切通理作
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切通理作メールマガジン「映画の友よ」

「こんな死に方もありますよ」と、そっと差し出す映画です ~『痛くない死に方』監督高橋伴明×出演下元史朗インタビュー

人には必ず訪れる<死>。そこに直面する「在宅医」と「患者」と「家族」の物語。

それは<死の自己決定>という、文明化を遂げた人類にとって、最後に残されたテーマへの直面があった。

10万部ベストセラー『痛くない死に方』『痛い在宅医』の著者である長尾和宏は尼崎市の在宅医。氏の著書と経験をモチーフに高橋伴明監督が本作の脚本・監督を手掛けた。主人公は柄本佑演じる在宅医で、長尾氏をモデルにしたベテラン在宅医から薫陶を受け、成長していくプロセスも描かれる。

映画の前半部で、凄絶な闘病の果てに死んでいく老患者を、高橋監督の初期作品から多くの映画で現場を共にしてきた下元史朗氏が演じている。今回はこのお2人に話を伺った。


出会いの頃は「恥ずかしいぐらい青春映画だった」

切通 お2人が初めて出会ったのは?

高橋 共通の飲み屋でしょっちゅう会ってたのは、よく覚えてます。

下元 僕は大阪で、監督とは同じ関西圏だから話も合ったんです。僕は役者やっていたし。ピンクの現場も手伝ってた。監督はその頃ピンク映画やってたんで、紹介してもらって、東活っていう映画会社の作品に出たんです。それで出たのは監督のじゃなくて、亡くなりましたけど、小林悟っていう、ピンク第一号の監督の作品。

高橋 俺が紹介したの?

下元 そうだと思う。監督はその時現場にはいなかった。

高橋 その記憶はあんまりないです。俺の映画に出たのは、(監督作の)2本目(1976年『非行記録 少女売春』)からだよね。俺、1本撮ってしばらく辞めてたんですよ。だから復活してからの1本目からです。

下元 若松孝二さんのもとで監督が撮りだして、そっからはわりともうずうっとです。

切通 その後一般映画を撮られるようになってからも、下元さんはずっと出られていて、皆勤賞になるかと思ったら、ある時、ちょっと下元さんには休んでもらってるって監督がおっしゃっていたのを覚えています(『少女情婦』DVD化の際のインタビュー時)。

高橋 あの時はね、「出禁」にしてたんです(笑)。まあ、あのう、シモは役者としては、わかりやすい言葉で言えば「うまい」と思うんですよ。器用だし。正直言うと、もったいないなっていうね。やっぱり、酒にやられてたかな。

下元 (笑)。

高橋 もっとストイックだったら、もっと世の中に知られている役者になったと、俺は思いますよ。当時自分の中では、大杉漣より上の位置づけだったから。俳優としてのポジション。

下元 漣ちゃんが監督の作品に出たのは、僕がレギュラーで出始めて、20本ぐらい後だったのかな。

高橋 だから、シモの場合、酒のことがなかったらね……2回ぐらい出入り禁止にしたことがある。出禁というのは、もう呼ばないということ。

下元 呼ばれない。

高橋 だから僕から見たら「惜しい役者」ですよ。

下元 (笑)

<高橋伴明監督(左)と下元史朗さんは長年の付き合いだ>

切通 ピンク時代はほぼ皆勤で。

高橋 俺の最初の頃の映画は、モロ青春映画だった。

下元 そうですね。

切通 下元さんの演じる痩せぎすの若者が、青春のもがきとして身体ごとぶつかっている映画でしたね。軋みが聴こえてくるような。『蕾を殺る』(1977年)での、愛する女性と関係を持った男たちを全員殺して、それでも彼女に去られて衝動的に飛び降り自殺する青年役も鮮烈でした。

高橋 恥ずかしいぐらい、青春映画してましたね。

下元 いやべつに俺自身は「恥ずかしい」って感じはなかったですよ。やくざの役も演ったし、妹と死んでいく役とか……。

切通 『少女を襲う!』(1979年)ですね。農村で知恵遅れの妹と2人で暮らしていて、都会に出てひどい目に遭って、妹を死なせてしまって、最後は公園のベンチでフランスパン持った下元さんが倒れ込むと、墓標に見えるという。希望が絶たれた時が死ぬ時。

