はざまに立たされた存在として
人間というのは、文字通り様々の「間(あいだ、はざま)」に立たされた存在である。生と死の間、無と有の間、有限と無限の間、部分と全体の間、夢とウツツの間……。
こうした様々に対立する二極を打ち立てて、その間で葛藤しながらも、なんとかその対立を概念的に乗り越えていこうとする意志が、ギリシアにはじまる西洋学問を駆動してきた「積極」というものだったのではないかと思う。実際、ピタゴラスの時代からすでに意識されていた「離散と連続の葛藤」、「一と多の葛藤」、「有限と無限の葛藤」は、現代にまで脈々と受け継がれて、数学を駆動する大きな原動力になっている。
先日私は、京都大学での講演に向かう途中、奈良の聖林寺に立ち寄って、十一面観音像にはじめてお会いしてきた。いまでもあの日の光景は鮮明に覚えているが、一度観音様を見上げたきり、いつまでもその場に立ち続けていたいと思うほど、なんとも居心地のよい場所であった。観音様は女性的でありながら、男性的で、笑っているようでありながら、泣いているようでもあって、止まっているようでありながら、時折花瓶に挿した花が風に揺れるのが見えるようでもあった。
それは、私が数学という方法で向き合おうとしている問いに対する、まったく違った解法のように思えた。
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