消費者は神さまである
1970年に大阪で世界万国博覧会が催され、三波春夫はそのテーマソングである「世界の国からこんにちは」を唄うことになります。その万国博覧会を契機にして、日本に消費資本主義とでもいうような、消費文化が隆盛を極めていくわけです。まさに、市場経済隆盛の時代です。
それ以前の、高度経済成長期には、冷蔵庫、電気洗濯機、テレビといったいわゆる白物家電が日本中の電気屋に並び、それらが飛ぶように売れていくことで、日本人は豊かさを実感できるようになっていったわけですが、70年代になると、もはや耐久消費財に対する旺盛な需要は一段落して、専らオシャレや、美食、健康といったものにお金を使い始めます。核家族化が進行するのもこの頃で、歩行者天国が始まったのもこの時代でした。
冷蔵庫や、電気洗濯機といった耐久消費財は、一家に一台といったものでしたので、それらの購入を決定するのは、一家の大黒柱である父親か、それを裏で支える(あやつる)母親であったわけですが、市場にならぶものが装飾品や、美食のメニューということになれば、それらを購入するのは個人であり、多くの場合若者が小金を持って、自分の好きなものを自由に選び、自由に買えるようになりました。
「お客様は神さまです」という言葉は、この頃より「消費者は神さまである」というように読み替えられるようになっていたと思います。
実際に、耐久消費財が一般家庭に行き渡って以後、売り手の側は消費者を探す、探してもいなければ作り出すということに躍起になっていたわけで、市場経済の動向を個々人の消費者が支配するという状況が生まれてきたわけです。しかも、その消費者とは一家の大黒柱ではなく、ひとりひとり、とりわけ若年層に的がしぼられていくわけです。
なぜなら戦後の極貧生活を共有していたおとなにとっては、ぜいたくは敵という観念がしみついており、自分達の生活の安定もまた儚い楼閣のようであることを知悉していたので、もっぱら剰余の金は貯蓄に回していたからです。
市場で旺盛な消費欲を開放していたのは、若年層でした。伝統的な家父長制度の遺制のなかでは、人間を差別化する指標は家柄であったり、血筋であったり、知識や経験の総量であったり、人脈であったり、人柄であったりしたわけですが、市場経済はそれらの「しがらみ」をあっさりと洗い流し、貨幣という単一の物差しだけが大きくクローズアップされるような傾向が見られるようになりました。
人間というものは、他者と同じでありたいと望むと同時に、他者から羨望されたいと望むという複雑な心性をもった生きもので、他者の羨望が家柄や、人柄、血脈や、学歴といったものが、もはや価値基準たりえなくなった時代においては、金銭だけがその羨望の対象になるほかはありません。
高額なブランド品に多くの若者が魅せられたのは、その商品の使用価値の故でないことは明らかです。かといって、交換価値だともいえないでしょう。だとすれば、それは貨幣の象徴としての象徴価値だということになります。
封建遺制の中では、象徴価値は生まれながらに備わったいわば不公平な価値だったものが、個人の努力しだいで誰にでも手に入る(つまり金を積めば手に入る)時代になったとはいえるのかもしれません。年若い経営者が、市場から吸い上げた金を背景にして「金で買えないものはない」と豪語したとき、貨幣は、おとながおとなである条件としての、失敗の経験や、知性の蓄積といった長い時間をかけて積み上げていってはじめて身につくような価値をも、なぎ倒していくことができるほどのパワーを持つようになったのだと思ったものです。それは同時に、おとなとこどもの境界をあっさりと消失させる結果になったといえるかもしれません。
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