やまもといちろうメルマガ「人間迷路」より

【代表質問】山本氏の『ボク言いましたよね』の真髄を知りたい


Q 【山本氏の『ボク言いましたよね』の真髄を知りたい】

某掲示板のころから山本さんを存じておりましたが、メルマガを知ったのはごく最近でして、管理職の悲哀を好き好んで嗜んでおられる山本さんのツイッターなどもよく拝見しております。

日々精力的に活動されているようで何よりです。

ところで、僕の好きな山本さんの定番ツイートに「ボクいいましたよね」というのがあり、影響されて、実生活でも使うようになりました。確かに便利な反面、この技を使うには副作用も大きい気がしていて、どのように使いこなせば山本さんのように嫌味なく連呼できるようになるのか聞いてみたいです。

バカみたいな質問ですみませんが、よろしくお願いします。
 

A 【無理なく『ボク言いましたよね』が使えるようになるには環境づくりが必要】

 まず、私が「ボク言いましたよね」というのは、対外的に「だから言ったじゃねえか」という話を蒸し返す際に頻出させるのもありますが、それ以上に、対内的・組織的な予防線を張る目的のほうが大きいです。

 というのも、組織というのは仕事でやる手前、リスクを承知でそういう判断をせざるを得ないことは往々にしてあります。いいことばかりではないし、何かを始めるには、始める人の度量や能力に依存することも多いのですから、一般的には、チャレンジすることは奨励されています。

 あるいは、後ろ向きなことでもさっさと対処し、内部で問題を周知させ解決に導かせることもまた大事な作業ですから、そこで「かねて指摘してきましたが」という枕詞と共に注意を喚起することは大事なことだと思っています。

 ただ、そういう話は特に「ちゃんと事前に他人の見られるところで言っておく」、「でもその指摘を理解しながらも、組織的にリスクを取ってやる方針を決めた」という検証可能な状態にしておくことが大事です。単に会議でそう発言した(よく「議事録に書かれている通り」などと注釈をつける人が出る)とか、個人的なやり取りのなかでそのリスクがあると伝えた程度では「ボク言いましたよね」にはなかなかなり得ません。

 ただ、そういうリスクの指摘をすると、決断しようとする人は邪魔されたと思うでしょうし、決断した結果やっぱりやらかしたという場合に決断した人に恥をかかせることになります。チームで仕事をする場合は特に、誰かのメンツをつぶすことはその組織に居られなくなったり、特に落ち度がないのに契約を斬られたりということもあり得ますから、(私でさえ)なるだけそういう「ボク言いましたよね」と言える役割を周知させたり、私はそういうことを指摘する人物であることを理解してもらえていることが大前提になります。

 そして、本当にそういうリスクが問題となった場合には、これらのおぜん立てと共に「ボク言いましたよね」は強力な保身となります。問題があることを指摘していた、というのは非常に良い(個人における)リスクヘッジなのです。ただ、前述のように仕込みをしておかないと単に邪魔する奴になってしまいますし、失敗をあげつらうクズと捉えられる可能性もあるので、協力は惜しまないがリスクはあるんだよ、気をつけようねって言えるような立場作りが何よりも大事なのです。

 ときとして、守秘義務に触らない程度にTwitter(X)などで業務に関係しそうなことに公開で触れておくのも、内々で語ったことはたいていにおいてもみ消されることに対するリスクヘッジと言えます。一般論として、当然そこは配慮しておくべき事項でしたね、私もその時期に外でもそのように書いております、というのは、能力の証明だけでなくその場所に居られるチケットを買う行動とも言えるのです。

 ただ、私もそこまで来るのにいろんなものを捨ててきましたし、嫌な思いもたくさんしてきました。「あいつ何やねん」とか「彼は何をしている人ですか」などと言われるのは、この商売をやるうえでの定番のハードルです。それでも、半年なり一年なり、特定のプロジェクトやチームで仕事をしていく中で実力を発揮し、彼(山本さん)が問題だというなら目配せはしておこうか、と思わせられるようになれば、私は私の機能を果たしたと言えます。

 それは、裏返しとして「私は別に自分自身や家族が一生喰っていけるだけの資産もあるので、この仕事にしがみつかなくてもいい」「嫌ならいつでも辞められるけど、携わっているプロジェクトに価値があると思っているからここにいる」という、他のメンバーにはない強みを持っているからに他なりません。私にとって「それをやるにはこういうリスクがあるんじゃないですか」とちゃんと伝えたのに、邪魔をしたとかメンツをつぶしたとか言って切ってくるような取引先やプロジェクトには、私はしがみつく必要が無いのです。

 たまに組織内の愚痴をネットに書くなと言われることもありますが、守秘義務に当たらないような書き方をちゃんと心がけて特定できないようにしていますし、ネットに書いたことで業務上の問題になったことはここ10年一度もありません。なんとなればネットやメディアにも書く立場にいるというのは非常に独特なポジションで、重宝してもらっているのはそういう浮き沈みを山と見てきたからです。生き残るために「ボク言いましたよね」って言い続けているというのが実態なのであって、優雅に白鳥が泳いでいる水面下でのバタ足は見えないのとある程度同じなのかな、といつも思っています。
 

やまもといちろうメールマガジン「人間迷路」

Vol.444 国内におけるクレカ規制の問題の深刻さを語りつつ、東京都知事選やeKYCが事実上終わりを迎えた件に触れる回
2024年6月19日発行号 目次
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【0-1. 序文】そろそろ真面目に「クレジットカードのコンテンツ表現規制」に立ち向わないとヤバい
【0-2. 代表質問】山本氏の『ボク言いましたよね』の真髄を知りたい
【1. インシデント1】告示前に終戦してしまった東京都知事選挙
【2. インシデント2】ようやくゴミeKYCがご臨終の件
【3. 迷子問答】迷路で迷っている者同士のQ&A

 
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やまもといちろう
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員を経て、情報法制研究所・事務局次長、上席研究員として、社会調査や統計分析にも従事。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。日経ビジネス、文春オンライン、みんなの介護、こどものミライなど多くの媒体に執筆し「ネットビジネスの終わり(Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

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