれてしまうと、そのことについて考えることをやめることはできなくなってしまいました。いわゆる「信仰」に関心を持った方がよく語られることでもあるのですが、そうなると、何故周囲の人間が自分の人生の「意味」も「根拠」もわからないまま、やがて老いて病み、死んでいくという事実に対して「平気」なまま日常生活を送っていられるのか、全く理解できなくなりました。こうなってしまうと、もう他のことなど考えられなくなってしまいます。「人生の意味」や「生と死」のような問いは、時間が経てば自然と消えてなくなる類の「悩み」ではなく、いつまでもいつまでも考え続けてしまうものなのです。

そのような状況のなかで、私は半ば必然的に宗教的な関心を持つようになりました。「自分が置かれた状況を、自分なりに受け入れ、納得する」ためです。しかし、かなり強く惹かれた教えや、一時的には「救われた」と思えた教えもあったのですが、本当の意味で「これだ」というものには、私は出会うことができませんでした。まさに、以前甲野先生がお手紙に書かれていたように、ある宗教の教えを「『絶対にそれが正しい』『それ以外の在りようなど考えられない』とは、どうしても思う事が出来なかった」のです。実際に、当時読んでいた宗教関連の本に救いを求めても、「『神』だの『生きる意味』だの、そんなことを言われたって、根本的には信じられない。それを『完全に信じきる』だけの証拠・根拠がないではないか」という不全感が、常に私に付きまといました。

ただそうはいっても、ならば「科学」によって自分が「救われるか」というと、そういうこともまた、ありませんでした。当時の私は自分の病気自体に興味があり、精神医学や大脳生理学、薬物療法や薬学関係の本を片っ端から舐めるように読み漁っていました。これらの分野について学んでいれば、いずれ「自分の精神を根底から安定させる」方法が見つかるのではないかと、10代の頃の私は期待していたのです。

しかし、ありきたりの言い方になってしまいますが、科学は「何故私がこのような病気になったのか」「何故私がこのように苦しまなければならないのか」といった問いについては、何も答えてはくれません。結局私は、「信仰」によって「人生の意味」などを納得することもできず、さりとて「科学」によって「救われる」こともないという状態のまま、その両方について考え続けることになりました。一時期は毎日毎日、朝から晩までそのことについて考え続けるという日が数か月以上続いたこともありました。そのうちに、自分が「狂い」、やけになって「狂信」に走るのではないかという恐怖感が頭をもたげるようになりました。そこでなんとかバランスを保つために、以前も書かせていただいたように、とにかく「相反する考え方に同時に触れよう」「自分自身の思考を徹底的に揺さぶり続けて、精神的に居つかないようにしよう」と思い定めました。とにかく、当時の自分から見て相反する思想、たとえば「徹底的な無神論を説く書物」と「信仰や宗教を礼賛する書物」とを同時に読み、自分の思考を揺すり続けました。10代の頃の私には、それ以外に自分の思考・思想のバランスを保つための方法が見当たらなかったのです。

強迫性障害の症状がある程度落ち着いた頃、思いもかけぬご縁があり、通信制の高校に進学することになりました。

甲野先生の存在を知ったのは、この高校時代のことでした。甲野先生と養老先生の共著である『自分の頭と身体で考える』を読ませていただいたことが、甲野先生を知る最初の機会だったと思います。それまで武術には全く関心がなく、甲野先生のことも存じ上げなかったのですが、この本のなかで先生が『もののけ姫』についてほんの数行ですが語られている部分を読ませていただいたときに、はじめて先生に関心を持ちました。このときの感情を上手く表現することができないのですが、「『結局人間はこの地球上でいったいなにをやってきたんだろ』というどうしようもない絶望感がずっと尾を引いています」という箇所を読んだ際に、私は「真っ正直に『絶望』していてもいいんだ」ということを学んだように思うのです。

それから甲野先生のご著書を読ませていただくようになりました。そして、以前も書かせていただいたことなのですが、「矛盾を矛盾のまま矛盾なく扱う」という言葉に出会い、「これだ」と思ったのです。信仰に対する関心と拒否感、科学に対する興味と違和感…こうした「矛盾」を、安易に妥協せず、両方共に抱え込んだまま両立させること。それが可能かどうかが私の関心であり、武術ではないのですが、そうした「矛盾を矛盾のまま矛盾なく扱う」ということが、「科学」や「宗教」、「生」と「死」を「扱う」際にも可能なのかもしれない、と思ったのです。この発見は当時の私にとって、大変大きなものでした。

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甲野善紀
こうの・よしのり 1949年東京生まれ。武術研究家。武術を通じて「人間にとっての自然」を探求しようと、78年に松聲館道場を起こし、技と術理を研究。99年頃からは武術に限らず、さまざまなスポーツへの応用に成果を得る。介護や楽器演奏、教育などの分野からの関心も高い。著書『剣の精神誌』『古武術からの発想』、共著『身体から革命を起こす』など多数。

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