贈り物としての「先生」
例えば私がここ30年以上、師とも仰いでいる身体教育研究所の野口裕之先生は、昔は私に先生をつけられる事などほとんどなかったのだが、最近は「甲野さん」と呼ばれる事の方が少なくなっていて、これはどうにも落ち着かなくて困る。
ただ、中には、この「先生」という言葉をじつに軽妙洒脱に使う人もいて、以前、私より年上でありながら、私を「先生」と呼んで少しも私に違和感を感じさせない方があった。この人は刀剣の蒐集家としてかなり知られた板金会社の社長だったが、何とも粋な人で年下の私を「先生」と呼ぶその調子が、からかっている訳でもないのだが、実に軽妙で、私を「先生」というニックネームで呼んでいる感じだった。K社長はすでに亡くなってかなりになるが、その事が深く印象に残っているという事は、私が人の呼び方という事に関して、いろいろと考えるところがあったからだと思う。
私は合気道を始めて以来、武の世界にいたから、指導者を「先生」と呼ぶことは抵抗がなかったが、独立して松聲館道場を立ち上げるまでは、教える事があっても先輩的立場で教えていたから、「先生」と呼ばれる事はなかった。それが独立して会を立ち上げてからは、自動的に多くの人から「先生」と呼ばれるようになり、当初は落ち着かなかったが、次第にそれはそれで受け入れるようになった。それは、いわば相手からの贈り物でもあると気がついたからである。また、相手にとって、ちょっとあらたまって自分の中の気分を変えるために、そう呼びたいという事もあるだろう。そして現に私自身が先生と呼びたいという衝動が起きる事があるのだから、そう呼ぶ事を他の人達に制限させるのもどうかと思った。
その他の記事
|
「おじさん」であることと社会での関わり方の問題(やまもといちろう) |
|
人間にとって自然な感情としての「差別」(甲野善紀) |
|
これからの時代をサバイブするための「圏外への旅」(高城剛) |
|
誰かのために献身的になる、ということ(高城剛) |
|
準備なしに手が付けられる、ScanSnapの新作、「iX1500」(小寺信良) |
|
自分の「生き方」を職業から独立させるということ(紀里谷和明) |
|
レストランからバルへ、大きくかわりつつある美食世界一の街(高城剛) |
|
ハロウィン:あの世とこの世の境界線が曖昧になるとき(鏡リュウジ) |
|
自己セラピーダイエットのすすめ:酒好き、食いしん坊のスーパーメタボなアラフィフでも健康と若さを取り戻せた理由(本田雅一) |
|
津田大介×高城剛対談「アフター・インターネット」――ビットコイン、VR、EU、日本核武装はどうなるか?(夜間飛行編集部) |
|
なぜ「もしドラ」の続編を書いたのか(岩崎夏海) |
|
『君の名は。』『PPAP』…ヒットはどのようにして生まれるか(岩崎夏海) |
|
5-10分の「忘れ物を取り戻る」程度の小走りが脳を変える(高城剛) |
|
古い常識が生み出す新しいデジタルデバイド(本田雅一) |
|
一寸先は、光。自分しかない未来を恐れなければ道は開けるものです(高城剛) |











