桜井章一さんは、麻雀のツモや打牌を「型」として教えている。その中で「狭い箱の中で体を動かすような感覚だ」と説いている。自分の肩幅以上には体を動かさないよう、きつく戒めているのだ。
なぜそうするかといえば、枠組みを作ることによって、逆に狭い中での自在性を獲得できるようになるからだ。その中で動けるようになると、むしろ体の使い方の幅は広がるのである。体の多様な使い方を覚えられるのだ。
昔、テレビで見た書道の大家が、書道というのは「墨で字を書くのではない」といっていた。「余白の白で空間を描くのだ」といった。だから、字の墨の部分から半紙の端のところまでの距離感とバランスがだいじなのだそうである。
書道は半紙という枠組みの中で、はじめて完成する。
ドラッカーは、「自由」のことを「責任ある選択」と表現した。責任という枠組みの中で自由に選択できることこそ、本当の自由なのだと。
何でもかんでも許されることを「自由」とはいわない。それは「無責任」である——と彼はいった。
絵画のキャンバスは、どうして四角四面なのだろうと考えたことがある。表現の自由を求め、キャンバス内ではあれこれと試行錯誤をくり返してきた古今の名匠たちも、キャンバスからはみ出すことはついになかった。
しかしあるとき、キャンバスからはみ出して絵を描いた画家がいた。それも、何人も何人も現れた。
彼らはどうなったか?
歴史の荒波に飲み込まれ、ほとんど跡形もなく全員が消え去っていった。
剣道というのは、あれこれと型がある。竹刀を振り上げるときはここまでで、振り下ろすときはここまで。握り方はこう、足の運びはこう。全部事細かに決まっている。
なぜ型があるかといえば、それは剣道数百年の知見がその中に凝縮しているからだ。その型が本質なのである。また教えでもあるのだ。
型を通して剣道を伝えると、教育効果がぐんと高まる。それも、もう数百年、ずっと証明され続けてきたことである。
サッカーがなぜ面白いかといえば、それは不自由だからである。枠組み、あるいは規制があるからだ。それも、誰もが分かりやすい「手を使ってはいけない」という規制がある。それが、サッカーに無限の自由をもたらしている。足の使い方のさまざまな発明——あるいはさまざまなイノベーションを、日々生み出すことともなっているのだ。
手を使えないというその枠組みが、「足にはこんな使い方もあるんだ」という自由を獲得する契機になっているのである。
よく「表現の自由」といって、言葉が規制されたり、枠組みを設けられたりすることに異を唱える人がいる。昨今では、ネットにもそういう人は多い。
「子供の自由な発想」という人がいる。子供には規制を設けるべきではない、と。
彼らは、子供をのびのび育てたいという。のびのびとは、果たしてどういうことなのか?
桜井章一さんは、親や先生や大人から、いろんなことを禁止されていた。塀の上に登るな。鉄道橋を歩くな。喧嘩をするな。川に潜るな。
桜井さんは、禁止されればされるほど、その禁止されたことをやろうとした。塀の上に登り、鉄道橋を歩き、喧嘩をして、川に潜った。
桜井さんは、命がけでそれをしていた。高い塀の上を歩くのではなく走り、電車が来たら鉄道橋にぶら下がってそれをやり過ごし、喧嘩は必ず自分より体の大きな者として、川に潜ったら体の幅ぎりぎりの横穴の中に入って魚を捕まえた。川の中では、ちょっとでも何かに引っかかって抜けなくなったらすぐに死ぬという、文字通り「死線」を何度もくぐり抜けた。禁止されればされるほど、桜井さんの行動半径はどんどんと広がっていった。どんどんと「のびのび」育っていったのだ。
「トム・ソーヤーの冒険」に「ペンキ塗りのエピソード」というのがある。
トムはイタズラをした罰としてペンキ塗りを命じられたのだが、一計を案じてそのペンキ塗りを楽しそうにしているところを友だちに見せつけた。その上で、その友だちがペンキ塗りを手伝おうとすることを「禁止」したのだ。
すると、その友だちはどうしたか?
トムから禁止されればされるほど「誘惑」にかられ、ついには高い対価を支払ってペンキを塗る権利を買い取ったのだ。
これを「禁止と誘惑の法則」という。
イブは、リンゴを食べた。
なぜか?
禁止されていたからだ。
禁止されていなければ、イブはリンゴを食べなかったかもしれない。そうすれば、人間も誕生していなかった。
人間には、枠組みが必要だ。それは、自由を獲得するためである。
この道理は、しかしいまだに、ほとんどの人に理解されていない。
枠組みを作ろうとする人は、それを「禁止」のためにしている。
それが、誘惑しか生み出さないと、知るよしもなく。
枠組みを壊そうとする人は、それを「自由」のためにしている。
それが、無責任しか生み出さないと、知るよしもなく。
※この記事はメルマガ「ハックルベリーに会いに行く」に掲載されたものです。
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