下元 森田童子の歌が流れてね。森田童子の歌が映画に使われた最初。

切通 野島伸司ドラマよりずっと前のことですね。

高橋 勝手に使ったのに、森田さんから逆に、映像をコンサートで使わせてくれって頼まれました。

切通 妹に売春させて死に追い込んだやくざの事務所に下元さんがガソリン撒きに行くシーンあるじゃないですか。

下元 そうそう。あったね(笑)。

切通 だけど中からやくざが談笑している声が聴こえてくると、入り口にちょっとだけガソリンこぼしただけで、怯えて駆けだしていく。あの情けないところがグッときました。

下元 監督とは、もう40年ぐらいやってきてるし、思いとしては……なんていうのかね、あんまり言葉としては表現しきれないですよ。ちょっと人には言えない部分もあるし。

誰だってオムツ役は嫌がる

切通 若い時は高橋伴明監督のピンクでも、半裸姿で青春の怒りや苦しみを、情けなさ含めて身体ごとぶつけていた下元さんが、今回の『痛くない死に方』では、老年になって、でもやはり痩せた半裸の姿で、苦しみにのたうち回って死ぬという、久しぶりに身体ごとぶつかる壮絶な役ですね。

高橋 本人目の前にして言うのもあれだけど、ま、病人体型ですよね。

下元 そうそう。

切通 病人体型!

高橋 だいたいがね。

切通 痩せてるってことですか?

高橋 単に痩せてるんじゃなくて、自分の中ではシモって「病人っぽい痩せ方だな。」っていう風に思ってたんだよね。

下元 いや、でもねえ、一昨年病気して、そのおかげで煙草ももう2年近くやめてんで「ちょっと太ってきたのかなあ」って自分では思ってましたね。

高橋 なにやったの?

下元 脳梗塞。

高橋 そうかあ。シモは最初から決めてたんです。キャスティング・プロデューサーに「これ、下元ね」って言ってあったんです。それはやっぱり、長い付き合いの中でね、こっちの無理な要求もやってくれるだろうと……まあ、甘えみたいなものもあったと思いますよ。もっと具体的に言うと、あのオムツ姿、誰もやりたくないんですよ。

下元 (笑)

高橋 他の男優さんも、これに出てる全員「やだ」って言ってましたよ。それと、あれだけえんえんとね…‥死ぬところ……現場でも、どっかで「申し訳ないな」って思いつつやってもらいました。カッコ悪い役だっていうこともありつつ、色々なことを組み立てていける芝居じゃないじゃないですか。この役って。波があったりとかね……そういうものが、ほぼない。そのへん、つらいと思うんですよね。俳優さんとしてはね。やってる本人がどうだったか聞いてないけれども。

下元 伴明監督とご一緒させてもらう時っていうのは、あんまり説明とかないんですよ。昔からそうなんですけど。「ここはこうした方が」とか、そういう話は、ほとんどなくて。でも今回、シナリオを読んだ時は「ちょっと難しいな。しんどいな」とは思いましたけどね。ほぼ寝たきりでね。

切通 ひたすら苦しみ抜いて……。

下元 病人役は初めてではないですけど、ああいう病人は初めてですねえ。ある意味では、気が抜けないっていうか、延々あの状態でやってるんで。苦しんで、苦しんで、もう痛がって死んでしまうっていう。まあ管付けてもらって色々やってると、やっぱりそういう風な雰囲気にはなってくる。役に取り組む中でそれはあると思いました。

高橋 ただそこ(死)に向って行ってるだけだから。あれだけ長い「死に方シーン」みたいなの、俺も初めて撮りましたけど。そういうこともね、「シモなら、やってくれるだろう」と、いうことです。

下元 初日、2日目、3日目……ずうっとそういうシーンだったんです。

切通 撮影の順序としても先だったんですか。下元さんパートは。

下元 そうです、そうです。もう初日から。3日間ずうっと。芝居的には。娘役の坂井真紀さんは、その顔しか見てないから(笑)。

切通 後で健康な姿見てビックリみたいな。

下元 健康的な姿、見せることはあんまりなかったですね。撮影の最後、僕が病院で検査受けるシーンで、そこはまあちょっとホッと2人で話すみたいなのがあったんですけどね。残念ながら、あんまり日常会話……普段の役から離れた会話ってのはほとんどなかったんで。けっこう好きな女優なんだけど。ひたすら役として、オムツも見せなきゃいけないし……彼女も大変だったところがあったと思います。オムツになって、坂井さんに色々やってもらうってシーンは、僕としてもちょっと気は遣いましたね。やっぱり「ここまで大丈夫かな」「彼女やってくれんのかな」って思ったりね。

