やまもといちろうメルマガ「人間迷路」より

『好きを仕事にした』人の末路がなかなかしんどい



 一時期は「自分探し」や「スローライフ」「モノに依存しない生活」などのコンセプトで、自分らしく生きる、暮らすことへのムーブメントが盛んにありました。その中で、フリーランスに対する考え方や見方が社会から容認され始め、女性の社会進出や、カフェで仕事をするノマド的な働き方といった、働くことの多様性と同時にしんどみも広く理解されるようになって、都市生活と勤労のライフワークバランスはかなり問われるようになったと思います。

 一方で、フリーランス税制や社会保障などでも問題になるケースが多いように、個人で働く形態が一般化しても、まあなかなか組織で働かないことで不自由することも多いのです。企画立案から営業、実際の仕事をやってからの請求書発行、回収確認、さらに月次決算とすべきことは多く、雑念から解放されたくて組織を飛び出した人が、自分の活動履歴やレシートの山を整理するという新たな雑用に追い立てられるという悲しい現実に直面する人は少なくないというのが実情ではないかと感じます。

 私などは、仕事どころかセミリタイア状態となって、本当の意味で「したいことしかしない」生活を送る… はずが、断りづらい筋からの相談や、常勤でなくてもいいからと言われて契約を延長してみたら実質的な仕事量が増えてしまったという問題に直面するわけですけれども(ついには公務で置物仕事まで復活してしまった)、資産があって稼げる状態にあってなお『好きを仕事にする』ことを貫徹するのはむつかしいのを実感します。結構簡単に「仕事を選べよ」と他人には言うものの、気づいてみれば調査業務や山積みのデータ処理の方針を固めていたり、原稿仕事の締め切りに追われるというのは「確かに調べものや執筆することは好きだけど、まあ限度があるよね」ということを自分で思い知ることになるのです。

 一方、稼げないけど好きなことを仕事にしてしまうケースが周辺にあります。優秀なSEだった人がゲーム好きだからと一念発起してアプリ制作の仕事を始めてみたら、いわゆるツール系アプリの受託ばかりが来てしまって身動きが取れなくなったので、雇ってほしいとか。あるいは、庭いじりが好きな人が都会生活に見切りをつけて鎌倉や湘南で独立してみたら、すでにそこには安く庭園管理をする業者が行き届いていて、マーケットリサーチなき進出の失敗談のひとつになってしまうとか。まあ、いろいろあります。

 やはり、マーケティングでも情報処理でも、いわゆる稼げるスキルを磨くのにその分野が好きで研鑽し続けられるかどうかは40代を超えても生き残ることができるかどうかの大事な要素だろうと思う一方、最初から好きな稼げる分野を仕事にしたとき、本当に好きでい続けられるのかというのは意外と見落とされがちです。例えば、いまでも野球の仕事をしていますが楽天のようなプロスポーツの世界と、高校野球や社会人野球チームのようなアマチュアでは選手の質も抱える問題の規模も違います。私は野球が好きなままでいられましたが、社会人野球を引退したけど野球が好きだからプロの世界で解析の仕事をしたいといっても、なかなか続かないわけです。

 あれだけ好きだったのに、仕事になった瞬間に熱意がなくなってしまうというのは普遍的に起きることで、ファンとして観ているものと、プロとして携わるものは異なります。ゲームにしてもエンタメ系全般に言えることは「ファンやホビーで関わっている人を雇うな」という鉄則がやはりあって、好きだからと言って関わると途中で人間関係や組織的な問題、あるいは途中までなかなか結果が出ないで苦しいといったときに、結構簡単に好きでなくなってしまう現象を起こします。そればかりか、選手として関わってきた野球や、プレイヤーとして楽しんできたゲームを、いざ仕事として供給者に回って見たときに「パフォーマンスを出すための苦労」はプレイヤーとして観てきたスキルやノウハウとは全く異なるものになるというのもまた起きることなのです。

 とりわけ、青春時代を野球漬けで過ごしたのに、スタメンになれずに野球から引退した人ほど、プロ野球のような「ほかの人が才能を発揮して活躍していること」を観るのがストレスになるため野球を観なくなった、というのは部活あるあるだと思うんですよ。故障して引退したプロ野球選手が、フロント残留を拒否するケース(だいたいは地元に帰ってサラリーマンなど野球とは無縁な仕事を選びたがる)のもまた、夢破れた反動とも言えます。

 結局のところ、何か働きを提供してバリューを出すというのは、その界隈に詳しいかどうかはあまり関係がないのです。実際、昨年度はお陰様でコンテンツ投資でそれなりの収益を出した私のファンドも、意志決定者の一人である私はそもそも映画を自分からは観ません。あくまで、子供が観たがる子供用の映画を付き添いで年間4作品ぐらい観るかどうかというレベルであって、映像作品の良し悪しなど私は全く分からないのです。

 でも、映像作品やゲームなどのエンタメ商材に対する投資というのは、集まる資金の規模や関わる関係者の能力でほとんど決まります。映像作品などが良いか悪いかはその結果に過ぎないのであって、良い作品を作れる関係者を集められ、必要な資金が十分に提供できれば、基本的には期待値かそれを上回る回収ができることが経験則で分かっているので、その界隈の目利きがこの人を呼べば仕事になるだろうという話を聞き、アチーブメントを客観的に見て、冷静に判断できればそれでよいのです。逆に、どの俳優のファンだとか、あの監督の作風が好きだといった個人の感情を挟んで上手くいくケースばかりだとは個人的には思えません。もちろん、その監督に絶大な支持があって、どんな作品でもまずまずの売り上げや興行収入になると言えればそれでいいわけですが、そういう人に限って、引く手あまたで順番待ちなのです。

 翻って、自分自身がそういう順番待ちになるようなフリーランスになれるのか、というのは非常に重要な観点になります。選ぶ人であると同時に、選ばれる人でなければ40代50代になっても就職のための履歴書を書き続けなければならない人生が待っています。好きなのか、稼げるのかは自分の中で冷静に分けなければ、まあなかなかむつかしいのだろう、と。

 好きなことは人生を豊かにするために行い、稼げることは好きなことを好きなだけできるようにするための素材です。人生を円満に送るには稼ぎ続けなければならないし、好きなことがなければ人生は味気ないものになります。この機微を考えるにあたって、本当に『好きを仕事にする』ことの意味にぜひ着眼してほしいと願っています。

 

やまもといちろうメールマガジン「人間迷路」

Vol.231 『好きを仕事にする』とはどういうことかを語りつつ、野田聖子さんの件や利用規約の落とし穴的な問題を考える回
2018年7月23日発行号 目次
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【0. 序文】『好きを仕事にした』人の末路がなかなかしんどい
【1. インシデント1】「野田聖子」という為政者の肖像
【2. インシデント2】ネットサービスやアプリの利用規約と信用問題
【3. 子育て奮闘記的なもの】
【4. 迷子問答】迷路で迷っている者同士のQ&A

 
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やまもといちろう
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員を経て、情報法制研究所・事務局次長、上席研究員として、社会調査や統計分析にも従事。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。日経ビジネス、文春オンライン、みんなの介護、こどものミライなど多くの媒体に執筆し「ネットビジネスの終わり(Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

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