駒沢大学野球部合宿所の会議室には、加賀にくわえ、監督、コーチが3人並んで座っている。こちらはスカウト2名に管理部長の山田で計4人。数からいえばこっちの方が多いが、雰囲気では完全に飲まれていた。そもそも、前任者からは、ドラフト上位者との交渉は手ごたえアリと引き継いでいる。
「あの、なにかいたらぬ点でもありましたでしょうか......」
「全部だよ!」
監督は苦虫をかみつぶしたような顔で続けた。
「契約書を見たが、ありゃなんだい 初年度440万円からスタートなんて、そこらの実業団と変わらないじゃないか!」
「あ、あの、一軍昇格したら1500万円は保証されますし、もちろん獲得タイトル 分は出来高上乗せいたします。......それに、現役の間は年俸はカットしませんし、本人の同意しないトレード、自由契約は一切ありません。また、引退後は連合傘下企業 での終身雇用を保証いたします。長い目で見れば、けっして他球団選手の生涯賃金に見劣りするものではありません(※2)」
「いいかい? うちの加賀はメジャーからも身分照会されとるんだよ。彼の右腕なら 一年目で1億も夢じゃない。そんな金の卵を400万ちょっとで渡せると思うかね?」
「そ、それは......」
「とにかく、ユニオンズとの交渉は打ち切らせてもらうよ。加賀はメジャーに行かせ る。向こうで揉まれたほうが長い目で見て本人のためだろう」
その日のうちに、球団事務所には同じような連絡が相次いだ。ドラフト1位以下、 ほぼ全員が交渉を打ち切り、メジャーや実業団の道を選ぶという。
あわてた山田は、連合事務局長の平野にお伺いを立てた。
※2 長い目で見れば、けっして他球団に劣らない/平均年俸2000万円で 年間契約した場合のトータル賃金は2億円だ が、平均年収800万円で40年間サラリーマンした場合の生涯賃金は3億2000万である。しかも単年度あたりの高額所得者は最高で4割税金として持っていかれるが、(各種控除を加えれば)平均的サラリーマンの実質的な所得税は2%程度に過ぎないので、この差はさらに拡大する。もっとも、それには会社が40年間存続することが前提ではあるが。