小寺信良メルマガ『金曜ランチボックス』より

「13歳の息子へ送ったiPhoneの使用契約書」が優れている理由

所有権の明示

“1.これは私の携帯です。私が買いました。月々の支払いも私がします。あなたに貸しているものです。私ってやさしいでしょ?”

これは、携帯電話の所有権を明確にするための宣言である。子どもは携帯の「利用権」を持つ事になる。逆に言えば、もしこの携帯で何か問題があった場合は、親が責任を取るという宣言でもあるわけだ。正直僕も、ここまできっぱり責任を取る宣言をする自信はないが、立派な決意である。

さらにこれは、問題があれば利用を制限できる根拠でもある。これにより、子どもがネットの利用に対して、自覚的になってもらうとともに、ネット利用(キャリア利用)はタダではないことを理解させる目的がある。

“私ってやさしいでしょ?”という一文に対して嫌悪感を持つ人もあるが、これは親子の間でよく交わされる、親愛の印である。“もうママったら……”というリアクションが目に浮かぶようだ。このような細やかな親子の機微が想像できない人というのは、そういう家庭に育っていなかったからと言ってしまうとあまりにも残酷だが、もし子どもがいれば容易に想像できることである。

 

「アクセス権」が生み出す自重効果

“2.パスワードはかならず私に報告すること。”

パスワードを親も知っているということは、携帯の中に秘密を持つのは難しいということになる。これはMIAUの契約書にも"携帯にはキーロックをかけ、暗証番号は親に教えておく。"という同様の文面がある。

メールの内容など、通信の秘密に関わる部分は、親であろうとも簡単に侵害して良いとは思わない。他の団体では、メールも親が監視すべきという意見を持つところもあるが、僕自身はこれには反対の立場である。

携帯内を常時無断で監視はしないが、いざとなったら親が見ることができるアクセス権はある。これを子どもが自覚することで、自分の行動に自戒が生まれることを期待している。

この考え方は、神戸にある中高一貫の私立須磨学園で導入している、「制ケータイ」を取材したときに学んだ。制ケータイとは学校支給の携帯で、いわゆる企業向け携帯プランを学校向けにモディファイしたものである。ISPはキャリアではなく学校が代行する(サーバが校内にある)ため、通信記録は見ようと思えば見られる。

実際には学校側が無断で見ることはなく、どうしても必要な場合のみ保護者の同意を得た上でアクセスすることになっているが、「何かあったら見ることができる」と子どもたちに警告しておくことで、問題を事前に回避する自重効果が生まれたという。

このように、アクセス権を保護者が持つことは、子ども部屋に鍵を付けるかどうか、ということに似ている。内側から鍵をかけて、いつでも立てこもれるようになっている子ども部屋を与えることを、多くの親は良しとしないだろう。ふんわりとした監視・管理を経て、子どもの自立を促していくわけである。

1 2 3 4 5 6 7 8

その他の記事

ジェームズ・ダイソンのイノベーション魂(本田雅一)
教育経済学が死んだ日(やまもといちろう)
Googleの退職エントリーラッシュに見る、多国籍企業のフリーライド感(やまもといちろう)
天然の「巨大癒し装置」スリランカで今年もトレーニング・シーズン開始(高城剛)
週刊金融日記 第302号【コインチェックで人類史上最高額の盗難事件が起こり顧客資産凍結、暗号通貨は冬の時代へ他】(藤沢数希)
大手企業勤務の看板が取れたとき、ビジネスマンはそのスキルや人脈の真価が問われるというのもひとつの事実だと思うのですよ。(やまもといちろう)
「なぜかモテる人たち」のたったひとつの共通点(岩崎夏海)
『エスの系譜 沈黙の西洋思想史』互盛央著(Sugar)
「身の丈」萩生田光一文部科学相の失言が文科行政に問いかけるもの(やまもといちろう)
次の食文化を左右するであろうアニマルウェルフェアネスと環境意識(高城剛)
責任を取ることなど誰にもできない(内田樹)
「芸能人になる」ということ–千秋の場合(天野ひろゆき)
ワタミ的企業との付き合い方(城繁幸)
レシート買い取りサービスONEと提携したDMMオートの思惑(本田雅一)
貧富の差がなくなっても人は幸せにはなれない(家入一真)

ページのトップへ