切通 役とはいえ。

下元 うん。ほとんど僕のお尻なんか丸見えだから。彼女からすれば。ちょっと、気は遣いました。

高橋 (笑)それ、宇崎も言ってた。

下元 あ、そう?(笑)

高橋 余貴美子に見られてるから。

切通 所謂前貼りみたいなのはしてないんですか。

高橋 してない、してない。


下元史朗・坂井真紀 (c)「痛くない死に方」製作委員会

原作者が呼吸の仕方まで指導

高橋 前半の下元の部分、やっぱりお客さんにとってどうなんだろうってとこが難しかったですね。ああいう死に方撮った映画ってないんじゃないかなと思うんですよ。もっと映画的に……自分の映画でもそうだし、色んな映画の中で人が死ぬところは観てるけれども、やっぱり映画的に死んでるんでね。

切通 今回は、いわゆる普通の映画に出てくる劇的な死のシーンじゃないんだよっていうことですよね。

高橋 そうですね。そこがやっぱり、苦労というか心配しながら撮ってましたよ。その辺をきちっとやらないと、後半部分が活きないなっていうのがあったんで。ただまあ、湯布院の映画祭で上映して頂いたんですけど、おおむね、前半部分に対する拒否感っていうのはなかった。「あれがあったからよかったんじゃないですか」っていう意見の方がもう圧倒的に多かったんで、いまんところその心配は、だいぶ軽減されてるんですけど。僕の中では。

切通 下元さんが先に亡くなっているのに、柄本さん演じる医師が遅れて到着した時点で「死亡時刻」っていうのも、見てて、ちょっとモヤモヤを感じてしまうというか……。

高橋 はいはい。ああいうことらしいですね、でも。

切通 医師が立ち合った時が死亡時刻。

高橋 ええ。らしいです。死を確認する時間ですからね。

切通 劇中で他の亡くなっていく人は、家族とのお別れとか、クライマックスがあったりしますけど……。

下元 僕はない。死んだあとは坂井さんにお任せで(笑)。だから「(柄本)佑(演じる河田医師)には文句言ってくれ」とか、そういう話ですよ。

切通 今回の映画を高橋監督が手がけるようになった経緯を教えてください。

高橋 これはですね、プロデューサーの小林良二さんが、「この本、ちょっと読んでほしいんだけど」って、『痛い在宅医』という本を持ってきたんですよ。「映画にならないだろうか」って話だったんで、そのつもりで読んだんですけど、ノンフィクションで物語ではないし、在宅医に対するクレームみたいな内容なんですよね。それでもドラマは作れるけれども、それだけじゃちょっとつらい映画になるな、「痛い映画になっちゃうんじゃないか。見たくないんじゃないか」って思ったんですよね。人が。
だったらどうしようかって考えたときに、口で言うのもめんどくさいし……ってか伝わりにくいと思ったんで、いきなりシナリオ書いちゃったんですよ。「こういう感じだと、映画撮れるけど」ってつもりで書いたら、わりとそのまま「この線いいですね、これで行きましょうか」って話になったんです。

切通 出来上がった映画は、最初が下元さんパートで、途中で柄本佑さんの医師が奥田瑛二さん演じる医師から教えを受けるパート、そして2年後に成長した柄本さんが宇崎竜童さん演じる患者と向き合うくだりの三部構成でしたが、最初のシナリオも?

高橋 そうでした。渡された原作は、シモの前半パートが、ああいう話なんですよ。ようするに、在宅医にかかったのに、お父さんは苦しんで死んだっていう。

切通 映画のタイトルは『痛くない死に方』になりましたね。

高橋 同じ長尾さんの本で、そういう題名があるんです。最初に渡されたのは『痛い在宅医』だったんですけど、タイトル的にはこっちの方がいいよねって。でそのタイトルをそのままもらったんです。

切通 下元さんは原作は?

