パーソナリティ
内田 樹 Uchida Tatsuru
平川克美 Hirakawa Katsumi
ビジネスロジックを持ち込んではいけない場所
平川:次の話題に移りましょうか。
最近発見したことがあるんです。前から内田とも、医療や介護、教育などにビジネスロジックを持ち込んではいけないとは話していたけれど、なぜいけないのか、ということがふっと分かったんですよ。
これまで僕らはどういう説明をしていたかというと、社会的共通資本だからいけない、としていました。でもそういうことを言ったら、普通のビジネスだって社会的共通資本だと僕は思っているんだよね。ところが、親父を見ながら思ったことなんだけど、やっぱり商品交換と教育、宗教、医療は違う。これは民主主義とかかわりがあるんですが、売り手と買い手と商品の三つがあれば、すべて商品交換が成り立つように見えるんですね。
だけども、その先がないと実は商品交換は成り立たないんだよ。商品があって売り手がいて買い手がいて、売り手は買い手に商品を渡して買い手は対価を渡す。同時に誠意を渡して感謝の気持ちを受け取る。そういう二重の交換がある。というところまできて、その先になかなか行けなかったのですが、これが繰り返されなければ商品交換は成り立たない。その繰り返していくことの重要な条件として、売り手と買い手が対称である、等価である、平等であることがないと成り立たないんです。商品交換の場においては、常に売り手と買い手はまったく対称的なんですよ。
ところが、医療は施すものと施されるものが非対称なんだよね、完全に。そして教育もそうです。教育を授けるものと受けるものは役割交換ができない。一般ビジネスは必ず役割交換ができないといけないんですよ。ある時に、買い手は何かの拍子に売り手になる。だからこそ透明性が担保されるわけだけれど、もし非対称だと透明性は担保されない。にもかかわらず医療などが成り立つには、施すものと受けるものとの間にある種の信頼関係がなくてはいけない。そこを突き詰めていくと「贈与」しかないんですよね。
贈与というのは、贈与するものとされるものが非対称なのではないか。民主主義以前はすべての交換は贈与に近かったんだよね。人間の中には、贈与でしか成り立たない交換形態があって、それが宗教であり教育であり医療であり介護である、というふうに思ったわけね。
そこに等価交換を持ち込もうとすると、患者と医者が対等である、対称的であるというフィクションを持ち込まないといけない。今インフォームドコンセントなどと言っているのは、本来非対称的なものに対してあたかも対称であるというフィクションを詰め込んでいくからどんどんおかしくなっていっちゃう、という感じがするんですよ。これ最近の発見なんです。前から分かってました?
その他の記事
教養の価値ーー自分と世の中を「素直に見つめる」ということ(岩崎夏海) | |
歴史に見られる不思議なサイクル(高城剛) | |
近年の大ヒット映画に見る「作り方」の発明(岩崎夏海) | |
なぜ人を殺してはいけないのか(夜間飛行編集部) | |
豚だらけの南の島、ババウ島に隠された奥深くも驚くべき秘密(高城剛) | |
役の中に「人生」がある 俳優・石橋保さん(映画『カスリコ』主演)に訊く(切通理作) | |
日印デジタル・パートナーシップの裏にある各国の思惑を考える(高城剛) | |
想像以上に脆い世界で生き残るための条件(高城剛) | |
この星に生きるすべての人が正解のない世界を彷徨う時代の到来(高城剛) | |
宇野常寛特別インタビュー第6回「インターネット的知性の基本精神を取り戻せ!」(宇野常寛) | |
グアム台風直撃で取り残された日本人に対して政府に何ができるのかという話(やまもといちろう) | |
これから「研究者」がマイノリティになっていく?(家入一真) | |
スマートシティ実現と既得権益維持は両立するか(高城剛) | |
液体レンズの登場:1000年続いたレンズの歴史を変える可能性(高城剛) | |
無風と分裂の横浜市長選2017、中央が押し付ける「政策」と市民が示す「民意」(やまもといちろう) |