「観光地化」という名の開放
津田:あらためて、チェルノブイリの「観光地化」についておうかがいしたいんですが、2011年にウクライナ政府は立ち入り禁止区域内の見学ツアーを許可しました [*24] 。こうした「観光地化」の動きについて、元々はどういう経緯で始まったんでしょうか。
東:ウクライナ人たちに聞いても、正確な起源はよくわからないんですね。恐らく90年代の終わり頃から始まったんじゃないかと言われています。立入禁止区域といっても、壁に囲まれているわけじゃないので、ゾーンに入ろうと思えばいくらでも入れるんです。だから、原発事故のあと強制避難させられても戻りたい人が勝手に戻っていて、彼らは自主帰還者──サマショールと呼ばれています。あとは、「ストーカー」という、興味本位でゾーンに入る人たちもいる。そんななか、海外のメディアや医療関係者など、専門家がチェルノブイリに入りたい場合、関係者が個人的にツアーを組むようなことが90年代から始まったそうなんですが、それが旅行代理店をとおした公式なツアーになり、誰でも入れるようになったのはここ2年の話ですね。
津田:観光ツアーが注目されたり、遊び半分でゾーンに入る人が増えたのは、2007年に発売されたシューティングゲームの存在が大きいんですよね。
東:2007年に『S.T.A.L.K.E.R.』[*25] と『Call of Duty 4』[*26] という2つのゲームが発売され、どちらも大ヒットしました。『S.T.A.L.K.E.R.』をつくったのはウクライナのゲームメーカー [*27] です。
津田:これらのゲームが流行って、そのプレーヤーたちが「実際のプリピャチの街はどうなっているんだ?」と「聖地巡礼」[*28] をしたことが観光客を増やしたと。しかし、廃墟となったチェルノブイリを舞台にするなんて聞くと「なんて不謹慎な!」と思う人もいると思うんですが、ウクライナ人たちはこれらのゲームの存在をどう思っているんでしょうか。
東:ひと言でいうと「ゲームがきっかけだろうがなんだろうが、来てくれればいい」という答えなんですね。日本人の感覚からすると打ち捨てられた自分の故郷がゲームの舞台になって、しかもダダダダダダダと機関銃などで破壊されるなんてとんでもないと思うわけですが……。恐らくこの背景には事故から27年たって、実際にチェルノブイリの記憶がどんどん風化している現実があるのでしょう。ゲームだろうが映画だろうが、何がきっかけでもいいからチェルノブイリに関心をもってくれれば──彼らにインタビューするなかでそういうリアリズムを強く感じました。
津田:リアリズムというと、ウクライナ政府が観光ツアーを進める背景にはツアーを原発推進のプロパガンダに使おうという思惑があるとも聞きましたが……。
東:僕たちが行った限り、プロパガンダのような情報コントロールはほとんどされてなかったので、そのような指摘は推測の域を出ていないと思います。実際、僕たちを案内してくれたアレクサンドル・シロタさんはどちらかと言うと反原発ですから。でも、そんな人も含めて現状ウクライナが原発を推進するのはしょうがないと思っているわけで。かつてシロタさんと一緒にツアープランをつくり、ガイドもしているセルゲイ・ミールヌイさんに「観光ツアーは原発推進のプロパガンダと思われているけど、そういう批判についてはどう思うか」と聞いたら、彼は笑いながら「このツアーに参加して原子力技術が安全だと思うやつはいないよ」と答えました。僕もそうだと思うんですよ。福島第一原発の観光地化計画についても、原発の廃炉作業を見せたりとか、安全に立ち入られるということ自体が結局原発推進のプロパガンダではとおっしゃる方もいる。けれども僕はまったくそう思わない。むしろ見せるのが一番「原子力技術は危険だ」ということを知るきっかけになるんです。僕がチェルノブイリを2日間見て思ったのは「やはり原子力技術はまずい」ということなんです。こんなに広大な土地を空っぽにして、いまだに廃炉はできてない。原発の横には巨大な新しい石棺 [*29] ができて、それには大変なお金と労力がかかるけど、それでも事態は収まらない。やっぱりこんなものはやってはいけないと思いましたよ。
津田:チェルノブイリや福島第一原発の現実を観光客に見せることが原発の危険性を知らせる一番のきっかけになると。それが「福島第一原発観光地化計画」につながっているわけですね。
東:福島第一原発は広島と違って近くに大都市があるわけでもなく、原発を中心に都市開発されていたわけですから自然環境がいいわけでもない。もし今のままだったら原発跡地がぽつんとあって、すごい物好きだけが行く場所になる。でも、それでは結局大多数の人は行かないですよね。だから導線をつくらなきゃいけないし、「ここに来れば学べるんだ」という中心がなければならない。チェルノブイリの報道がひとつの見方にしかならなかったこととも関係してるんですが、僕はこういうときにジャーナリストや専門家だけが見ればいいとは思っていなくて、一般市民こそ行かなきゃいけないと思ってるんです。なぜかといえば、一般市民が行くというのは、いろいろな見方があるということだから。一般市民が行く。それはすなわち観光地化するということ。一般市民は取材なんか申し込まないですよね──つまり、これは「市民に開かれる」ということなんです。
津田:報道や博物館を作るだけでは足りないと。
東:ええ。チェルノブイリの取材に行って一番感じたことはそれかもしれないですね。つまり、僕たちはチェルノブイリに関して「素人」なんです。素人がツアーに申し込んで行った。この本をつくれたのはなぜかといえば、チェルノブイリが観光地化してるからです。もし観光地化してなかったら、チェルノブイリの専門家、原子力の専門家、放射線医学の専門家しかチェルノブイリには行かない。すると、ひとつの方向から見た記事しか出てこない。実際に日本ではチェルノブイリに関する本はいっぱい出版されていますけど、みんな傾向が似ているんです。
津田:なるほど。そう考えると「情報公開」の最大限に開かれた形が観光地化ということになるわけですね。
東:そうです。だから福島もそうしなきゃいけない。福島に海外からジャーナリスト、研究者が来るといっても絶対に偏ってるはずなんです。だから福島に関する報道にいろいろな方向性を持たせて福島の総体を見てもらうためには観光地化するしかないんですよ。
津田:一方でチェルノブイリは27年たったから観光地化できたわけですが、福島はまだ2年半しか経ってない。時期尚早じゃないかという批判はありますよね。
東:それはそうだと思います。ただ考えるということで言えば、27年先は遠かったとしても震災から10年後はそんなに遠い話ではないし、そもそもキエフにあるチェルノブイリ博物館は事故から6年後にはオープンしているんですよね。僕たちからしたら6年後というのは3年半後。今考え始めることが「早すぎる」とは思いません。
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