甲野善紀
@shouseikan

対話・狭霧の彼方に--甲野善紀×田口慎也往復書簡集(4)

人間にとって、いったい何が真実なのか

 

私が生きていく上で譲ることの出来ない部分

 

少なくとも私が「人間にとっての自然とは何か」という事を、武術を通して追求しようと思ったのは、さまざまな宗教の啓示・神示として伝わっているものが、「絶対にそれが正しい」「それ以外の在りようなど考えられない」とは、どうしても思う事が出来なかったからです。

自然界の絶妙な働きを具体的にそのまま神示として伝えられた宗教は、まず私の知る限りありません。どういう事かというと、例えば農法です。故福岡正信翁によって拓かれた無肥料、無農薬の、いわゆる「自然農法」は、川口由一氏や、近年ではリンゴ栽培の木村秋則氏など、何人もの人々に大きな影響を与えました。この福岡正信翁の自然農法は、基本的に福岡翁の直感によって、その研究が開始されたようですが、具体的方法は福岡翁が数え切れないほどの失敗を繰り返しながら根気よく研究を進められた結果です。

病気の療養中に福岡翁が「人間が生きるに際して、特別な事は何もしなくていいのではないか」という雷に打たれたような直感を得られた事は、一つの啓示といえば啓示ですが、その直感のままに当初放任したミカン山が全部枯れるといった事もあったようですし、本当に大変な苦労をされて、人間が行なう事は最小限で、作物そのものの活力を引き出すという農法を確立されたようです。

そうやって考えてきますと、宗教において「信仰者が絶対に譲ることが出来ない部分」とは、その人の、どうしようもない好みなのではないかと思えます。

しかし、その好みとは、「何だ、単なる好みか」と軽視は絶対出来ないものだと思います。たとえば、私はこの現代日本において、恐らく万人に一人もいないほど、外出の時は和服に袴という姿ですが、これは私に関心を持って下さっている多くの方が御存知なように、私は洋服が、というよりも洋服が脱げないように留めている小物が、いま、その名前もここに書けないほど嫌いで(それでも無理に書けば、芙蓉に似た豪華な花が咲く花木と同じ音で、よく刺青などにも「唐獅子○○」として有名なものです)、それが何よりの動機となって和装をしているのです。これなど単なる好みのように人は思うでしょうが、私にしてみれば、もし日本の国が和装をする事を禁じたら、きっとどこか他の国に行くことを真剣に考えると思うほど、私にとっては私が生きていく上で譲ることの出来ない部分になっています。

今回、この返信を書くことで、あらためて深く考えてみましたが、この「好み」という事は、誰に強制されなくても絶対に守り通す深い信仰ほどに強固なものです。なぜなら、どう考えても私が人目のないところでは、私の嫌いなものがついている洋服を着るなどという事は決して決してあり得ない事だからです。

以上、今回は人から見るとかなり唐突と思われるかもしれない事をいろいろと書いてきましたが、私はもう何十年間もこのように物事を様々な角度から考えてきました。つまり、そうする事によって、私は私の主張や考えが、私個人は「正しい」というか「そうあるべきだ」と思う事でも、世の中全体の状況を見た時には、決してそれを強くは勧められないとの思いも同時に持っていて、それで、まあまあ社会とそれなりの折り合いをつけてきたのです。

ここからまた更に述べ始めますと、予定の字数を遥かに超えてしまいますので、今回はこれまでと致します。今回の、この私の書簡の内容とは全く別の事であっても、田口さんが今思っていらっしゃる事を、またお便り下さい。お待ちしております。

 

 

※この記事は甲野善紀メールマガジン「風の先、風の跡――ある武術研究者の日々の気づき」 2011年01月16日 Vol.019 に掲載された記事を編集・再録したものです。

 

 

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甲野善紀
こうの・よしのり 1949年東京生まれ。武術研究家。武術を通じて「人間にとっての自然」を探求しようと、78年に松聲館道場を起こし、技と術理を研究。99年頃からは武術に限らず、さまざまなスポーツへの応用に成果を得る。介護や楽器演奏、教育などの分野からの関心も高い。著書『剣の精神誌』『古武術からの発想』、共著『身体から革命を起こす』など多数。

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