甲野善紀
@shouseikan

甲野善紀メルマガ『風の先、風の跡』より

「先生」と呼ぶか、「さん」と呼ぶか

贈り物としての「先生」

 

例えば私がここ30年以上、師とも仰いでいる身体教育研究所の野口裕之先生は、昔は私に先生をつけられる事などほとんどなかったのだが、最近は「甲野さん」と呼ばれる事の方が少なくなっていて、これはどうにも落ち着かなくて困る。

 

ただ、中には、この「先生」という言葉をじつに軽妙洒脱に使う人もいて、以前、私より年上でありながら、私を「先生」と呼んで少しも私に違和感を感じさせない方があった。この人は刀剣の蒐集家としてかなり知られた板金会社の社長だったが、何とも粋な人で年下の私を「先生」と呼ぶその調子が、からかっている訳でもないのだが、実に軽妙で、私を「先生」というニックネームで呼んでいる感じだった。K社長はすでに亡くなってかなりになるが、その事が深く印象に残っているという事は、私が人の呼び方という事に関して、いろいろと考えるところがあったからだと思う。

 

私は合気道を始めて以来、武の世界にいたから、指導者を「先生」と呼ぶことは抵抗がなかったが、独立して松聲館道場を立ち上げるまでは、教える事があっても先輩的立場で教えていたから、「先生」と呼ばれる事はなかった。それが独立して会を立ち上げてからは、自動的に多くの人から「先生」と呼ばれるようになり、当初は落ち着かなかったが、次第にそれはそれで受け入れるようになった。それは、いわば相手からの贈り物でもあると気がついたからである。また、相手にとって、ちょっとあらたまって自分の中の気分を変えるために、そう呼びたいという事もあるだろう。そして現に私自身が先生と呼びたいという衝動が起きる事があるのだから、そう呼ぶ事を他の人達に制限させるのもどうかと思った。

1 2 3 4 5 6 7
甲野善紀
こうの・よしのり 1949年東京生まれ。武術研究家。武術を通じて「人間にとっての自然」を探求しようと、78年に松聲館道場を起こし、技と術理を研究。99年頃からは武術に限らず、さまざまなスポーツへの応用に成果を得る。介護や楽器演奏、教育などの分野からの関心も高い。著書『剣の精神誌』『古武術からの発想』、共著『身体から革命を起こす』など多数。

その他の記事

rovi、TiVoを買収して何が変わる?(小寺信良)
“リア充”に気後れを感じたら(名越康文)
古い常識が生み出す新しいデジタルデバイド(本田雅一)
社会システムが大きく変わる前兆としての気候変動(高城剛)
都市として選択の岐路に立たされるサンセバスチャン(高城剛)
昨今の“AIブーム”について考えたこと(本田雅一)
季節の変わり目の体調管理(高城剛)
某既婚女性板関連でいきなり情報開示請求が来た件(やまもといちろう)
飲食業はその国の社会の縮図(高城剛)
なぜいま、世界史なのか? なぜ『最後の作品』が世界史なのか?(長沼敬憲)
「狂信」と「深い信仰」を分ける境界(甲野善紀)
「価値とは何かを知る」–村上隆さんの個展を見ることの価値(岩崎夏海)
イマイチ「こだわり」が良く分からない岸田文雄さんが踏み切るかもしれない早期解散(やまもといちろう)
日本のものづくりはなぜダサいのか–美意識なき「美しい日本」(高城剛)
縮む地方と「奴隷労働」の実態(やまもといちろう)
甲野善紀のメールマガジン
「風の先、風の跡~ある武術研究者の日々の気づき」

[料金(税込)] 550円(税込)/ 月
[発行周期] 月1回発行(第3月曜日配信予定)

ページのトップへ