なかなかややこしい問題
ただ、「私のことを先生なんて呼ばないで下さいね」という人に、ある種の格好よさを感じ、好感を持ってしまう事も事実である。なにしろ世の中には自分を崇め奉られることで、ひどく気分が良くなる、ドラマの中に出てくるような人物が本当にいるようだからである。例えば、ある医療関係に勤めている私の知り合いから聞いた事があるが、ある薬剤メーカーの関係者が、ある医師に向かって「…先生様は…」と話しかけたところ、上機嫌になった医師は「んー、君はなかなか常識を心得ているねえ」と言ったそうである。確かに近年まで、ある公的機関の高官の中には「閣下」と呼ばれて機嫌を良くする人物もいたようであるから(現代もいるかもしれないが)、浅薄な人の名誉欲というのはどうしようもないものがあるのかもしれない。
このような事があるから「先生と 呼ばれるほどの 馬鹿でなし」という川柳もあったのだろう。相手を「社長」とか「先生」とか持ち上げて、媚び諂う傾向がある事も事実である。別にものを教えている訳でもない国会議員を「先生」と呼ぶことに関しては、揶揄の意味も含めて、時に「センセイ」などとわざわざカタカナ書きでからかい気味に書かれることもあるほどである。ただ、城雄二先生がご自身を「先生」と呼ばれたくはないというお気持ちは、元よりそのようにからかわれるのはゴメンだという意味ではないであろう。真面目な人が、自らにとってきわめて意味のある事を教えて下さる方に対する誠心誠意を込めた敬称としての「先生」であっても、それを使ってほしくないという事だと思う。
そういえば、明治の初め頃、ルソーの『民約論』を訳した中江兆民は、門下生達に自らを中江君と呼ばせていたそうだが、恐らく当時の門下生は、まだ封建的雰囲気が色濃く残っていたであろう時代なだけに、師を君づけで呼ぶことに時代の最先端をいっているような一種の誇りを感じていたように思う。したがって、これはこれである種の選民意識であり、一見、城先生の「先生はやめていただくとうれしいです」に応えた人達に似ているようで、まったく別物のように思える。それだけに、この問題はややこしい。
その他の記事
|
20代のうちは「借金してでも自分に先行投資する」ほうがいい?(家入一真) |
|
皇室典範のような面倒くさいところに国連の人権屋ぽいのが突撃してきた話(やまもといちろう) |
|
「いままでにない気候」で訪れる「いままでにない社会」の可能性(高城剛) |
|
女子高生に改正児童ポルノ法の話をした理由(小寺信良) |
|
「奏でる身体」を求めて(白川真理) |
|
「近頃の新入社員は主体性に欠ける」と感じる本当の理由(名越康文) |
|
音声入力とAIによる「執筆革命」(高城剛) |
|
某既婚女性板関連でいきなり情報開示請求が来た件(やまもといちろう) |
|
片思いの恋愛感情、相手に伝えるべき?(家入一真) |
|
自分にあった食材を探し求める旅(高城剛) |
|
ぼくがキガシラペンギンに出会った場所(川端裕人) |
|
達成感の得られない仕事とどう向き合うか(甲野善紀) |
|
年の瀬に「私の人生はこのままでいいのか?」と思ったら読む話(名越康文) |
|
季節の変わり目を迎えて(高城剛) |
|
「逃げる」というのは「努力しない」ということじゃないよ(家入一真) |