下元 読んでないです。ただ、原作の在宅医の先生が現場にもずっとついて居てくださって、色々アドバイスは受けたんです。ホン読んでもわからないですからねえ……死に方も(笑)。息を吸う時の、声の出し方とか、そういうのはやっぱり、先生から「こうした方が」とか、そういう話はありましたね。

切通 呼吸の仕方っていうのは、中盤明かされるキーポイント部分と関係あるところですね。

高橋 そうですね。癌だけに集中してたような診断だったから。肺気腫っていうのはね、独特の呼吸があるみたいで。

ロックンローラー・宇崎竜童の復活

切通 前半、下元さんが苦しんでるのに柄本さん演じる在宅医がなかなか来てくれないくだりがずっとあって、でも中盤奥田さん演じる先輩医師が出てきて柄本さんを、従来の医師の対応では捉えきれない在宅医のありように導いてくれる。見ていてあそこでホッとするとともに、師弟の話で進めるのかと思ったんですが、そこでパーンと時間が2年後になって、ある程度経験値を積んだ柄本さんが新しい患者として宇崎竜童さんと出会う。

高橋 まあ、中継ぎですよね。奥田は(笑)。原作者の長尾和宏さんをモデルにしているんです。長尾さんの色んな本を読んで「こういう考え方の人だろうな」っていうのはわかったんで、それを奥田に託したっていうことです。

切通 後半の宇崎さんパートでは一転して映画自体が陽性な語り口になりますね。

高橋 宇崎さんのところは原作には全然ないんですよ。下元パートでずっと押し切るのはつらかったんで、やっぱり変えたかった。

切通 宇崎さんの作る川柳がところどころ劇に挿み込まれ、柄本さんとの応酬になっていくところも、映画に弾みを持たせていますね。

高橋 川柳は最初にシナリオにする時に書いてました。川柳で行こうって決めたことで、自分の首絞めちゃったんだけど……でも、川柳に救われたなという感じはしてますね。

切通 宇崎さんは『曽根崎心中』(1981)や、監督の『TATTOO<刺青>あり』(1982)以降、ミュージシャン寄りを排して俳優として映画に出られていた印象がありましたが、今回はダウンタウン・ブギウギ・バンドの頃のノリを思わせるファンキーさが全開に見えました。

高橋 それはありましたね。そこを「抑えてくれ」って結構言いましたよ。手がアクションしちゃうんですよね。手がロックンロールしちゃったりね。あの人こう、首でリズム取りながら喋る癖があったりして……ただ、リズム取るのは川柳とは合ったかな。


余貴美子・柄本佑・宇崎竜童・大谷直子 (c)「痛くない死に方」製作委員会

自分が死ぬという事について考える入り口

切通 最後にリビングウィル(延命治療の打ち切りを希望する意思表示を記録した「遺言書」)の書式が掲げられますよね。あれは尊厳死協会から要請があったわけではないんですか。

高橋 僕が自分の意志で出したんですよ。要請はなかったです。あれも結構考えましたよ。なんかそれ用の映画なんじゃないかっていう風にね……要するに尊厳死協会の宣伝のために作った映画じゃないかって見られたりしないかなっていう危惧はありましたね。
けれども、やっぱり現時点で「自分がどう死ぬか」って考えた時に、あのリビング・ウィルってのは、自分の中でもものすごい……いま現在ではですよ……大事なものなんで、あえて最後にああいう形で出したんですよね。

切通 普通だったら宣伝臭がすると避けがちなところを、あえてバーンと出したという事ですね。僕自身、いま50代半ばですが、この映画を観て、自分が死ぬという事について考える入り口になった気がします。

下元 僕はまだ「身じまい」っていうことは考えてはいないんですけど、やっぱり70越えるとね、自分がどう死んだらいいのか、どう死ぬのかっていうのは、時折フッと思う時はあります。自分の残り少ない人生をホント考える時はありますね。このまま毎日酒浸りで死んでいくのか(笑)どうなるかわからない。ま、なにせ現場があれば現場をやりながら、なんか、うまく死んでいければなあと思うんですけど、そういうことは考えるようになりましたね。昔、監督とピンクやってる頃なんてのは、そんなこと一切考えもしなかったですけど(笑)。いまはそういう齢になってきたんで、やっぱりこういう作品に対してちょっと思うところがありますね。

高橋 僕はいま常に考えていますよ。毎回遺作だと思って撮ってます。65超えたら明確にそうでしたね。実際、リビング・ウィル書いてますから。自分が。尊厳死協会に入ってるし。

切通 それはこの映画の企画を渡される……。

高橋 前に。どう死のうか考えてた部分があったんで、こういう在宅医っていうのも、それ以前から知ってたし、「死」っていうことは、ものすごく意識してましたよ。だから、原作本を渡されたらすっと入っていけたっていうのがある。

