【対談】山本一郎×辻元清美

辻元清美女史とリベラルの復権その他で対談をしたんですが、話が噛み合いませんでした

B04A2845sm辻元:ピースボートを立ち上げたのは1983年、23歳大学生のときで、その後13年ほど関わりました。最初のきっかけは、大学に入る前に予備校で英語講師をしていた小田実さん(ベ平連などの活動、『何でも見てやろう』などの著作で知られる作家・政治活動家)と知り合ったことでした。もともと大阪で育ったので在日韓国朝鮮人の友だちもたくさんいましたし、貧困や差別の問題も身近だったこともあって、社会問題には関心があったんです。

山本:なるほど。

辻元:その後、1980年に早稲田大学に入学したんですけれども、小田さんから私のところに「(民主化を支援する)国際会議を開くから手伝え」と連絡が来た。それで、実際に手伝うことになったんです。

山本:そのときは、バックグラウンドとか気にせず、自由な感じで手伝っていたんですか。

辻元:ええ、学生ですし、気軽なボランティアですよね。当時、事務所にはいろんな人が出入りしていたんですけど、彼らがどんな人たちかもよくわかっていなかった。よく覚えているのは、第三書館という出版社の社長も事務所に来ていて、私はその会社にバイトに行くことになったんです。そこで自分の企画した夏目漱石の本を作らせてもらえることになって、あれは、うれしかったですね。

「だって実際に見にいかな、わからへんやん」

辻元:それでね、私たちがピースボートを立ち上げる前に、小田実さんたちは、北朝鮮や中国にみんなで行く「アジア平和の船」を出そうと企画していたんです。当時は、レーガン大統領がソ連のことを「悪の帝国」と呼んだりしている冷戦の最中でした。いわゆる「敵国」と言われている国にこそ、行ってみなければいけない、ということで話が立ち上がっていたんですね。でも、結局、船を借りることができなくて、その計画はなくなってしまった。

山本:平和の船が何でややこしい国に行こうとするんですかね… 火薬庫みたいなもんじゃないですか。(笑)

辻元:一方、私たちは小田さんたちのような発想ではなくて、もっとカジュアルに「船旅を楽しみながら、いろんな国に行って勉強できるようなツアーはできないか」と考えたんです。いわばサークルみたいなノリで立ち上げたのが、ピースボートだったんです。

山本:ピースボートの活動が、どうして警戒されるのかというと、「船のツアーを利用して"オルグ"しているんじゃないか?」と勘ぐられるからですよね。確かに、外から見ると恐ろしいことをしているようにも見えるんです。いくら関係者が「サークルみたいなノリだ」と言っても、やっていることは、社会のしくみも国際貢献のあり方も何もわかっていない若者に対して、ピースボートという団体が持つある種の価値観のフィルターを通して世界を見せるということですから。

だから、穿った見方をする人からすれば、国際的な問題に興味がある若者を船に乗せて、ピースボートの都合の良いように思想を教化したり、言い方は申し訳ないんですが洗脳しているように見える。それこそ、辻元さんご自身が予備校時代に小田さんと出会って影響を受けたように、若いうちは新しい価値観に染まりやすいじゃないですか。「こんな考え方もあるんだ」と強く感化されて、場合よっては興味本位で来た若い子が参加して「それがすべてだ」と思ってしまう場合もありますよね。

左翼活動を行う若者の勧誘部隊がピースボートだ、という印象は、いまでも根強くあると思うんですよ。また、反戦運動を手がける一方で、危ない国にも行くと反対しているはずの自衛隊に警護を求めることになる。矛盾もあると思いますよ。

辻元:うーん、でも私は、スローガンを掲げて、ルールに従って一糸乱れぬ活動をして、帰ってきてから仲間に向けて帰朝報告を書くような旅には、絶対にしたくなかったんですよ。よく言っていたのは「ピースボートは、ジグソーパズルだ」ということ。乗ってくる人たちの個性によって、旅の形が作られていくようなものにしたかったんです。だから、参加者を感化させようとかそんな気は毛頭なかったですね。

それにね、私のピースボートでのポリシーは、「港があるところへはどこでも行く」というものだったんです。北朝鮮だろうが、韓国だろうが、ベトナムだろうが、行けるところへは行く。実際、韓国と北朝鮮の両方に行って、冷麺はどちらがおいしいか食べ比べするような企画もありました。ですから、いわゆる左翼活動や市民運動をしている人たちからは、よく「無節操」だと批判されましたね。当時マルコス政権下だったフィリピンへ行こうとしたときも、「独裁政権を支持するのか」と攻撃されました。

山本:え、左翼や特定の市民団体の人たちはピースボートの活動には親和的だと思ってました(笑)。やっぱり、そういうことを言われるんですか。

辻元:ええ、結構厳しく言われましたよ(笑)。でもね、私からすると「だって実際に見にいかな、わからへんやん」って思うんです。

1 2 3 4 5
やまもといちろう
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員を経て、情報法制研究所・事務局次長、上席研究員として、社会調査や統計分析にも従事。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。日経ビジネス、文春オンライン、みんなの介護、こどものミライなど多くの媒体に執筆し「ネットビジネスの終わり(Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

その他の記事

「罪に問えない」インサイダー取引が横行する仮想通貨界隈で問われる投資家保護の在り方(やまもといちろう)
狂気と愛に包まれた映画『華魂 幻影』佐藤寿保監督インタビュー(切通理作)
IT野郎が考える「節電」(小寺信良)
少ない金で豊かに暮らす–クローゼットから消費を見直せ(紀里谷和明)
「オリンピック選手に体罰」が行われる謎を解く――甲野善紀×小田嶋隆(甲野善紀)
Amazon(アマゾン)が踏み込む「協力金という名の取引税」という独禁領域の蹉跌(やまもといちろう)
眼鏡っ子のための心を整えるエクササイズ(名越康文)
秋葉原のPCパーツショップで実感するインフレの波(高城剛)
「コロナバブル相場の終わり」かどうか分からん投資家の悩み(やまもといちろう)
現代社会を生きる者が心身を再構築するためのひとつの手法としてのアーユルヴェーダ(高城剛)
どうせ死ぬのになぜ生きるのか?(名越康文)
『エスの系譜 沈黙の西洋思想史』互盛央著(Sugar)
中島みゆきしか聴きたくないときに聴きたいジャズアルバム(福島剛)
「東大卒ですが職場の明治卒に勝てる気がしません」(城繁幸)
PTAがベルマーク回収を辞められないわけ(小寺信良)
やまもといちろうのメールマガジン
「人間迷路」

[料金(税込)] 770円(税込)/ 月
[発行周期] 月4回前後+号外

ページのトップへ