津田大介
@tsuda

津田大介のメルマガ『メディアの現場』より

TPPで日本の著作権法はどう変わる?――保護期間延長、非親告罪化、匂いや音の特許まで

リークされた米国の知財要求項目

津田:正式な情報を開示してもらえない状況がある一方で、2011年2月、米国の有力な消費者NGO・Knowledge Ecology International(KEI)が「TPPにおける米国政府の知財要求項目」をリークしたじゃないですか。[*17] リーク文書とはいえ、あれはかなり信憑性が高いと言われていますよね。

香月:ええ。国内の景気が低迷する一方の米国としては、海外――特に、成長著しいアジア市場へ参入したいという思惑があります。[*18] TPPへの交渉参加もその一環なんですけど、それ以外にも米国は個別にいろんな国とFTA(自由貿易協定)[*19] を結んでいるんですね。その一つに、2012年に発効した米韓FTAがあるのですが、[*20] その知財条項がKEIのリーク情報とほとんど同じだったんです。さらに、文書がリークされたのと同じ2011年2月に日本の米国大使館が公開した「日米経済調和対話」――過去には年次改革要望書と呼ばれた米国政府から日本政府への要望事項 [*21] にも同様の項目が少なくなかった。

津田:米国が諸外国とFTAを結ぶ時、知財分野で要求してくるものはテンプレート化してるんですよね。KEIがリークしたTPPの米国提案には、そのテンプレートが結構反映されていたから、これを軸に進んでいるのは間違いないでしょうということになった。しかも、強気で交渉しやすい2国間で行われたFTAの要望と、複数国が参加するTPPでの要望がほぼ一致するということは、米国はTPPの協議でもジャイアニズムを発揮して、自国のルールを強引に押し付けてくるんじゃないかと。

香月:米国が自国の映画、音楽、コンピューターソフトから得た国外収入は約1340億ドル(現在のレートで約11.5兆円)の規模だと言われていますからね。[*22] 米国にとってコンテンツやITといった分野は最重要項目だから、どんどん外国に知財での要望を突きつけたいんです。

津田:で、そんな米国がTPPで交渉参加国に突きつけるであろうリーク文書の要望には、具体的にはどんな項目があったんですか?

香月:現行の日本の法律にはないものをいくつか挙げると、まずは著作権の保護期間延長です。日本では、映画を除いて著作権の保護期間は作者の死後50年になっています。その期間が過ぎた作品は著作権が消滅してパブリックドメイン――社会の財産ということになり、誰の許可もなく自由に利用できるようになります。[*23] わかりやすいのが青空文庫 [*24] で、あそこで読める書籍はすべてパブリックドメインですね。

津田:たとえば2013年1月1日からは『宮本武蔵』[*25] でお馴染みの吉川英治、『遠野物語』[*26] などで有名な民俗学者・柳田国男の作品の著作権が切れます。「青空文庫のビッグイヤー」なんてことも言われているわけですが、著作権保護期間が延長されてしまうと、もうすぐ青空文庫で読めると思っていたら20年先になってしまうなんてことが起きるわけですね。著作権というのは一定期間を経たら社会共有の資産になるべきということが保護期間が設定されている理由なわけですが、保護期間を延長すると、そういうパブリックへの還元の減退が起きるわけです。

香月:2006年頃にも保護期間延長の機運が高まった時、「NO」と声を上げたのがまさに津田さんであり、thinkCだったわけですよね。

津田:そうそう。弁護士の福井健策先生(@fukuikensaku)たちと一緒にthinkCのシンポジウムを開いたり、パブコメ [*27] を募集したりして、最終的に文部科学省の審議会で延長を見送りにすることができました。この問題で難しいのは一度延長してしまったら、もう戻すことはできないというところなんですよ。ミッキーマウスの著作権がいつまでも消滅しない「ミッキーマウス法」[*28] と言われているのもそういう背景があります。