<談笑中の高橋伴明監督(手前)と下元史朗さん>

<救済>の瞬間

切通 柄本さん演じる河田が下元さんの墓参りに来たのを知った時、坂井さん演じる娘の智美が遠くからおじぎしますよね。監督の作品『禅 ZEN』(2009)で主人公の道元が、苦しんでいるけれど何もしてあげられない人に対して、涙を流せる僧であった事に通じるような、救済の境地がちょっと垣間見えた気がしました。

高橋 あのまま憎んで……あの医者を憎んだまま終わらせたくないなってのがあったんで、坂井にああいうことをしてもらった。

切通 河田が大貫のことをちゃんと診ていなかったと、その死後、自ら智美に告げますよね。気持ちはあっても、あそこまではっきり自分のあやまちを認めることは現実にはなかなか難しいなと。言質を取られたくないなとか、思っちゃうじゃないですか。

高橋 うん。それはこっちの理想でね。「こういう先生で居てよ」みたいな思いはありましたね。まず、あそこまでする人はいないと思います。自分の誤診だとかね……そういう風なことは、まあ言わんでしょうね。

切通 たしかめようがないにしても、ほぼ誤診だと言ってるに近い……。

高橋 そうですよね。

切通 あそこはグッときましたね。いまから思えばそうとしか思えないと言い切るときの、柄本さんの演技も迫ってくるものがありました。

高橋 柄本佑はあの歳だけども、現時点で完成されてる役者だと思いますね。さらにまた歳とるごとに、色んなものを身にまとっていくだろうけれども……生まれつきの役者なんでしょうね。


柄本佑 (c)「痛くない死に方」製作委員会

切通 2年経って成長ぶりを見せる時のノリノリぶりはすごいですね。川柳の応酬はジャムセッションのようでした。そして最後、宇崎さんの患者が亡くなる直前に「完璧だ」って言うのは、一歩間違えると……。

高橋 (笑)そうねえ。あの時、「不謹慎だけど楽しかった」というようなことも言ってるでしょう。ああいうのは、大谷直子の妻は良いにしても、他の親戚が聞いたらムッとする台詞だと思うんだよね。

切通 大谷直子さん演じる奥さんは宇崎さんとは若い時に学生運動で出会って、献身的に看病してるけど、最後の方で隠していた煙草を持って来る仕草は、役の上での彼女の若い頃を髣髴させられる感じがしました。

高橋 大谷はね、飲み友達ではずっとあったんだけど、仕事するのは初めてで。この役は最初「やり切る自信がない」って大谷が言ってたんですよ。でも「いまここで仕事しとかないと、俺と一生ないかもよ」って話をして。大谷自身も病気を抱えてるから、なら一本ぐらい仕事しとこうよみたいなことで、やってくれることになったんですけどね。
 ま、見ての通りで、自分はとっても良かったと思ってるけど。

「今回力が入ってないんです」

高橋 撮影全部終わった時って、いつもは「あ~終わった!」みたいな感じがするんですけど、今回は「ハイ。終わりね」っていう感じで。「じゃちょっと飲みに行こうか」みたいな程度だったんですよね。
今回最初から力が入ってないんです。全然入ってなくて、そのまま延長で最後まで来てます。「ここはこうしたい」とか、「これを伝えねばならない」とか、それこそ「人に受けなければいけない」とか「感動してもらわなきゃいけない」とか、そういうのが一切なしで入れたんで。

切通 ある種の境地なんでしょうか?

高橋 うーん、かっこいいもんじゃないと思いますけどね。なんか知らないけど力が抜けてたんですよね。下元パートがどう受け止められるのかの心配だけで、あとはつらいことはなんにもなかったですね。

切通 「感動ポルノ」という言い方がありますが、この映画は、思わずグッとくるところや、もうちょっとで号泣になるというところで、川柳も用いながら、淡いユーモアが入って、ちょっと外す……じゃないですけど、そこが絶妙でした。所謂「感動」にしたくないというのはあったんでしょうか。

高橋 はい。それはありましたね。『火火』(2005)って映画をやった時に、ずいぶん抑えたつもりだったんだけれども、けっこう見て号泣したっていう人が居て、煽り過ぎたのかなっていう反省はちょっとあったんですね。

切通 「泣かせてやったぜ」みたいな感じではなくて……。

高橋 なくて。『火火』の時も、喜劇的な要素も意識して入れてたんですけど……「そうかあ」と思って。だから今回余計ね、抑えなきゃっていうのと、川柳っていう隠し玉があったんでね。そこはまあ、うまくいった方じゃないかなっていう風には思ってます。それでもね、もう、「泣いた」って人もいるんですよ、実は。

切通 いや、泣ける映画だと思いますよ。基本的には。

高橋 「あ~、泣いちゃったかあ」って。

切通 泣いちゃうとあんまりよくないですか?

