やまもといちろうメルマガ「人間迷路」より

(ある意味で)巨星・石原慎太郎さんを悼んで


 22年2月1日、政治家の石原慎太郎さんが亡くなられました。

 そうそう頻繁にお目にかかることのできる方ではありませんでしたが、都知事任期最後のほうから太陽の党の立ち上げ後、次世代の党を経て橋下徹さんとの維新共同代表のころまではしばらく毎週のようにお目にかかり、いろいろと薫陶を戴いたという点では大変に刺激的で、ユーモラスで、非常に愉快で豪快で快活なお爺さんでした。

 ある意味で、美学と申しますか、拝見していて「どうだ、俺はかっこいいだろう」という、それでいて江戸っ子のいう「粋」ともまたちょっと違った押し出しの強さの中に、なぜ俺の言っていることが分からないのかという不満のエネルギーを混ぜてジェット噴射させたような推進力だったのですよ。

 もちろん、ああいう方なので非常に敵味方きっぱり分けて対応されるなかで、一方で、俺の言うことは、俺が言い続ければ最後には相手も分かってくれるだろうという、大変謎な博愛主義をもお持ち合わせで、その点では最後まで誤解され続けた偉人だったなあと思います。そして、踏み絵として「俺の言うことは分かってくれているよな?」という、正面から踏みつぶしに来るような強い圧をも感じさせることがあったのをよく記憶しています。

 また、人間どんなに衰え、自分の健康に自信がなくなっても、政治家というものは最後の最後まで国民から支持されていることを疑わず、その頂点である総理大臣の椅子に就きたいと願うものなのだ、というのは骨の髄まで教え込まれました。それが、政治家という生き物の宿命なのだと。逆に言えば、石原慎太郎さんは自分自身の「表現として」政治活動を始め、誰かのためというよりは、漠然とみんなが良ければそれでいい、その真ん中に自分がいればいいという感じでお考えだったように思うので、その点でも非常に特殊な人だったのではないかと思います。

 さらには、女性運動や左翼的な市民活動については、石原慎太郎さんは繰り返し、はっきりと「偽善」と言い切り、そういう騙しとは戦うのだという姿勢とともに人にはあるべき慎みやかな態度というものがある、と力説しておられました。いわゆる保守政治家の中でも、大変に筋金入りのものだったと言えましょう。その反面、具体的な政治ポリシーとしてはタカ派の面もありつつ実は「よきにはらかえ」型で、某都副知事とのちょっとした対立で周りが騒動になっても、自分が対立している部下でありある種寝首をかかれたような状態なのに、石原さんが周囲に「まあ、あいつにはあいつの考えもあるから、あとはお前らとあいつでよく話し合っていい感じでやっておいてくれ」と言い放ち、私らたまたま同席しただけの有識者も含めて全員椅子から落ちる騒ぎとなったのもいい思い出です。

 いつぞやはご自身で設定した会議を悠然とぶっちされ、いつもなら石原慎太郎さんのためにと集まるメンツもさすがに憮然としたざわつき方をした折も「俺がいなくても進む会議なのだろう」と一見意に介さずにおられた割に、後から「いや、あれは実は」とそれとわかるように釈明されるあたりが石原慎太郎一流の処世だったのかもしれません。みんなも、まあ、仕方ないか、と。

 異変があったのは、やはり都知事最後のほうでなかなかおっしゃる内容が旧知の人間にとっても分かりにくく、また聞こえづらくなる一方、いろんなお話は聞きたがり、しかし石原慎太郎さんの口から出る言葉はちょっと違った雰囲気の方面のことになることもしばしで、お疲れなのだなあと思っておりました。焦点が定まらないと申しましょうか。そこから急転直下で橋下徹さんとの野合へと打って出たり、某元帥を担いで選挙に打って出るような話もあったりで、結構マイルドではない感じの殿ご乱心もありました。

 往々にして、そういう老境の政治家の周辺からは権力のにおいがしなくなるとサーッと人が離れていくもので、ある時期から、なかなかお願いしてもお目にかかれない石原慎太郎さんが、むしろ積極的に「おう最近は何してる」とお声をかけてくださるようになりました。とはいえ、メディアにも連なる人間として、これは表に出してはいけないなという雰囲気になるわけです。これはあかん雰囲気の話だ、と。出版社の方々も新聞記者もそのあたりは弁えている人が多かったのが、石原慎太郎さんの人徳だと思います。

 そういう流れもありましたので、近くの皆さんもなるだけ石原慎太郎さんが心穏やかに、世情の俗っぽい雑音は耳に入れないようにして、良い意味で威厳を保ちつつフェードアウトする方向にいったのは良かったことなのでしょうか。著名人の呼びかけで石原慎太郎さんと東京オリンピックを観る会も自然と立ち消えとなり、ご存命のうちに菅義偉政権下で無観客ながら東京オリンピックを見せられたのは良かったのかどうか。

 なもんで、私は石原慎太郎さんとのかかわりにおいて、政治家としての全盛期をまったく存じません。篤くご紹介いただいた佐々淳行さんも鬼籍の方となり、また、平沼赳夫さんも追悼のお言葉を発表しておられましたが、かの時代で仰ぎ見た偉大な政治家や実力者の皆さまが時を経て静かに舞台を降りていく姿を見ると気持ちが大変に引き締まる思いです。

 おそらくは、石原慎太郎さんのことなので最後まであれこれややこしかったかもしれませんが、グアムでご家族とご一緒した際、ご子息4人の活躍に対してむしろ冷ややかに「あれはあれで好きに生きたらよい」と突き放した言葉を真顔でおっしゃっていたのが印象的でした。長い時間お話を聞く機会がありながらも、あの一節だけは、いつまでも心に残ります。正直、何を仰いたかったのだろう。ご真意が分からず、それだけが、私の悔いでもあります。

 石原慎太郎さんというのは、非常に強い、一個の屹立した人生だったのだなあと、訃報に接して感じ入った次第です。 

やまもといちろうメールマガジン「人間迷路」

Vol.358 石原慎太郎さんを悼みつつ、自動車のサイバーセキュリティやYahoo! JAPANの欧州向けサービス撤退などを論じる回
2022年2月3日発行号 目次
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【0. 序文】(ある意味で)巨星・石原慎太郎さんを悼んで
【1. インシデント1】自動車が今後直面するであろうサイバーセキュリティという課題
【2. インシデント2】Yahoo! JAPANのサービス「GDPRを遵守できません」の(ちょっとした)衝撃
【3. 迷子問答】迷路で迷っている者同士のQ&A

 
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やまもといちろう
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員を経て、情報法制研究所・事務局次長、上席研究員として、社会調査や統計分析にも従事。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。日経ビジネス、文春オンライン、みんなの介護、こどものミライなど多くの媒体に執筆し「ネットビジネスの終わり(Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

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