「あっち」の世界からエネルギーをもらってくるために

『時間の比較社会学』真木悠介著

「気付いたら終わっていた」という体験

大学生の頃、登山サークルに所属していた関係で、毎年夏になると日本北アルプスの山々を6日ほどかけて縦走登山するのが恒例となっていた。

少しでも標高の高い山を登頂することが登山の醍醐味だろうと考えてしまうようなタイプの学生だったので、当初は北アルプスと言われれば槍ヶ岳のような分かりやすい高峰のピークへ登って、そこから見晴らしのいい景色を眺めることを中心に据えていたのだけれど、回を重ねるにつれ、自然とそういう考えはどこかに消えていった。というか、中心が別の次元へずれてしまったと言った方が正確かも知れない。もちろん低山には低山の魅力があるとか、他にもっと具体的な”知識”が増えていったせいもあったのだけれど、今考えると、そういうこととは根本的に異なるところでの”体験”が要因となっていたのだと思う。

それは、尾根沿いのルートの途中で、何気なく遠くの山嶺へ目を移した折などに、ふっと時間が止まったような感じがして「あっ」となった瞬間のある種の忘我感。あの無時間の濃密さの”体験”であり、あるいは、遠くに見えていたり、眼前に聳えたり、下ると見えなくなっていく山の存在が、現実にはそうであるにも関わらず、ずっと自分と並行して「すぐそばまで訪れてきている」のを風のそよぎと同じレベルのかすかさで感じ、そこからふとワレに返っている”体験”だった。とは言っても、別に神秘体験とかではなくて、子供の頃の夏休みのように、気付いたら終わっていたという、誰しもがかつて経験していたであろう”体験”に近い。

そうしたある種の”体験”の記憶に輪郭を与え、それらとの向き合い方を提示してくれたのが、大学3年生の時に出会った『時間の比較社会学』だった。そこでは、日常生活圏(山では”下界”と言っていた)における世界のありようの自明性の向こう側へ広がっている「あっち」の世界を最もよく逆照射してくれるキーとして<時間意識>が語られていた。

1 2

その他の記事

「ふたつの暦」を持って生きることの楽しみ(高城剛)
メディアの死、死とメディア(その3/全3回)(内田樹)
変化のベクトル、未来のコンパス~MIT石井裕教授インタビュー 前編(小山龍介)
ノーヘル『電動キックボード』をどう扱うべきか(やまもといちろう)
世界60か国で定額通信を実現する「Skyroam Hotspot」を試す(西田宗千佳)
99パーセントの人が知らない感情移入の本当の力(名越康文)
“美しい”は強い――本当に上達したい人のための卓球理論(上)(山中教子)
中国人にとって、「村上春樹」は日本人ではない!?(中島恵)
『ご依頼の件』星新一著(Sugar)
ハダカの「自分」を見つめることの難しさ(紀里谷和明)
自分との対話として「書く」ということ(高城剛)
「お前の履歴は誰のものか」問題と越境データ(やまもといちろう)
「バレなければいい」という行為について(やまもといちろう)
パー券不記載問題、本当にこのまま終わるのか問題(やまもといちろう)
「履歴」をもっと使おう(西田宗千佳)

ページのトップへ