やまもといちろうメルマガ「人間迷路」より

ネットによる社会の分断は、社会の知恵である「いい塩梅」「いい湯加減」を駄目にする


 ボストンにあるリンカーン像を黒人活動家が引き倒す(かもしれない)というニュースを見て驚いています。もちろん、単に「歴史を知らないのか。頭悪いよなあ」と言いたくなる面もあるのですが、それ以上に、BLM(Black Lives Matter)であれ香港デモであれ、統治と社会の間でうまい具合に作用してきた仕組みがどれもヘタってきているように思うんですよ。

 ある意味で、ネットがすべてを可視化してくれることで、逆に可視化された事実を受け止められない人たちが出たり、また、激しい思い込みと都合の良い情報のチェリーピッキングの果てに過激な行動に出てしまう人たちが増える現象は気になるのです。ネット以前の世界が良いとは思いませんが、かつては「そうはいっても」という理性が働き、「いい塩梅」とか「いい頃合」とか「いい湯加減」といった、社会の潤滑油的な遊びの部分が機能して、起きる煽動に根こそぎ人が騙されるということもなかったんじゃないかと。

 もちろん、この手の話をすると、オールド左翼の皆さんは来し道を懐かしむように60年代安保の話をされたり、また、いまアメリカで暴れ回っている暴徒を羨むかのように「日本は暴動すら起こせない駄目な人たちの集まりになってしまった」という論考をしたりするのですが、ただ、最近のネットでのフェミニズムやちょっとした事件に対するネットでの過剰反応を見ていると、遠くで見ているこちらが途方に暮れることが増えてきました。まだSEALDsで活動の夢を見た若者たちの話や(実際、Facebookで友人になり、彼らの感覚を聞いていると実にまともな若者たちであったことを知る)、いま日本で辛い思いをしている外国人労働者やシングルマザーなどの救援活動をしてきた人たちの話は立場はまったく異なるけれども理解もできるし共感もする。

 しかしながら、ネットによる社会の分断はかなり明らかである一方、話の主題がどちらかというとFacebookやTwitterのようなSNS、プラットフォーム事業者の話になりやすく、ネットでの誹謗中傷やデマ、あるいはフェイクニュース対策といった、何か違う社会問題のゴミ箱に全部送り込まれて、そこで盛大に騙されて噴き上がっている人たちごとネットから見えなくしてしまおうという方向にシフトしているように思います。

 先日も、東京都知事選に出馬された山本太郎さんに対して、強い批判をする人たちから罵声が飛んできたり、オフィスに直接来て抗議されるという事件があったんですよ。noteでは茶化して「困ったな」ぐらいの書き方をしていますが、これって明らかにBLM活動家がリンカーン像を引き倒すのと相似形の事象です。確かに黒人がリンカーンの足元にひざまづいているように見えるかもしれないが、実際には奴隷解放を成し遂げたリンカーンが黒人をつないでいる鎖を打ち破る姿を示す像であって、しかもこの像は当の解放された黒人の人たちが浄銭を出し合って建立したもので、さらにこれはレプリカであるという。

【なぜ?】ボストン市でリンカーン像の撤去を検討、請願書に8000人が署名

山本太郎さん、都知事選出馬強行のお陰で罵声メールが今回もやってくる

 リンカーンの偉業に比べれば私の存在など足元にも及ばないとはいえ、起きた事件の馬鹿馬鹿しさはいずれも常軌を逸しています。頭のおかしい人たちが、頭のおかしい人たち同士つるんでとんでもなく馬鹿なことができてしまうのも、いわばネットによって似たような主義主張の同好の士がすぐに集える仕組みができ、それが可視化されてしまったことによって、簡単に党派性の強い組織を作りやすくなったのではないか。

 さらには、ネトウヨと呼ばれる人たちもこれらの暴徒も、一人ひとりを切り離すと話の分かる善良な人たちなのに、ちょっとそのスイッチを入れるような情報に接すると途端にハイカロリーな爆弾魔みたいになってしまう怖れがあるわけですよ。例えばクラスの中では特殊な趣味すぎて話せる友達もいないような子でも、ネットのお陰で似たような趣味や境遇の子たちが集まって議論できるような特殊なコミュニティができやすくなって、オタクと蔑まれていた時代からネットのお陰で特定方面の専門家、愛好家として成立するようになったのと同じく、まさにネットは馬鹿とヒマ人と貧乏人のものと言わんばかりの弊害をもたらすようになったようにも思うのです。

 そういう良く分からない粗暴な連中から一線を画してうまく無害にしておくのがある種の社会の知恵だったと思うのですが、昨今の事例を見るとどんどんそういう知恵が後退し、みんな過激な主張を真に受け、むしろ歓迎し、燃え盛っているものに対してあーだこーだ言うことが言論なのだという変な風潮になってしまったのではないかと感じます。もちろん、私とて炎上している事件は好物で、物好きですからしげしげと観察してネットで記事を書き論評するぐらいのことはしてきたわけですけれども、あれは本当に「芸」というか読み物なのであって、ガチで噴き上がって徒党を組み何かを打ち壊したり社会問題に仕立て上げようなんてことはいままで(あんまり)無かったのですよ。

 でも、あいちトリエンナーレ以降気がついて見るといままで「芸」として見てきて、また、そういうネトウヨや左翼特有の「しぐさ」的なものがあるのだなあといった距離感がありました。それが、突然見当違いの罵声メールが送られてきたり、新聞がうっかり取り上げて舞い上がる事件が起きたり、ネット事件をネタにするテレビ番組が出てきたりすると当方に暮れるのです。

 単に「いままでネット社会はネット社会の中だけで収まってきたものが、ついにメインストリームに出てきたのだ」というような捉え方だけではない、もっと深刻な低い知能の何かが、どっぷりとデジタルネイティブの浸透とともに厄介な問題を引き起こし始めているのではないかと思うと不安を感じます。これはもうどうしようもない問題なのだ、と肩をすくめるしか方法は残されていないのではないかという失望すらも感じるところではあるのですが。
 

やまもといちろうメールマガジン「人間迷路」

Vol.Vol.302 昨今のネットによる社会の分断を憂えつつ、解散総選挙をめぐる安倍総理の心中を探り、話題のコンタクトトレーシングアプリにも触れる回
2020年6月30日発行号 目次
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【0. 序文】ネットによる社会の分断は、社会の知恵である「いい塩梅」「いい湯加減」を駄目にする
【1. インシデント1】安倍晋三総理が公明党と決別する日は来るのか
【2. インシデント2】コンタクトトレーシングアプリを国主導で活用することのむつかしさ
【3. 迷子問答】迷路で迷っている者同士のQ&A
【4. インシデント4】「好きな俳優、嫌いな俳優」から見る社会的な好みの変遷

 
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やまもといちろう
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員を経て、情報法制研究所・事務局次長、上席研究員として、社会調査や統計分析にも従事。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。日経ビジネス、文春オンライン、みんなの介護、こどものミライなど多くの媒体に執筆し「ネットビジネスの終わり(Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

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