人間の側で判断するものではない
この信仰と距離感、「跳躍」や「ただある」ということは、信仰における「本物」や「正しさ」の問題とも関わってくるものだと思います。今回、『ピダハン』のセウ・アルフレッドの箇所を目にしたとき、私には「本物の信仰とは何か」ということを考えました。
この往復書簡が始まるきっかけとなった昨年10月の甲野先生へのお手紙のなかで、私は影響を受けた牧師さんのことを「本物の信仰者」と呼びました。しかし、今考えると、この表現は適切なものではなかったのではないかと思います。
もちろん、私が彼の信仰者としての生き様に深く感動したことは事実なのですが、それは「本物の信仰者か否か」ということとは「別の問題」だと思います。以前、その牧師さんも「私の信仰が『本物』かどうか、私には、クリスチャンにはわかりません。それは『主』が判断されることです」ということを仰っていました。人の信仰が正しいか、それが「本物」かどうかということは、人間の側で判断するものではないということです。
吉本隆明氏は親鸞の思想を受けて、「『死』は人間の手のうちには入らない」ということを仰いましたが、キリスト教徒にとっては「信仰」という行い自体もまた、完全には人間の手のうちには入りきらないものなのだということかもしれません。
「正しい」信仰というものは、究極的には、少なくともキリスト教では、人間には判断できないということです。このことを踏まえずに「本物の信仰者」という言葉を安易に使用してしまったことはよくなかったと、今の私は思います。そのようなことは、私が判断できることではないのです。
セウ・アルフレドについて考える際にも、この点は忘れてはならないと思います。人生の最後、死を目前にしたときに、信仰のなかで静謐な死を迎えることができたセウ・アルフレドが「正しい信仰を持ったキリスト者」であり、今際の際で嘆き悲しみ、絶望のなかで死を迎えたキリスト者が「間違った信仰を持ったキリスト者」であるということにはならないということです。ある人間の死に臨む姿と、その人間の信仰が正しいか否かということを、安易に結びつけてはならないということです。
宮沢賢治の抱えた「矛盾」
こうした信仰における「正しさ」「本物」ということについて考えるときに、私が思い起こすのは宮沢賢治のことです。宮沢賢治は、「ほんたう(本当)の信仰」とはなにかということに、生涯こだわり続けました。己の身を削りながら、自らの信仰を問い続けました。そこにはテロリズムとも結びつきかねないほどの過激な部分があったようです。私は彼の信仰に賭ける生き様には凄まじいもの、圧倒されるものを感じます。そこにある種の尊敬の念を持つことも事実です。しかし、その「過激な」部分に関しても、慎重に考える必要があると思います。
「ほんたう」を強烈に求め続ければ続けるほど、人は過激になります。
信仰している宗教の教え如何の部分もあるかと思いますが、テロリズムに接近していくこともあり得るのです。「自分の命を棄てることも厭わない」という姿勢に結びつくこともあります。前回の文章でも触れさせていただいたことですが、「命を賭けてこそ、命が最大限に輝く」という逆説が、もっとも強烈に噴出してくるもののひとつが信仰、そして殉教だからです。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」
「うん、僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体なんだろう。」ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。
「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧くようにふと息をしながら云いました。
(『銀河鉄道の夜』)
この宮沢賢治が持つ、自らの命を削って外へ外へと向かう信仰が端的に表されているものが、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉です。これは宮沢賢治の宗教家としてのスケールの大きさを表すものとして、彼の「大乗の精神」を表すとして賛美されることもあるのですが、仏教者で作家の玄侑宗久氏は「方向が逆ではないか」と仰っています。
「賢治という人は「慈悲」というものにものすごくこだわりました。「捨身飼虎」とか、わが身をロウソクのように燃やして磨り減らす菩薩の話も大好きだったようです。そういうことをこそ、「しなければいけない」と考えた人だと思います。けれども、私はそういう「利他」は、「自利」と同時に開始することはできるにしても、「自利」をないがしろにした「利他」ははたしてありえるのだろうかと思うのです。ところが、『法華経』そのものがそういうふうには説いていないことが問題だと思うのです。ですから、「慈悲」というものをめぐって、彼はひじょうに苦しんだ人だと思います」(『<問い>の問答』)
宮沢賢治という人は、強烈な「矛盾」を抱え込んだまま生きた人だったのだと思います。私が彼の生涯に関心を持つのは、その矛盾が研ぎ澄まされたかたちで彼の生き様に現れているからかもしれません。彼の思想の内容以上に、矛盾を抱え込んでいかに彼が生きたかという生き様に関心があるということかもしれません。ここでもやはり、「矛盾をどう扱うか」ということが問題になります。
吉本隆明氏は、宮沢賢治がこだわった「ほんたう」について、以下のような見解を示されています。
「さて、ではその宗教はどういう宗教なのかというと、『銀河鉄道の夜』(新潮文庫ほか)のなかには「ほんたう」(本当)という言葉がたくさん出てきます。「ほんたうの神さま」「ほんたうのさいはひ」(本当の幸い)「ほんたうの考」……と。「ほんたう」という言葉をたくさん重ねて何かをいわんとしているわけですが、ではそれはどういうことかというと、具体的なものはなくて謎のまま、という感じがします。それはやはり、「ほんたう」という以上のことをいうと必ず間違えてしまうからではないでしょうか。それで、そのまま置いておいた、矛盾を矛盾のまま置いておいたということではないかと理解しています」(『「すべてを引き受ける」という思想』)
信仰における「ほんとう」の問題は、私が10代のころから抱えていた問題で悩み、苦しんでいた際に出会った「矛盾を矛盾のまま矛盾なく扱う」という甲野先生の言葉とも関わってくる問題なのでしょう。
今後、私は「信じる」ということと「ただある」ということについて、信仰における「ほんとう」ということについて、「矛盾を矛盾のまま扱う」ということと結びつけながら、更に考えていきたいと思います。そしてその際には、ピダハンの人々の日々の営みや、セウ・アルフレドの死の場面について、何度も何度も、繰り返し思い返すことになると思います。
田口慎也
※この記事は甲野善紀メールマガジン「風の先、風の跡――ある武術研究者の日々の気づき」 2012年07月16日 Vol.032 に掲載された記事を編集・再録したものです。
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