甲野善紀
@shouseikan

甲野善紀メルマガ『風の先、風の跡』より

達成感の得られない仕事とどう向き合うか

稽古事としての武術の特質

私はあらためて稽古事や趣味といったものが、人間にとって如何に必要なのかという事を、この話を聞いて初めて納得がいったような気がする。

今回の話に出た私の知人の友人は、何かの武道の稽古をしているらしく、その稽古への情熱が、その拷問のような仕事をしながらも潰されないでいられる大きな力になっていると語ったそうである。

いま拷問のような仕事と言ったが、これは昔現実にあった肉体的苦痛とは違う拷問の方法で、ある人間を精神的に追いつめるのに、まさに「賽の河原」の石積みのように、苦労して水を汲んでこさせて、その水を全部捨てさせ、また汲みにいかせる、といったような無意味な作業があったそうである。このように達成感を全く抱かせないようにすると、人は精神的に破綻していくようである。まあ、いま話に出たコンピューターの管理は、さすがにこの拷問ほどではないだろうが、達成感が得られない仕事である事は確かである。

現代という時代が病んでいるという事は、随分昔から指摘されてきているが、そういう仕事が増えている時代の中で、いかにその仕事に潰されないで心身を健全に保ち続けるかという事は、非常に重要な喫緊の課題だと思う。そしてそういう時、手前味噌のようだが、武術の稽古というのは、精神的に潰されないためには非常に有効な稽古事だという事を今さらのように気づいた。

その理由は、武術の稽古は、まず人間として本能的に最も必然性を感じるものである事。なにしろ人間というより、生物として自分に危害が加えられそうになったら、それに対して何とか対処しようという働きは、もっとも必然性が高いものだからである。なぜならスポーツのようにルールによってその行動が制限されているわけではなく、身体的構造や心理的習性といった人間が頭で覚えて守ろうとするルール以前の身体が本来持っているルールに即して行動するものであり、それによって体も使い、頭も使うからである。しかも、その頭と体の使いようは身体の感覚をより深めることにより、様々な要素を統合して、いかに心身を有効に使って対応するか、という事に結びつき、それによって技術が上達すれば、それはそのまま技の利き方として現われる。つまり、武術ほど心身を使って自然に生じるやりがいが生まれる稽古事というのは、武術以外にめったにない気がするからである。

私は現代社会における武術の有効さを今まであまり声高に言うことをして来なかったが、今回私の知人から、その友人が働いているという拷問のような仕事の話を聞いて初めて武術の稽古が現代において、そうした現場で働く人の心身が潰されないようにする事に大きな力を発揮するであろう事に気がついた。

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甲野善紀
こうの・よしのり 1949年東京生まれ。武術研究家。武術を通じて「人間にとっての自然」を探求しようと、78年に松聲館道場を起こし、技と術理を研究。99年頃からは武術に限らず、さまざまなスポーツへの応用に成果を得る。介護や楽器演奏、教育などの分野からの関心も高い。著書『剣の精神誌』『古武術からの発想』、共著『身体から革命を起こす』など多数。

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