はざまに立たされた存在として
人間というのは、文字通り様々の「間(あいだ、はざま)」に立たされた存在である。生と死の間、無と有の間、有限と無限の間、部分と全体の間、夢とウツツの間……。
こうした様々に対立する二極を打ち立てて、その間で葛藤しながらも、なんとかその対立を概念的に乗り越えていこうとする意志が、ギリシアにはじまる西洋学問を駆動してきた「積極」というものだったのではないかと思う。実際、ピタゴラスの時代からすでに意識されていた「離散と連続の葛藤」、「一と多の葛藤」、「有限と無限の葛藤」は、現代にまで脈々と受け継がれて、数学を駆動する大きな原動力になっている。
先日私は、京都大学での講演に向かう途中、奈良の聖林寺に立ち寄って、十一面観音像にはじめてお会いしてきた。いまでもあの日の光景は鮮明に覚えているが、一度観音様を見上げたきり、いつまでもその場に立ち続けていたいと思うほど、なんとも居心地のよい場所であった。観音様は女性的でありながら、男性的で、笑っているようでありながら、泣いているようでもあって、止まっているようでありながら、時折花瓶に挿した花が風に揺れるのが見えるようでもあった。
それは、私が数学という方法で向き合おうとしている問いに対する、まったく違った解法のように思えた。
その他の記事
|
レンズ企業ツァイス社の歴史を振り返る(高城剛) |
|
新MacBook Proをもうちょい使い込んでみた(小寺信良) |
|
企業のトップストーリーについて思うこと(やまもといちろう) |
|
中国激おこ案件、でも日本は静かにしているのが正解な理由(やまもといちろう) |
|
世の中は「陰謀論に流されない百田尚樹」を求めている(やまもといちろう) |
|
ネットとは「ジェットコースター」のようなものである(小寺信良) |
|
街づくりの鍵はその地域のトップのセンス次第(高城剛) |
|
Amazonプライムビデオの強みとは(小寺信良) |
|
成功を目指すのではなく、「居場所」を作ろう(小山龍介) |
|
バンクーバーの街中で出会う「みっつの団体」(高城剛) |
|
終わらない「大学生の奨学金論争」と疲弊する学びの現場(やまもといちろう) |
|
「脳内の呪い」を断ち切るには(西條剛央) |
|
食欲の秋に挑むファスティング(高城剛) |
|
コロナ禍以前には戻らない生活様式と文化(高城剛) |
|
人工知能の時代、働く人が考えるべきこと(やまもといちろう) |