香月:そのほかに懸念すべき条項として、著作権の非親告罪化があります。津田マガでもたびたび取り上げてきたとおり、日本では著作権侵害の処罰は親告罪なので、著作権が侵害しても作者の訴えがない限り罪に問われません。それが非親告罪化されると、作者が告訴しなくても逮捕されてしまうんです。

津田:非親告罪化って、たとえば本の著者が自分の作品はネットでコピーされてもかまわない、むしろ歓迎だと思っていても、誰かが通報すればコピーした人は犯罪者になってしまうんです。望まぬ逮捕を生む可能性があり、それがクリエイターの創造のサイクルに対する萎縮効果を生むのではないか、ということが最大の懸念点ですね。

香月:次は、法定損害賠償。あるミュージシャンの曲が動画サイトに違法にアップロードされているのを見つけて、訴えを起こしたとします。ミュージシャンはアップロードした人に損害賠償を請求できますが、現状では、賠償金は被害額を算定して決められるんですね。1件1件の著作権侵害の被害額はそれほど大きな額にならない。何回ダウンロードされたのかを調べるのに時間もお金もかかりますし――。

津田:裁判となれば弁護士費用もかかる。費用倒れになることは目に見えていますね。

香月:だから泣き寝入りする権利者も結構多いんです。そこに懲罰的な意味を含んだ法定損害賠償制度が出来れば、被害額は関係なしに裁判所が賠償額を決められるようになります。

津田:米国のルールでは賠償額の幅が決まっているんですよね。いくらでしたっけ?

香月:下限750ドル、上限15万ドルとなっています。[*29] 著作権を侵害された時、「最低でもこの金額はもらえる」と見込めるので訴訟を起こしやすくなるんですよね。

津田:しかも、「とりあえず訴えて賠償金が手に入ればラッキー」みたいな感覚で、知財訴訟が横行するかもしれないという指摘は福井さんもしてましたね。それこそ、最近日本でも問題になっている過払い金訴訟みたいな感じで、カジュアルに知財・著作権がらみの裁判が行われるようになる可能性もある。

香月:そうなれば新しいビジネスも生まれるでしょうね。これは実際に米国やイギリス、ドイツあたりでは深刻な問題になってるんですけど、調査会社や法律事務所が手を組んで、著作権侵害を見つけたらそこに和解案を含む警告状を送ると。もし30万円の和解金を払わなければ訴えますよ、法廷に引きずり込みますよと、脅しのようなことをやっているわけです。特に目立つのがポルノコンテンツ絡みの事案です。「あなたはこんな卑猥な動画をダウンロードしましたね? 法廷で争ってもよいですが、そうすると会社や家族にバレてしまいますよね。だったら和解金を支払って解決しませんか?」と言われると、まぁ普通の人は訴訟を起こされる前に和解しちゃいますよね。加えて、日本にはカジュアルな著作権侵害にも刑事罰を設けていますから、それがないアメリカやイギリスに比べると脅す材料は多いですよね。

津田:和解すれば見逃してあげる、と。そんなことが日本でも起こる可能性があるわけですね。日本の司法文化を考えると、レコード会社や出版社がそこまでのことをするとは思えませんが、それも懸念点の1つではありますよね。

香月:ほかにも、ファイルを違法にアップロードして生じる著作権侵害の責任をインターネット・サービス・プロバイダ(ISP)にも負わせる「米国型のプロバイダーの義務と責任の導入」、音や匂いも商標登録する……など手強そうなルールが揃ってますね。

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津田大介
ジャーナリスト/メディア・アクティビスト。1973年生まれ。東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース非常勤講師。一般社団法人インターネットユーザー協会代表理事。J-WAVE『JAM THE WORLD』火曜日ナビゲーター。IT・ネットサービスやネットカルチャー、ネットジャーナリズム、著作権問題、コンテンツビジネス論などを専門分野に執筆活動を行う。ネットニュースメディア「ナタリー」の設立・運営にも携わる。主な著書に『Twitter社会論』(洋泉社)、『未来型サバイバル音楽論』(中央公論新社)など。

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