宇野常寛のメールマガジン「ほぼ日刊惑星開発委員会」号外より

メダルの数より大切なことがある ――有森裕子が語る2020年に向けた取り組み

※宇野常寛のメールマガジン「ほぼ日刊惑星開発委員会」2015.09.22号外〈メダルの数より大切なことがある ――有森裕子が語る2020年に向けた取り組み〉より

 
東京五輪決定の高揚の陰で、東北福島の問題をはじめ日本社会の課題は山積みのままだ。2020年へ向けて、東京中心主義を乗り越えて五輪が進むべき道とは。また、疎外されたマイノリティの人々にも開かれたスポーツのあり方とは。女子マラソンのメダリストであり、現在はスペシャルオリンピックス日本で理事長を務める有森裕子さんに語ってもらった。
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▼プロフィール
有森裕子(ありもり・ゆうこ)
元女子マラソン選手。1992年のバルセロナ五輪で銀メダル、1996年のアトランタ五輪で銅メダルを獲得。引退後は国際陸連(IAAF)女性委員会委員、日本陸上競技連盟理事などを歴任。現在、知的障害者のスポーツ活動を推進する国際組織「スペシャルオリンピックス日本」の理事長を務める。

◎構成:菊池俊輔
◎写真:小野啓


東京にオリンピックが来ることを逆手にとって地方や弱者への還元を

――今回の東京オリンピック・パラリンピックについては「1964年よもう一度」「これで日本はまた元気になる」という盛り上がりがある一方で、地方や若い世代には冷めた反応も少なくありません。こうした状況について、有森さんは実際のところどのように考えられていますか?

有森 私も同じ気持ちです。そんなことを言うと、同じ業界の人には「冷めてるね」って言われるんですが、スポーツを支援する側の誰かがその感覚を持たないといけないと思います。必ずしも日本人全員が「五輪が来るのはいいことなんだ」と当たり前のように言える状況ではないですからね。
 先日、福島に行って現地の話を聞いて来ましたが、福島の人たちも冷静ですね。むしろ、2020年の東京五輪の開催が決まって、社会の関心がそちらにばかり向くことへの危機感がある。これは単に世間の気分の問題だけではなくて、実際に復興支援の現場で働くべき人々や機材が東京に行ってしまった、と。

――2020年の東京五輪の開催によって、あらゆる分野での東京への一極集中が今後さらに進むことは避けられそうにありません。これからの地方と東京との新しい関係については、どのようにお考えですか?

有森 地方にはやっぱり「どうせ東京なんだよね」という雰囲気がどうしてもあります。ただ、あのとき東京が落選した方が良かったかといえば、ほとんどの人はそうではないと思います。「東京に五輪が来る」というニュースが流れた瞬間に、日本中が沸いた。震災から2年を経て、そういう明るい話題を人々が欲していた時期でもあった。
 だからこそ、そこから改めて何を考えていくのかが問われる。東京オリンピック・パラリンピック決定のニュースがあったから、東北の復興支援の問題が改めて見直された面は少なからずあった。五輪の開催を前提にして、もう一度、被災地の課題を話し合おうという雰囲気が生まれたのは、決して悪いことではなかった。そうやって、一見関係のないように見える地方の問題と東京とが、実は意外なところで繋がっているんだ、という部分を示せたら、地方で育ってる子供たちに良い影響があるし、育て方も変わってくると思うので、そこを提供したいという気持ちが強くあります。

――東京にオリンピック・パラリンピックが来てしまう以上は、それを逆手に取るしかない。放っておくと置き去りにされる地方や弱者をケアできるようなイベントに転換させようという考え方ですね。

有森 オリンピック・パラリンピックが来ることによるポジティブな面は必ずある。予算の面でも、モノを作ることにおいても。それをもう少し丁寧に言っていく必要があると思います。だから、地方の講演に行ったときは必ず言うんですよ。五輪が開催されるのは東京だけど、その影響は地方にも来ますと。お金のことはもちろん、それ以外にも色々な要素が影響する。だったら利用しない手はないですよ。そこでシラケてしまって、負の要素ばかり見ていても仕方がない。

