◇「不謹慎」な議論を現実にする
東:あとひとつ考えなくてはいけないのは、広島の問題です。日本で原子力の悲劇というと広島が思い浮かびますが、広島の原爆ドーム [*10] は世界遺産になっている [*11] 。こういうものを「負の世界遺産」と言うんですが [*12] 、マイナスな効果を及ぼしたものでも、人類の資産として記憶に留めなければならないものはたくさんあるんですね。広島の原爆ドームが世界遺産になったのですから、25年後もしくは50年後に福島第一原発が世界遺産になる可能性は真剣に考えるべきです。そのときに、もちろん、廃炉を進めていくとか周囲を除染して復興していくという前提のうえでの話ですが、観光客に対して何を伝えていくか、何を教えていくかということを早めの段階から考えて、復興計画の中に組み込むべきなんじゃないかと僕は思うんですね。
津田:そういった背景からフクイチ観光地化計画が生まれたんですね。いま福島を語ることがタブー視されているようなところがあります。そんな状況下で「福島の観光に原発を使おう」なんて言ったら反発も強いかと思うんですけど、この計画をメディアのインタビューとかで発表されて、どういう反応がありましたか?
東:すごく応援してくださる方もいますけれども、他方ではまず「不謹慎」であると言われます。あと、当事者以外の人たちが軽薄に言うべきではない、と。東京の人間が頭だけで考えて引っ掻き回さないでくれ、という反応はツイートでもありました。もちろん、これらの疑問に対しては真剣に答えていくべきだと思っています。
フクイチ観光地化計画では、津田さんにも入っていただいていますが、それだけでなく、社会学者の方、アーティストの方、建築家の方などを交えた7人のチームをつくっています [*13] 。ウェブサイトをつくって、そこでいろいろな方のインタビューのほか、リサーチや提案の内容を公開していく予定です [*14] 。さらに今後、南相馬やほかの被災地にも足を運んで、現地の方たちとのワークショップも積極的にやっていきたいと考えています。
津田:あくまで福島の住民、特に浜通り [*15] の方たちと対話を重ねる中で計画を綿密にしていこうというお考えだということですね。一方、先ほどは、ゴールというか目的に25年後の福島第一原発を見据えてと話していましたが、いまとにかく福島への関心を喚起していくことが目的なのか、それとも本気で観光地化することなのか、どちらを目指していますか?
東:本気で観光地化といっても、僕たちの提案がそのまま丸呑みされ実現することはまず考えられない。けれども、一部でも実現したいという気持ちで進めています。
津田:いろいろな突拍子もない大きなアイデアもたくさん出すことによって、もしかしたら現実の政策とか観光地化に繋がっていくかもしれない、と。
東:僕はそう思っています。僕たちが調べた限りだと、復興庁の計画では、観光を復興の柱にしようという視点はあまりありません。けれど、数年以内に考えなければいけないときが来る。そのときに僕たちの計画がひとつのたたき台になればいい、と考えています。
あともうひとつ、かつて1960年代に建築の世界で「メタボリズム」[*16] という運動がありました。かなり実験的で前衛的だったのですが、その討議の蓄積がいろいろな都市計画や万博のプランなどに活かされているんですね [*17] 。だから、僕たちの計画でも、たとえ具体的な提案が採用されなくても、そこに至るまでの議論の蓄積が5年後10年後の現実の復興計画に活かされることはありうると思います。
◇「忘れてしまいたい」を「行ってみたい」に
津田:東さんはここ1、2年ぐらいで特にそういう考え方を強めています。新しく日本が向かうべき方向のたたき台を示す、という姿勢ですね。それは『日本2.0』に掲載された「憲法2.0」[*18] にも繋がっていると思います。
ところで、先ほど例として挙げられていた広島の原爆ドームも世界遺産に登録されるまではいろいろありましたが [*19] 、もし福島第一原発を観光地化するなかでモニュメント的なものを作るとしたら、どういったものが考えられますか?
東:それこそが僕たちがこれから議論すべきことですね。最終的なアウトプットはまだ見えません。
けれど、個人的なアイデアを言うと、僕は廃炉作業に注目しています。廃炉作業は25年後も続いているはずです [*20] 。僕は、なんらかのかたちで、その作業を見学できるような仕組みを作りたいですね。現実にそういうことが可能かどうかはわかりません。これから科学者の方に意見を聞かなければいけません。あと、福島は農業が盛んなところだったので、農地を除染し回復していく作業も続いていくと思います。除染によってどうやって土地がキレイになっていくのか、除染技術を体感できる施設も作りたいですね。
他方で、福島第一原発の跡地に行くということは、どこか怖いもの見たさ、ヤバイもの見たさという側面があると思います。先ほどの言葉で言うと、軽薄な思いが人にはある。そういう点では、現地に行きスマートフォンをかざすとAR(拡張現実)[*21] で2011年3月11日当時の一日を体験できるというような、エデュテインメント [*22] 的な要素も必要になってくると思います。
津田:博物館化することができるわけですね。
東:お客さんは最初は純粋に楽しむために来るんだけど、帰るときには原子力とはなんだろうという疑問をもったり、大きな事故からこうやって復興してきたんだと思いを馳せたりするような複合的な施設を作れたらいいな、と思っています。
津田:それを問題が落ち着くであろう、25年後とか30年後から考えるのではなく、いまから考えることが重要だということですね。
ところで、東さんのツイッターの発言で少し気になるところがありました。この計画で、福島は放っておいたら世界遺産の登録とか以前に更地になってしまうだろうと書かれていましたね [*23] 。僕もその発言を見てリアルに福島が更地になる風景が頭に浮かんできたのですが、この「更地になるかも」という発言をしたのには、どういう意図があるんでしょうか?
東:実際には廃炉作業には時間がかかるので、5年10年で更地になることはないと思います。ですが、日本社会の風潮として、いままでの自分を忘れたい、大失敗から目を背けたい、みたいなところがある。第二次世界大戦後も、とにかくすべて「一億総懺悔」で [*24] 、いきなり平和憲法をシンボルにして突っ走ってしまった。その無理がいま噴き出していますね。
同じように、いま僕たちは、この間までのエネルギーをどんどん使う社会に対して「忘れてしまいたい」という感情になっていると思うんです。フクイチにしても、建屋の廃墟を残すよりは、撤去してすべてなかったことにしたい、と思っている。原発とは違う例ですが、津波の被災地でも、打ち上げられた船を残すのか壊れかけたビルを残すのか、その問題はあちこちで議論になっていて、撤去される例が多い [*25] 。日本人は、負の記憶を直視するのが苦手なのかもしれません。
津田:東さんがおっしゃるように、東北には、気仙沼の打ち上げられた大型船「第十八共徳丸」[*26] とか、女川の横倒しになったビル [*27] とか、ああいったもののモニュメント化はすでに始まっていて、観光バスに乗って見に来ている人がもういるんですね。
ただ、やはり現地のなかでも意見がわかれていて「見ていると思い出すからなんとかしてくれ」と誰かが言うとなくなる。だけどなくなった後に更地になると、今度は津波すらなかったように思えて、忘れられていく恐怖からやはり残しておけば良かったとなる。積極的に残していくべきか、撤去するべきかというのが住民のなかでフィフティフィフティなんですね。
どこの地域でも同じようなことが起こっています。この1年半で変わってきているということなんでしょうけど、そういう意味でも観光地化計画というアイデアには地元で賛成してくれる人はいるんじゃないでしょうか? とは言ったものの、最後まで根強く反対するような方もいることが想定されます。最終的に観光地化するかどうかは地元の人が決めるべき問題だと思いますか?
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