高橋 いや。よくないのかどうかわかんないけれども。どういう泣き方するのかっていう……「こういう風に死ねてよかったね」って泣いてくれるんなら、とっても良いんだけれども……所謂「お涙頂戴」みたいなのは嫌なんですよ。そのくせ自分では泣くとこあるんですよ。自分で見て泣いてるところがあるんですね。

切通 それはどこでしょうか。

高橋 最後の木遣り。木遣りで葬式というのが、あれグッときちゃうんですね。自分自身、やりたかったんで。本作は予算がないんだけど、あれはやりたいなあと思ってて。
 昔ねえ、東映のやくざ映画かなんかで、木遣りのシーンがあったんですよ。それを見た時に、自分もどっかで使いたいなあっていうのがずっとあったんです。木遣りっていうのはおめでたい席で使ったりすることの方がイメージ的に強かったんですけど、ああいう葬列の時にもやるんだっていうのを聞いて、「よし」と思って、で今回、職業もああいうことにしたんです。

切通 だから宇崎さんは大工さんに。ある種逆算みたいな……。

高橋 そうですそうです。

切通 学生運動やってて、前科があるっていうのは。

高橋 まあ……半分自分の経験だけど。宇崎さんの役に入れたんだよね。

切通 自分の人生を社会に決められたくない。最後管だらけで、がんじがらめになりたくないみたいな。

高橋 そうですよ。まったく自分もその通りなんで。

切通 観ている間中、もっと自由に生きていい、自分の死に方は自分で決めていいという、解放感の確信がじわりと浸透していく感じがして、まさにそれが生きることの血脈だと思いました。

高橋 難しい事は言いません。ま、「こんな死に方もありますよ」っていう、そうした提案を、そっと差し出したつもりなんで、そういうことを考えるきっかけにしてもらえればと、思ってます。



高橋伴明:『婦女暴行脱走犯』で1972年に監督デビュー。以後60数本のピンク映画を監督。1982年の『TATTOO<刺青>あり』でヨコハマ映画祭監督賞受賞。以来、脚本・演出・プロデュースと幅広く活躍。1994年の『愛の新世界』はおおさか映画祭監督賞を受賞、ロッテルダム映画祭に出品。『BOX 袴田事件』(2010年)イラン・ファジル国際映画祭 監督賞。2015年、『赤い玉、』が第39回モントリオール世界映画祭のワールド・グレイツ部門に出品。
 

下元史朗:俳優。身長170cm。劇団NLTを経て、1972年にスクリーンデビュー。以後、のべ300本以上のピンク映画に出演。一般映画、Vシネマに出演。主な映画作品は『陰陽師』『PAIN』『ほたるの星』『サンクチュアリ』『るにん』『アナーキー・イン・じゃぱんすけ』『ユダ』『夏の娘たち ひめごと』『菊とギロチン』『いつか』など。旧芸名は史朗。下元史朗から史朗に一時期改名していた。
 

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https://itakunaishinikata.com/
 
※本記事はメルマガの記事から再構成したものです。完全版は、既に配信されている『映画の友よ』第168号でお読みくだされば幸いです。
http://yakan-hiko.com/BN10593

切通理作
1964年東京都生まれ。文化批評。編集者を経て1993年『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』で著作デビュー。批評集として『お前がセカイを殺したいなら』『ある朝、セカイは死んでいた』『情緒論~セカイをそのまま見るということ』で映画、コミック、音楽、文学、社会問題とジャンルをクロスオーバーした<セカイ>三部作を成す。『宮崎駿の<世界>』でサントリー学芸賞受賞。続いて『山田洋次の〈世界〉 幻風景を追って』を刊行。「キネマ旬報」「映画秘宝」「映画芸術」等に映画・テレビドラマ評や映画人への取材記事、「文学界」「群像」等に文芸批評を執筆。「朝日新聞」「毎日新聞」「日本経済新聞」「産経新聞」「週刊朝日」「週刊文春」「中央公論」などで時評・書評・コラムを執筆。特撮・アニメについての執筆も多く「東映ヒーローMAX」「ハイパーホビー」「特撮ニュータイプ」等で執筆。『地球はウルトラマンの星』『特撮黙示録』『ぼくの命を救ってくれなかったエヴァへ』等の著書・編著もある。

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