――スポーツファンや都市圏に住む一部の人たちだけでなく、地方やマイノリティも含めた多様な人たちに恩恵のあるイベントを目指すべきであると。

有森 オリンピック・パラリンピックのような巨大なイベントは、アスリートや観客としてだけじゃなく、それを手伝う側にとっても、後の人生に繋がるような経験ができるはずなんです。
 五輪の会場には世界中からありとあらゆる人々、健常者もハンディキャッパーも知的障害者もやって来る。そういう人たちをサポートするには、今からどういうボランティアに携わっておけばいいか。2020年に向けて、日常的に自分を成長させられるようなプログラムを考えて、あらゆる形で参加する人たちがグローバルな経験を積むことができる。そういう風に使えばいいと考えています。

 

アスリート育成の実態に象徴される日本のスポーツ状況

――2020年に向けて、アスリート育成や強化の現場ではどんなことが起こっているのでしょうか。

有森 現状、アスリートを発掘して育成する予算は各都道府県に出ています。それを元に、各地域で強化指定選手を選出して様々な面でサポートする。2020年の東京五輪を目指す地方出身の選手たちを、後押しするプロジェクトです。私も選ばれた選手に認定証を渡すために地方を回りました。

――2020年を見据えて、才能のある若い選手を発掘しているわけですね。ただ、今から探すのは時期尚早のような気もしますが。アスリートにとって5年間というのは非常に長い時間ですよね。途中で何があるか分からない。

有森 アスリートが5年もの間、高いレベルで能力を維持し続けるのは、ほぼ不可能です。私の選手時代を考えてみても、1992年のバルセロナオリンピックにピークが来た後で、一気にコンディションが落ちて3年間苦しんだ。最後の1年でギリギリ盛り返しましたが。競技生活の中で、そういう浮き沈みがあるのはどうしても避けられない。
 今、期待されている若い選手たちも、おそらく5年の間には、スランプや故障を経験することになると思います。その壁を乗り越えて初めて、2020年の東京五輪に日本代表選手として出場できる可能性が見えてくる。もちろん、現時点では見落とされている意外な選手が選ばれている可能性も十分にあるでしょう。

――特に女子マラソンは過去の実績がある分、周囲の期待も高くなって大変ですね。関係者の方々は、メダルを狙える選手を何としても送り込みたいと考えていると思いますが。

有森 マラソン界については、2020年のオリンピックとは関係なく、やり直さなければならないところがいっぱいあります。そういうことが、なかなか理解されていないと思います。
 特に最近の子たちはあまり精神面が強くなくて、1人の選手がエースとして君臨するよりは、その種目ごとに、2〜3人くらいに注目が集まった方がうまくいくみたいですね。お互いに切磋琢磨するような関係で。1人だけに注目が集まるのは、本人たちも気が引けるようです。

――そういう若い選手たちの精神面の変化には、どんな背景があると思われますか。

有森 現場の指導者が話していたのは、少子化で子供の数が少なくなっている分、特に男の子は幼いころからお母さんに優しく大事に育てられている。だから、指導していても、常に話を聞きに来るし、言われたことにはすぐ納得して反発もしない。逆に女子の選手の方が性格が強い子は多いと思います。
 男子の選手は、いい意味で優しくて素直だけど、その分、弱い面もあってちょっと心配になる。競技会場に親が来ていないと駄目という選手もいるくらいです。私たちの時代は親に対しては「頼むから来ないでほしい」と思っていましたが。
 背景としては、ここ数十年で全国大会が開催される年代が下がっていることが大きいと思います。例えば駅伝でも、今は小学生のうちから全国大会がある。その年代になると、親の方がエキサイトするんですよ。「ウチの子は全国大会でやらせたい」という親御さんも少なくない。

――親が主導権を握ってしまってるんですね。子供本人よりも、親の方が夢中になっている光景は、低年齢層の競技大会ではよく見かけます。

有森 サポートくらいならいいんですけど、あまり親が引っ張りすぎると、親のスピードと子供の成長するペースが合わないことがある。
 例えば、親子でピアノの練習をしていて、教えている親が「なぜ教えた通りに出来ないのか!」と子供を叱るけれども、お父さんお母さん、あなたが子供のときはどうでしたか、と。大人の手なら簡単に届く場所も、子供の手ではなかなか届かないんです。大人になったことで、その辺の感覚を忘れてしまっている。親にそういう教えられ方をすると、子供たちは苦しくなりますよね。

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