※高城未来研究所【Future Report】Vol.483(2020年9月18日発行)より
今週は、長野県高遠(現:伊那市)にいます。
南信と呼ばれる長野県南部に位置する高遠は、東に3,052mの塩見岳東峰がある赤石山脈(南アルプス)、西に木曽山脈(中央アルプス)を望む、山間に囲まれた小さな町です。
かつて戦国時代に諏訪氏一族の高遠家が治めていた地域一帯は、武田信玄に敗れた後、武田の支配下に入ります。
その後、織田信長に武田が破れても最後まで抗戦を続けましたが、ついに高遠城(別名:兜山城)は陥落。
この時、籠城していた武田信玄の娘・松姫と、攻城軍の織田信長嫡男の総大将織田信忠は元婚約者同士であり、落城にまつわる悲哀の物語として、いまも語り継がれています。
この籠城の際、なかなか陥落しなかったのは、信州ならではの兵站、蕎麦のおかげでした。
江戸時代までの蕎麦といえば「そばがき」が一般的でしたが、「蕎麦切り」(細く切られた現在のそば)が、信州で登場。
瞬く間に人気を集め、地域一帯の常用食とて定着しました。
その秘密は、美味しい味と保存性にあります。
そば粉のおいしさは、山地の昼夜寒暖差にあり、標高700m前後の高冷地で霧が霜の発生を抑える場所が、蕎麦の味を引き立たす名産地(別名「霧下そば」の産地)となります。
そば切り発祥の里とされる本山宿のほか、戸隠、開田高原、八ヶ岳山麓、南信州、佐久平などが有名産地で、丁度この時期には、「そばの花」が綺麗に咲いています。
もうひとつ、この地域の蕎麦の美味しさの秘密は、水です。
蕎麦は、主にそば粉と水からつくられますが、茹であがった蕎麦はキリっと冷えたおいしい水でぎゅっと締められ、これで味が決まります。
そばつゆの基本もおいしい水なのは言うまでもありませんが、この地域一帯は、日本を代表するおいしい水の産地としても名を馳せています。
また、蕎麦は非常食としても、大変重宝されていました。
その理由は、生産性の速さ。
蕎麦は荒廃した土地でも成長が可能で、種を撒いてから5日前後で発芽します。
35日あれば開花して、80日目頃には収穫が可能となりますから、米に比べて収穫が早いのが特徴です。
上手く行けば1年のうちに3回から4回の収穫が可能で、また、寒冷地でも栽培できることから、稲作が難しかった寒く痩せた土地でも育つこともあって、蕎麦さえ育ててれば、食糧難になりません。
兵糧攻めした高遠城がなかなか陥落できなかった秘密も、域内で作られた蕎麦にあったのです。
その後昭和初期まで、主食兼非常食として、関東甲信越全般で小麦に変わって食べ続けられることになります。
蕎麦が現在の形状に近付いたのは江戸時代中期以降。
この頃から麺として食べるようになり、「蕎麦がき」と区別するために「蕎麦切り」と呼ばれるようになりました。
「蕎麦」という呼び方は「蕎麦切り」が省略されたものであり、地方によってはいまも「蕎麦切り」の呼称が残っています。
当時、蕎麦といえば十割が当たり前で、戦後、米国の強い圧力から国策として小麦を大量購入し、蕎麦粉が3割入っていれば(つまり、7割小麦でも)「蕎麦」と表記しても問題ないと法律が変わってしまった現代の蕎麦と、戦前までの蕎麦は、まったく違う食べ物でした。
なにより、江戸時代の蕎麦は、現在のように茹でるのではなく、蒸す調理法を取っていたのです。
つなぎを使わない十割蕎麦は切れやすいので、切った蕎麦を蒸籠に乗せて蒸し、そのまま客に提供する形が主流でした。
今でも「盛り蕎麦」を「せいろ蕎麦」と呼ぶのはこの名残です。
驚くのはそばつゆで、この時代は今のような鰹節の出汁に醤油や味醂が加えられたものではなく、「味噌だれ」が一般的でした。
この「味噌だれ」を、当時、上方から伝わって大人気だった薄口醤油ベースのうどんの「たれ」を流用し、今日まで続く「蕎麦」がついに誕生します。
こうして、江戸を代表するソウルフードが出来上がったのです。
また、短気な江戸っ子のために、蕎麦が茹で上がるまでの時間に酒を提供しはじめました。
そのおつまみとして、天ぷらの「天たね」の提供がはじまり、それが、蕎麦の中に入るようになります。
僕が子供の頃、江戸っ子だった父親や祖父に、鮨屋は長居するものではないが、蕎麦屋は酒を嗜み、長居するのが「粋」だと言われたことをよく覚えています。
その癖もあって(教育もあって)、いまでも鮨屋はひとりで口開けに入って、サッと食べてパッと出るのが習慣になっています。
さて、蕎麦を信州に持ち込んだと言われるのが、役行者(役小角)です。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の霊場の開祖として知られる外国人とも宇宙人とも言われる役行者は、鬼神を使役できるほどの法力を持っていたといいます。
この役行者が、いつも持っていたスーパーフードが、蕎麦の実です。
修業のため信濃に入った役行者は、小黒川をさかのぼって駒ヶ岳を目指しました。
途中、村人たちに温かくもてなされた役小角は、お礼として蕎麦の実を村人に渡し、厳しい気候でも収穫できる蕎麦の栽培方法を伝えたと言われています。
これが、信州そば栽培の始まりで、村人たちはこの蕎麦を大切に育て、信濃の国全体に広めました。
しかし敗戦後、小麦の大量輸入と品種改良によって、蕎麦はかつての蕎麦とは別の食べ物になってしまいました。
いったい、役行者からはじまった本当の日本のスーパーフードである蕎麦とは、どんな味だったのでしょうか?
この幻の在来種を復活したのが、「入野谷そば」です。
地元の有志が足掛け十年がかりで見つけ出し、わずか20gの在来種から発芽した6粒を大切に育て復活。
幻の在来種「入野谷そば」が、わずかながら再び世に出ることになります。
在来種の「入野谷そば」は、なんとも香りと歯応えが強烈です!
これが、本来の蕎麦の味なんだろうなと、太古から連なる文化を噛みしめながら想いを馳せ、山間でゆっくり秋がはじまるのを実感する今週です。
高城未来研究所「Future Report」
Vol.483 2020年9月18日発行
■目次
1. 近況
2. 世界の俯瞰図
3. デュアルライフ、ハイパーノマドのススメ
4. 「病」との対話
5. 身体と意識
6. Q&Aコーナー
7. 連載のお知らせ
高城未来研究所は、近未来を読み解く総合研究所です。実際に海外を飛び回って現場を見てまわる僕を中心に、世界情勢や経済だけではなく、移住や海外就職のプロフェッショナルなど、多岐にわたる多くの研究員が、企業と個人を顧客に未来を個別にコンサルティングをしていきます。毎週お届けする「FutureReport」は、この研究所の定期レポートで、今後世界はどのように変わっていくのか、そして、何に気をつけ、何をしなくてはいけないのか、をマスでは発言できない私見と俯瞰的視座をあわせてお届けします。
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